修証の書 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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修証の書 2 が終わりになりかかっているので、3を作ろうと思う
毎日毎日、更新するのは、しんどい
継続は力なり
オレは、いつだって、そうやって生きてきた
とりあえず、修証の書 2が終わるまで、修証の書 3の活動は控える ここらで、筆者の人生を語ろうと思ふ
筆者は、ド田舎育ちである
筆者の記憶が正しいとするなら、
何歳 ?
と、聞かれて、4歳と答えた覚えがある 筆者は、保育園に言ってない
6歳のとき、幼稚園に行ったのが、社会に出る最初である
余談だが、2つ下の親戚は、幼稚園にも行ってない 物心ついた頃にはグータラしていたので、筆者は一生グータラするものだと
思っていた
そもそも、あのド田舎に、保育園や幼稚園など存在していたのか まことは、ハッキング盗聴盗撮をして知っているのだが
母親は、幼稚園や保育園の先生である
筆者の記憶が正しいなら、小学生になった頃くらいから
保育園で働いている 筆者が、真に物心がついたのは、8歳くらいのときである
心理学によると、6歳くらいまで、記憶の仕方を知らないらしい
だから、幼稚園の頃は、よく覚えていない 小学生5年のとき、ふと、友達から意外なことを言われる
何と、筆者は、幼稚園の頃、ガキ大将相手に、よく喧嘩をしていたそうだ
筆者は、ガキ大将によく泣かされた覚えはあるが、喧嘩をまったく覚えていない
わけではなかった 自分で喧嘩が強いと思ったのは、小学生5年の頃だが
ガキ大将とよく喧嘩をしていた、と、言われた時期と
重なっている と言うよりも、筆者が強いのではなく、周囲が弱いと思った
これは、幼稚園の時期から思っていた みなさん不動明王とイルミナティ(フリーメーソン)は悪の出方は違っても
同じところから発してる同一のものだとだした霊媒師がいたので、どちらも
拝んではいけません。後はそれぞれで他宗教にあたってよくよく調べてください。 まことは、56歳になって、なお、生きる意味がなく
嘆いているようである
もっとも、中学からヒキコモッているらしく、かなり
いじめ抜かれて生きてきたから仕方をあるまい 記憶が正しければ、筆者は、小学生1年のときから、生きている意味を
考えていた
自ずと、自分の道は見つかる
その時期、人は何か使命を与えられてきたと考えていた
小学生らしい考えではないか 中学1年のとき、司馬遼太郎の竜馬がゆく、を、読む
人は、何かを成すために生きている
その著書で、乙女ねえさんが、こんな言葉を残している 筆者は、大学時代、多忙で、自分がどこにいるかさえ
わからないくらい忙しかった
このことは、何度か触れている
この言葉を、まことは、気に入っているようである 「行動」は、強い男の象徴
いつ頃か、筆者は、そう思うようになった
記憶が正しければ、中学生のときである
まさしく、筆者の生涯は、「行動」であった 今に思うと、その「行動」の仕方も、大学時代まではわからなかったように思える
筆者の真の「行動」は、大学時代が、はじまりだったといっていい 何度か書いたが、高校時代、筆者の同級生に西日本新人王1位の男がいた
後に友達になるわけだが、学校では地味な男であった
が、異様がつくくらい、行動力な男だった (今までの、オレの行動力は何だったのか)
その同級生、吹越(仮名)を見たときに思った
その後、吹越に習い、行動力を高めることになったわけだが
これを良しと言っていいのか
このことについては、何度か触れため省く 行動の中で、筆者は、野心を輝かしていた
自分がどこにいるのかわからないくらい境地ではあったが
けして、自分を見失わかった
密林を歩く豹
当時、そのように、自分のことを表現した 中学生2年のときに、話を遡る
中学2年のグラスといえば、ショボイやつらの集まりだった
では、ショボイやつらの集まりはどうなるか
リーダー不在になるのである (ショボイやつらの集まりでも、リーダーがいなければ争いになるのか)
当時、いや、今になるとそう感じる
筆者が生きてきた中で、これほど争いのある集まりはなかった
しかも、ショボイやつらの集まりのわりに、喧嘩が派手なのである ド田舎でのんびり育った筆者には、カルチャーショックであった
いや、筆者以外でも、そう思うはずである その後、クラスメイトのヤンキーと仲が良くなる
彼は、ヤンキーとしては下端であった
そもそも、ショボイクラスの中に、凄いヤンキーがいれば
リーダーになるに決まっている そのヤンキー五朗(仮名は)は、その後、少年院に入り
ヤクザとなる
余談だが、筆者の周囲では、ヤンキーの下端のほうが
ヤクザになる者が多かった 五朗の友達の山田(仮名)もヤクザになった
一時、山田の羽振りは、よく、柄シャツに高級車、お水の
女を連れて歩いているのを、何度か見ている ヤクザというのは、いつ逮捕されるかに怯えて生きている
よって、後ろめたい心境らしい
普通の神経では務まらなく、マイナス思考な人間には到底出来ない そういう意味では、後の山田も、そんな表情であった
ヤクザが、結婚式に出ないのは、後ろめたさが一番の原因である 筆者の武勇伝は、何度も書いているので、別の
角度で話すとする
筆者は、中学1年のとき、ド田舎から、街中に
引っ越した
そこで見たのは、喧嘩が絶えない日々であった 小西(仮名)という男の話をする
まだ、転校したての時分、小西という男がわからなかった
転校して初めて見た喧嘩が、小西である 担任の服部(仮名)は、筆者に意見を求めた
転校仕立てで、一番公平な判断が出来るという判断だった
が、当時の筆者には、街中の人間が何を考えているのかわからず
また、街中の人間の悪意というものも知らなかった 心の内なる光りに向かう信仰心は、清々しく感動を伴うものであり、
光の道へと魂修行する旅人のように光の中に生きる充実した生き
方となり、心の開放の光の自由度を認識する生き方である。
清い心で、創造主への尊敬と感謝を持つことで、慈悲の光が臨む
ことになる。 >>279
が、だんだんと、街中の人間が何を考えているのかわかってきと
たとえば、こんな話がある 「おまえ、先生にチクっただろ!!」
「チクったっと言うことは、自分で悪いと認めているのか?」
「・・・・。」 今に思うと、オレは、ド田舎者である
悪いことを悪いことわかっていて、悪いことをするやつなんて
いないと思っている ある日、小西と担任の服部が話し合っていた
意味不明に暴れまわる小西が、何を考えているのかわからないようだ
というよりも、小西をからかうやつらの自己弁護を、服部は鵜呑みにしているのか?
と、そのときに筆者は、思った 「1vs1で、やってみろ」
ある日、オレは言う
オレの筋ある一言に、みな黙っている 話は変わるが、「タコ」と呼ばれたやつの話をする
タコと喧嘩した話は何度か触れた
要するに、中学2年のときの、一番強いやつと
二番目に強いやつの代理喧嘩である
一番目に強いやつに着いたのが筆者で
二番目に強いやつに着いたのがタコである オレは、野球部だった
で、となりの部活が、ハンドボール部で、そこにタコはいた タコの第一印象は悪くない
部活がとなりなので、同じクラスになって以来
よく話した
挑発してくるタコに、筆者は力でねじ伏せた
言ってみれば、プロレスごっこのようなものである 2番目に強いやつはリキ(仮名)と言った
1番目に強いやつは、この前話した五郎である
当初、リキがタコをけしかけていた
その後、五郎が筆者をけしかけて、喧嘩が勃発したわけである 筆者は、タコに圧勝
このとき
人生で初めて強いやつと認められた瞬間である
と、ブログにそう書いてある
この話は、何度か書いているので省く さて、タコである
タコは、筆者に負けたことがよほどくやしかったようである 筆者は、中学卒業後、タコとは、まったくといっていいほど
無縁であった
その後のタコを知らない 中学卒業から、約10年、筆者は、高級ドイツ料理を喰べていた
高級ドイツ料理の店だけあって、ビールが美味い
筆者は、すっかり機嫌がよくなって、その後の電車に乗った すると、電車の中で、筆者を睨んでくるやつがいる
スーツを着たサラリーマンである
サラリーマンの分際で、筆者を睨んでくるとは世間知らずである 余談だが、筆者くらいになると、睨み方で、どの程度かわかる たとえば、そのサラリーマンである
豪快に睨んでくる割には、殺気は感じられない
早い話、目さえ合わしていれば、勝手に逸らしてくれる そのサラリーマンは、しばらく睨んでいたが、気合い負けしたような顔をしていた 筆者は、人の顔を覚えない
特技といってもいい
だから、そのサラリーマンが誰かわからなかった 今に思うと、タコだった
タコの誤算は、中学時代の筆者しか知らなかったことである
筆者は、その後の修羅場をくぐり抜けた
タコとは、レベルが違いすぎたのである ちなみに、中学時代、2番目に強かったリキに
