修証の書 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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修証の書 2 が終わりになりかかっているので、3を作ろうと思う
毎日毎日、更新するのは、しんどい
継続は力なり
オレは、いつだって、そうやって生きてきた
とりあえず、修証の書 2が終わるまで、修証の書 3の活動は控える 話は変わるが、「タコ」と呼ばれたやつの話をする
タコと喧嘩した話は何度か触れた
要するに、中学2年のときの、一番強いやつと
二番目に強いやつの代理喧嘩である
一番目に強いやつに着いたのが筆者で
二番目に強いやつに着いたのがタコである オレは、野球部だった
で、となりの部活が、ハンドボール部で、そこにタコはいた タコの第一印象は悪くない
部活がとなりなので、同じクラスになって以来
よく話した
挑発してくるタコに、筆者は力でねじ伏せた
言ってみれば、プロレスごっこのようなものである 2番目に強いやつはリキ(仮名)と言った
1番目に強いやつは、この前話した五郎である
当初、リキがタコをけしかけていた
その後、五郎が筆者をけしかけて、喧嘩が勃発したわけである 筆者は、タコに圧勝
このとき
人生で初めて強いやつと認められた瞬間である
と、ブログにそう書いてある
この話は、何度か書いているので省く さて、タコである
タコは、筆者に負けたことがよほどくやしかったようである 筆者は、中学卒業後、タコとは、まったくといっていいほど
無縁であった
その後のタコを知らない 中学卒業から、約10年、筆者は、高級ドイツ料理を喰べていた
高級ドイツ料理の店だけあって、ビールが美味い
筆者は、すっかり機嫌がよくなって、その後の電車に乗った すると、電車の中で、筆者を睨んでくるやつがいる
スーツを着たサラリーマンである
サラリーマンの分際で、筆者を睨んでくるとは世間知らずである 余談だが、筆者くらいになると、睨み方で、どの程度かわかる たとえば、そのサラリーマンである
豪快に睨んでくる割には、殺気は感じられない
早い話、目さえ合わしていれば、勝手に逸らしてくれる そのサラリーマンは、しばらく睨んでいたが、気合い負けしたような顔をしていた 筆者は、人の顔を覚えない
特技といってもいい
だから、そのサラリーマンが誰かわからなかった 今に思うと、タコだった
タコの誤算は、中学時代の筆者しか知らなかったことである
筆者は、その後の修羅場をくぐり抜けた
タコとは、レベルが違いすぎたのである ちなみに、中学時代、2番目に強かったリキに
筆者は負けた
卒業後も、時々、電車などで出くわしたが、
威勢が良かった
が、なぜか、ある日から、筆者と目を合わせ
なくなった 理由は、定かではない
筆者の高校時代の活躍を聞いて、恐れをなしたか
ちなみに、リキは、お水の女と結婚した
リキは、性格が悪かったが、結婚相手と歩いている姿を
見ると、愛妻家のようである 誤解を招くようだから、一応書いておくが、二番目に
強かったリキというのは、中学2年のクラスのことである
余談だが、一番強かったとされる五郎は、ヤクザになった
最後に会ったのは、居酒屋で、舎弟を何人も連れていた ついでに、高校時代の話も書こう
まず、峰岸(仮名)というやつの話をする
峰岸は、矢口(仮名)の友達だった 矢口は、札付きのワルで、1年のとき、高校を首になった
昔、暴れはっちゃくという番組があったが、最後のはっちゃくの
ような感じの男だった
矢口の話は、後々する ある朝、電車の中で、筆者は峰岸とモメた
筆者と峰岸では格が違いすぎる
みな、峰岸が勝つと思っていた
もっとも、ボクサー志願の筆者は、峰岸など眼中になく、また
こんなやつに手こずっていては困るくらいに考えていた とりあえず、峰岸と筆者のモメごとは、そこで中断した
峰岸と筆者が火花を散らしている期間、みなが楽しんでいる
無責任なギャラリーというわけである 筆者は、積極的に、喧嘩を売りに行く男である
が、相手が相手である
だから、慎重に機会を待っていた 本来、イケイケの筆者は、顔を出くわすと、スカサズ睨む男であった
が、峰岸には、スグにそれをしなかった
峰岸もまた、同じだった
お互いが、タイミング良く、目を逸らしたしていた
逆にいえば、お互い目を逸らさなかったとき、バトルが勃発するときである で、そのときはきた
峰岸は、金髪の短髪
その時代のヤンキーの髪型をしている
そして、喧嘩のタンカも、その時代の言葉である 先制攻撃は、峰岸である
筆者にボディーを一発
ヤンキータンカを交わしているサナカだった
で、まだ、筆者はヤンキータンカを言い終わってなかったので
そのあと、ボディーを殴り返した 峰岸は、不適な笑みを浮かべる
落ち着け、落ち着け、と、自分に言い聞かせているような
顔だった
その顔は、万にひとつも、自分が負けるとは思ってない風
だった その後、スカサズ、筆者は峰岸の顔を殴る
峰岸は、顔面を殴られたことに憤慨し、威嚇する
その隙に、峰岸の顔面にもう一発 再び、峰岸の動きが止まる
峰岸は、今、何が起きているのか理解していない顔に見えた
あるいは、状況判断を誤ったか 筆者は、3発目を顔に撃つ
すると、太った巨体がアスファルトに倒れる
この瞬間、峰岸の敗北が決定した 峰岸は、まだ、よくやったほうである
豪快に睨んでくるわりに、さっさと引き上げていく者
影で筆者の悪口を言っているわりに、喧嘩を売りに行ったら逃げていく者
本来、ヤンキーとは、そんなものである
とにかく、筆者の伝説の幕開けとなった 矢口の話もしよう
矢口は、筆者の近隣中学出身である
高校がはじまって、3日くらい経ってから、電車の中で
話し掛けてきたところから、縁がはじまった 中学3年のとき、我中学の校庭に、バイクが数台入ってきた
S中の者達である
矢口は、S中の者で、その中にいた
体育教師らの横暴に、我中学のヤンキーの者達からの依頼を
受けて、S中の者達が嫌がらせに来たのである 矢口は、乱気流のような男である
機嫌の善し悪しが大きく変わる
機嫌が悪いと
便所に来い
である 矢口は、危なっかしい
だから、高校も1年しか務まらなかった
便所に来い、と、言われても、みな、警戒する
よく袋叩きに合わなかったものである 愛嬌がいいせいか、筆者は、矢口の機嫌の悪いところを
大目に見た
が、何度も、横暴な態度を取ると、頭にくる ある日、矢口の使いが来て呼びにきた
頭にきていた筆者は断った
すると、再び、使いが来て、今度は 来い である
それに対して
用があるなら、おまえが来い
と、筆者は言った そんなことを矢口に伝えたら大変なことになる
使いの者は、上手くツクロってやる
と、言った
そんなことをする必要はない
と、筆者は、言おうと思ったが、相手が相手なので
言葉を言いかけて止めた そんな険悪な空気の中、何もなかったかのように
話し掛けてくるのが、矢口である
筆者と似ている
ハッキング盗聴をしているまことならご存知だろう 余談だが、コンビニのバイトの面接のとき、ローソンの店主は
驚いた顔をして聞いてきた
君、ここに来たことある?
否定すると、以前、筆者と似たような履歴書を持ってきたという
後で、考えると、矢口だろう
この話は、とりあえず、後にする その後、しばらく、矢口は顔を見せなかった
丁度、険悪な時期が続いていた
久々に、矢口と会う
矢口は、愛嬌良く
どうした?
と、聞いてきた 険悪な時期が続いて、しかも、久々に顔を合わせて
愛嬌良く話し掛けてこられては、こちらも困惑する 実は、矢口と一戦交えようと思っていた
が、矢口の愛嬌である
結局、喧嘩は実現しなかった
命拾いしたのは、どちらだろうか 矢口は、高校1年で止めた
高校2年のとき、駅で矢口と会う
土方の格好をしていた 近々、お礼参りをしにいくからヨロシク
と、矢口は言った
辞めさせた高校にである
筆者は、楽しみにしていたが、結局、矢口は来なかった そこから、10年近く経ってから、矢口から電話が
かかってきた
そのとき、筆者は家に居なかった
あんな危ないやつと話なんて出来るか
と、思い、電話をかけ直さなかった それから、筆者は考える
筆者の人脈ネットワークを洗い直してみると
矢口と交わる点を見つけた
交わった点で、矢口が筆者の話を聞いたのであろう それから、ふと、点が線になった
コンビニのバイトの筆者と似たようなやつとは
矢口のことだと、ここで確信した そんな筆者も今や「まこと連呼の妄想ジジイ」として
宗教板とボクシング板で知られている。 まこと君
文面を読んでもらえない
つらいのう
つらいのう 高校2年のときの、美香先生(仮名)の話をする
ブログでは
紺色のスーツが似合う先生
と、書いたが、正確的には、スーツのような服を着ていた 当時はわからなかったが、卒業アルバムを見ると
筆者の好みの顔である
気に入っていたのであろう 顔の好みで言えば、米沢先生(仮名)の気に入っていたと思ふ
ただ、米沢先生は、お世辞にも綺麗な先生ではなかった
顔だけが好みなのである その米沢先生とオレ様には逸話がある
米沢先生は、朝、学校周辺で巡回をしていた 20代半ばの女教師だから、生徒に挨拶をする
むろん、生徒達に返事はない
高校生なんてそんなものである で、顔が好みである米沢先生に、筆者は挨拶をすることにした
おはよう、と、筆者から挨拶をすると、米沢先生も同じように返してくる ナンパ癖のあるオレ様の悪い癖だと、友達の
中西(仮名)は苦笑している そんなことが続いたある日、いつものように米沢先生に
オレ様は、挨拶をする
すると、一歩下がって睨まれる
引かれる、と、言ったほうが正しいかもしれない 筆者「米沢先生に睨まれたぞ!」
中西「おまえが脅すからだ」 さほど、美人とは言えなったが、青春の1ページの話である
さらに、こんな思い出がある
ある放課後、米沢先生と中年先生が巡回していた
中年先生が、筆者に何か言った その中年先生が、何を言ったかは覚えていない
記憶が正しければ、悪いことをするなよ、だったと思ふ
ただ、横にいた米沢先生の満面の笑顔は、可愛らしかったことを覚えている >>315の話の続きをしたい
続きといっても、解説である さて、なぜ、筆者は峰岸に勝てたのか
むろん、筆者のほうが強かったからである これだけでは解説にならない
まず、周囲の評価からして、筆者は格下だった
この心理を利用したわけである 格上である峰岸は、格下の筆者に負ければカッコ悪い
だから、電車での小競り合いのあと、スグに喧嘩を売り来れなかった
いわゆる、「きっかけ」がなければ、峰岸は喧嘩が出来ないのである まことは、掲示板の喧嘩すら出来ない臆病者だからわからないたろうが
「きっかけ」を待つ者は、喧嘩をしない言い訳をしている
もっとも、格下とはいえ、峰岸も筆者に喧嘩を売りにきたわけだから
そのへんは、評価しなければいけない また、峰岸は、威嚇すれば筆者が引くと思っていたと
思われる
だから、筆者に1発目を殴られたとき、本来、スグに
殴り返さなければいけないのに、峰岸は威嚇行動を取った 喧嘩というものは、瞬時に判断出来ない
威嚇という選択肢しか考えていなかった峰岸には変更が出来なかった
このへんが、経験値が少ない 峰岸は、筆者を威嚇したが、心根は、かなり動揺していたはずである
本当に殴り合いをするつもりなら、1発殴られただけで慌てたりしない 話が逸れた
これは、余談ではない
峰岸との武勇伝の捕捉である 勉強をしているわりに成績が今一つだったオレに
要点の掴み方を教えてくれた
と、書いたが、これは嘘である
正確には、筆者の成績は良かった
成績が良かった、と、書いたらアホである
それを書くのは、まことくらいなものだろう 筆者の成績は、400人中、40位代くらいだった
何しろ、2、3ランク落として入った高校である
当然といえば当然である 余談だが、50位以内に入っている者は、みな
2、3ランク成績を落として入った者ばかりである 試験は、50問しか出ない
優先順位をつければ、要点は自ずとわかる
これが、美香先生の言葉である それを聞いた筆者だったが、そこから勉強をしなくなった
正確的には、勉強しなくても、点が取れたと言っていい
大学に興味がなかった筆者には、そこそこの成績で良かった 君、高校1年のとき、抜群に成績が良かったんだね
と、高校3年の担任に言われる
ちょうど、大学入試の願書を出すときである 17歳のときに、24歳の女教師に惚れるのは、どれくらいいるのだろう
もっとも、当時の筆者は、まったくその気はなかった ひと月あまり書き込みがないのは、死んだからか、閉鎖病棟に入ったのか、はっきりしてほしい。 まこと君
文面を読んでもらえない
つらいのう
つらいのう と、筆者は言うのである
どうも、この言葉は、まことにとって急所らしい 普通に見れば、言われ放題で、筆者はまことの文面を一切読まない
さぞ、つらいであろう
アメリカに無視された北朝鮮に似ている また、まことは、ハッキングが思うように出来なくなった
一度手に入れたものを失いたくはない
と、言ったまことの心中は、さぞ、つらいであろう 高校2年のとき、人生初めてのアルバイトをする
ヤンキーが集う喫茶店のようなところだった 実のところ、高校2年のとき、大きな進展があった
筆者は、この時期の思い出を、いまでも宝物のように思っている まず、高校2年間当時の春先から話さなければならない
努力が実った
という表現が一番合っている 学生時代の自慢話だけで
社会人になってからの話がないのは無職だからですか? ↑
そうだな、まこと
と、筆者は言った
が、ものには順序がある
社会人になってからの自慢話は、まだ、先の話である >>373で大きな進展があったと書いたが、人生の分岐点と言ったほうがいいだろう
筆者は、よく、自分の人生を洗い直しているが、よくこの時期が鍵となっている 恩師である美香先生(仮名)のことは前に触れた
美香先生のおかげで、勉学のやり方を知った 本来、ここから勉学の人生が始まるのが妥当であろう
が、筆者には、ボクサーになる夢があった ボクシングは、男の憧れだが、本当にやる者は少ない
と、大学時代の友達に言われたことがある
なるほど
これは、筆者の人生において大きく意味していた 筆者には、中学時代からの信念があった
「行動」である ここで、「行動」について、心理学的に話したい
行動は、気の強さの表れだという
そして、気の強い者は出世するという 筆者は、ボクシングジムに通ってたせいか、気の強さで
身を滅ぼした者を何人も見てきた
たがら、気の強さが出世の道には思えない また、行動には、「運」が伴う
たとえば、サイコロを振れば、いい目が出るときもあれば
悪い目が出るときもあるだろう
要するに、行動すれば、人の個人の運の良し悪しが
ダイナミックに表れる これは、読書にも同じことが言える
筆者は、学生時代から、ほぼ毎日読書をしているが
いい本に出会えるのは、5年に一度である
言い方を変えれば、悪い本にも出会うわけである 筆者は、大学時代に、松浪健四郎という男の本に出会っているが
これは、運の悪さだと思っている
しかし、筆者の中では「信念」として内化している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています