>>178
>キリスト教精神を下敷きにしているから世界に受け入れられたわけではありません 

以下の順番で考えるといいのですよ。まず、
平和憲法だから、日本は平和を望む国だということで世界に受け入れられていますね。
その平和憲法である日本国憲法を草稿したのは、目的がどうであれ、キリスト教国で
あり、キリスト教精神をもった人々です。
 キリスト者が書けば、どうしてもキリスト教のバイアスがかかります。
イエス様の教えにかなうような引力が微塵も働いていないわけがありません。実際は
大いに働らかせたのです。そして、そうしないと世界の
キリスト教国とキリスト者たちが、なっとくしないでしょう。
これならよい、と、キリスト者たちの心のフィルターにかけて検討して書かれたのです。
日本人としては、日本国憲法にキリスト教精神が下敷きになっているとは、思いたく
ないでしょうが・・。どう日本人が考えようが、
 とにかく世界のキリスト者たちは、日本国憲法を良い、と評価します。
くり返しますが、キリスト教精神の裏打ちがあるから、それを世界のキリスト教国
とキリスト者が悪いようには評価するわけがないのです。
 
 そして日本が「できるだけ対話で解決していこう」というのも、実は、
元を辿ればキリスト教精神なのです。
日本がそんな日本らしくないことを言い始めるようになったのは戦後からです。
日本国憲法になってからですね・・。