筆者は負けた
卒業後も、時々、電車などで出くわしたが、
威勢が良かった
が、なぜか、ある日から、筆者と目を合わせ
なくなった 理由は、定かではない
筆者の高校時代の活躍を聞いて、恐れをなしたか
ちなみに、リキは、お水の女と結婚した
リキは、性格が悪かったが、結婚相手と歩いている姿を
見ると、愛妻家のようである 誤解を招くようだから、一応書いておくが、二番目に
強かったリキというのは、中学2年のクラスのことである
余談だが、一番強かったとされる五郎は、ヤクザになった
最後に会ったのは、居酒屋で、舎弟を何人も連れていた ついでに、高校時代の話も書こう
まず、峰岸(仮名)というやつの話をする
峰岸は、矢口(仮名)の友達だった 矢口は、札付きのワルで、1年のとき、高校を首になった
昔、暴れはっちゃくという番組があったが、最後のはっちゃくの
ような感じの男だった
矢口の話は、後々する ある朝、電車の中で、筆者は峰岸とモメた
筆者と峰岸では格が違いすぎる
みな、峰岸が勝つと思っていた
もっとも、ボクサー志願の筆者は、峰岸など眼中になく、また
こんなやつに手こずっていては困るくらいに考えていた とりあえず、峰岸と筆者のモメごとは、そこで中断した
峰岸と筆者が火花を散らしている期間、みなが楽しんでいる
無責任なギャラリーというわけである 筆者は、積極的に、喧嘩を売りに行く男である
が、相手が相手である
だから、慎重に機会を待っていた 本来、イケイケの筆者は、顔を出くわすと、スカサズ睨む男であった
が、峰岸には、スグにそれをしなかった
峰岸もまた、同じだった
お互いが、タイミング良く、目を逸らしたしていた
逆にいえば、お互い目を逸らさなかったとき、バトルが勃発するときである で、そのときはきた
峰岸は、金髪の短髪
その時代のヤンキーの髪型をしている
そして、喧嘩のタンカも、その時代の言葉である 先制攻撃は、峰岸である
筆者にボディーを一発
ヤンキータンカを交わしているサナカだった
で、まだ、筆者はヤンキータンカを言い終わってなかったので
そのあと、ボディーを殴り返した 峰岸は、不適な笑みを浮かべる
落ち着け、落ち着け、と、自分に言い聞かせているような
顔だった
その顔は、万にひとつも、自分が負けるとは思ってない風
だった その後、スカサズ、筆者は峰岸の顔を殴る
峰岸は、顔面を殴られたことに憤慨し、威嚇する
その隙に、峰岸の顔面にもう一発 再び、峰岸の動きが止まる
峰岸は、今、何が起きているのか理解していない顔に見えた
あるいは、状況判断を誤ったか 筆者は、3発目を顔に撃つ
すると、太った巨体がアスファルトに倒れる
この瞬間、峰岸の敗北が決定した 峰岸は、まだ、よくやったほうである
豪快に睨んでくるわりに、さっさと引き上げていく者
影で筆者の悪口を言っているわりに、喧嘩を売りに行ったら逃げていく者
本来、ヤンキーとは、そんなものである
とにかく、筆者の伝説の幕開けとなった 矢口の話もしよう
矢口は、筆者の近隣中学出身である
高校がはじまって、3日くらい経ってから、電車の中で
話し掛けてきたところから、縁がはじまった 中学3年のとき、我中学の校庭に、バイクが数台入ってきた
S中の者達である
矢口は、S中の者で、その中にいた
体育教師らの横暴に、我中学のヤンキーの者達からの依頼を
受けて、S中の者達が嫌がらせに来たのである 矢口は、乱気流のような男である
機嫌の善し悪しが大きく変わる
機嫌が悪いと
便所に来い
である 矢口は、危なっかしい
だから、高校も1年しか務まらなかった
便所に来い、と、言われても、みな、警戒する
よく袋叩きに合わなかったものである 愛嬌がいいせいか、筆者は、矢口の機嫌の悪いところを
大目に見た
が、何度も、横暴な態度を取ると、頭にくる ある日、矢口の使いが来て呼びにきた
頭にきていた筆者は断った
すると、再び、使いが来て、今度は 来い である
それに対して
用があるなら、おまえが来い
と、筆者は言った そんなことを矢口に伝えたら大変なことになる
使いの者は、上手くツクロってやる
と、言った
そんなことをする必要はない
と、筆者は、言おうと思ったが、相手が相手なので
言葉を言いかけて止めた そんな険悪な空気の中、何もなかったかのように
話し掛けてくるのが、矢口である
筆者と似ている
ハッキング盗聴をしているまことならご存知だろう 余談だが、コンビニのバイトの面接のとき、ローソンの店主は
驚いた顔をして聞いてきた
君、ここに来たことある?
否定すると、以前、筆者と似たような履歴書を持ってきたという
後で、考えると、矢口だろう
この話は、とりあえず、後にする その後、しばらく、矢口は顔を見せなかった
丁度、険悪な時期が続いていた
久々に、矢口と会う
矢口は、愛嬌良く
どうした?
と、聞いてきた 険悪な時期が続いて、しかも、久々に顔を合わせて
愛嬌良く話し掛けてこられては、こちらも困惑する 実は、矢口と一戦交えようと思っていた
が、矢口の愛嬌である
結局、喧嘩は実現しなかった
命拾いしたのは、どちらだろうか 矢口は、高校1年で止めた
高校2年のとき、駅で矢口と会う
土方の格好をしていた 近々、お礼参りをしにいくからヨロシク
と、矢口は言った
辞めさせた高校にである
筆者は、楽しみにしていたが、結局、矢口は来なかった そこから、10年近く経ってから、矢口から電話が
かかってきた
そのとき、筆者は家に居なかった
あんな危ないやつと話なんて出来るか
と、思い、電話をかけ直さなかった それから、筆者は考える
筆者の人脈ネットワークを洗い直してみると
矢口と交わる点を見つけた
交わった点で、矢口が筆者の話を聞いたのであろう それから、ふと、点が線になった
コンビニのバイトの筆者と似たようなやつとは
矢口のことだと、ここで確信した そんな筆者も今や「まこと連呼の妄想ジジイ」として
宗教板とボクシング板で知られている。 まこと君
文面を読んでもらえない
つらいのう
つらいのう 高校2年のときの、美香先生(仮名)の話をする
ブログでは
紺色のスーツが似合う先生
と、書いたが、正確的には、スーツのような服を着ていた 当時はわからなかったが、卒業アルバムを見ると
筆者の好みの顔である
気に入っていたのであろう 顔の好みで言えば、米沢先生(仮名)の気に入っていたと思ふ
ただ、米沢先生は、お世辞にも綺麗な先生ではなかった
顔だけが好みなのである その米沢先生とオレ様には逸話がある
米沢先生は、朝、学校周辺で巡回をしていた 20代半ばの女教師だから、生徒に挨拶をする
むろん、生徒達に返事はない
高校生なんてそんなものである で、顔が好みである米沢先生に、筆者は挨拶をすることにした
おはよう、と、筆者から挨拶をすると、米沢先生も同じように返してくる ナンパ癖のあるオレ様の悪い癖だと、友達の
中西(仮名)は苦笑している そんなことが続いたある日、いつものように米沢先生に
オレ様は、挨拶をする
すると、一歩下がって睨まれる
引かれる、と、言ったほうが正しいかもしれない 筆者「米沢先生に睨まれたぞ!」
中西「おまえが脅すからだ」 さほど、美人とは言えなったが、青春の1ページの話である
さらに、こんな思い出がある
ある放課後、米沢先生と中年先生が巡回していた
中年先生が、筆者に何か言った その中年先生が、何を言ったかは覚えていない
記憶が正しければ、悪いことをするなよ、だったと思ふ
ただ、横にいた米沢先生の満面の笑顔は、可愛らしかったことを覚えている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています