修証の書 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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修証の書 2 が終わりになりかかっているので、3を作ろうと思う
毎日毎日、更新するのは、しんどい
継続は力なり
オレは、いつだって、そうやって生きてきた
とりあえず、修証の書 2が終わるまで、修証の書 3の活動は控える 虫歯が出来た
生まれつき歯が丈夫な筆者にとって、大学珍事である
強いていえば、憲法9条が改正されそうなことくらいなものだろう しかも、上顎に虫歯が出来たのである
そもそも、上顎に虫歯など出来るものか
虫歯は虫歯でも、筆者にとって、生涯史上初の出来事であった 上顎の虫歯は痛い
ちょうど、石を噛んだのと似ている
歯に当たる度に、「ゴリッ」という痛みが走る
ご飯にかける胡麻塩ですら、「ゴリッ」なのである そこで、上顎の虫歯をアイスピックで削ってみた
とは言っても、下の歯と違い見えにくい
というよりかは、奥歯にあって、鏡で見ても小さく見えないのである すると、痛みが少しマシになったのである
周囲には反対されたし、歯医者に言っても同じことを言われるだろう
が、歯医者のいうことは、アテにならない
なぜなら、患者が減るということは、客が減るのと同じことなのである が、マシになったのは、朗報だろう
しかし、これは、他の人には進められない
筆者という人類史上稀に歯が丈夫な男だから、無事
なのかもしれない
他の者がやれば、かえって酷くなり、のたうち回る
激痛に見舞われるかもしれない
良い子のみなさんよ
筆者の真似をするではないぞ! ぼくは、宗教など、不要の長物だと思っている
倫理を語ってゼニを巻き上げることが、神様のやることか!
詐欺紛いなことをして、どこぞやの政治家のように屁理屈を
並べることが、神のシモベのやることか >>220
神様が居れば、不幸になる者はいなくなるはずである
が、世界中には、不幸な者で溢れていて、神様が聞いてあきれる
それとも、神様とは、人を不幸にする存在だろうか 科学者から見て、宗教ほど、曖昧なものはない
何の根拠もないのに、神様がいると信じて疑わない うどん名、そば名は、地方によって違う
たとえば、天カスを入れるだけのかけそばである
地方によっては、それをたぬきそばと呼んだ
また、違う地方では、はいからそばといった では、スタミナそばは、どうであろう
はいからそばに、卵をいれたものが、スタミナそばだが
大阪の友人は、その名称を知らなかった 天カスを一から揚げて、ネギと卵をいれるスタミナそばは美味しい
てっとり早く作るには一番だろう きつねもいい
割下を作って、お揚げを入れて、そばが出来るまで
弱火にしていたら出来るのだからてっとり早い 以前、ブログに書いたが、筆者は、正月に努力することを厭わない
1月1日から、自分の目標に頑張るのは、縁起がいいからである 年々、正月がいい正月になっている
正月といえば、酒にご馳走だろうが、我々、
悟りを志している者は、境地が一番で
それこそ、何もないことが一番なのである 境地とは、生半可なことでは得られない
何もいらない
口で言うのは優しいが、まことのような凡人には
なかなか務まらない
ど素人がやっても、ただの痩せ我慢なのである かといって、本当に、酒にご馳走を避けてもいけない
要するに、酒やご馳走があれば良く、なければなくて良いの境地が
悟りなのである 最近、忙しい
あまりに忙しいのか、1日中眠たい
こういうときは、真っ昼間から、酒を飲んで寝るのが一番である 最近、眠たいのは、風邪ではないか?
ふと、そう思った
そう考えると、すべてが納得する
筆者が、原因不明の睡魔に襲われるとき、それは、風邪が多いのだ 自慢ではないが、筆者は、よほど熱が出ないかぎり
平然と行動する
筆者が熱を計るとき、いつも、38度を越えている それは、少年時代にあった
筆者は、少年時代、よく熱を出していた それは、少年時代にあった
筆者は、少年時代、よく熱を出していた どうも、極度の野菜嫌いにあるらしい
野菜は、抵抗力が増す
が、筆者は、大の野球嫌いで、気が付くと
1週間野球を喰べてないことはよくあった さて、そんな筆者だが、分岐点がくる
極度の野菜不足で、体にガタが来たのである そこで、筆者は考えた
修行の意味も籠めて、朝は、野菜とメシと汁を
喰うことに決めた そんな筆者だったが、3年前、奇妙なことが起きる
大してしんどくもないのに、熱が38度あったのだ
ここで、筆者は、考える
なぜ、大してしんどくもないのに、38度もあるのか おそらくは、野菜で抵抗力がついたのであろう
言い換えれば、若き日の筆者は、フラフラの日も
動いていたということになる 中学のとき、筆者に対する保険の先生の対応は
冷たかった
よく、保健室に来るので、大袈裟に感じたのであろう 一般に、36.7は、高体温でない
が、筆者のばあい、低体温であった
そのためか、36.7でも、しんどかったのである この36.7を保健室の先生は嫌った
要するに、熱もないのに、保健室に来るな
というわけである 反対に、クラスメイトの反応は温かった
36.7と言えど、本当に苦しそうだったからである
余談だが、他の生徒のばあい、保健室の先生は、熱も計らず
家に帰したというから、筆者は、よほど嫌われていたのであろう その36.7だが、筆者は、本当に苦しかった
ちなみに、筆者は、通算20回ほどイーフルエンザにかかっている
それだけイーフルエンザにかかるのは稀らしい
もし、100年前に生まれていたら、とっくの昔に熱にうなされ死んでいたであろう 36.7でしんどいのは大袈裟
今に思うと、大人達のエゴだが、というよりも、心理学的に
いうと、そういう者達は、少し熱を出すと大袈裟らしい
ただ、筆者のばあい、その経験のせいか、滅多にしんどいと
言わなくなった これというのも、大の野菜嫌いが原因だったのであろう
しかし、世に野菜嫌いで、これほど苦しんだ者がいるだろうか 現在、しんどいと思い、たまに熱を計ると38.0である
37.0台では、何ともないのだろう
世にこれほど、野菜で健康を回復させた者がいるだろうか ここらで、筆者の人生を語ろうと思ふ
筆者は、ド田舎育ちである
筆者の記憶が正しいとするなら、
何歳 ?
と、聞かれて、4歳と答えた覚えがある 筆者は、保育園に言ってない
6歳のとき、幼稚園に行ったのが、社会に出る最初である
余談だが、2つ下の親戚は、幼稚園にも行ってない 物心ついた頃にはグータラしていたので、筆者は一生グータラするものだと
思っていた
そもそも、あのド田舎に、保育園や幼稚園など存在していたのか まことは、ハッキング盗聴盗撮をして知っているのだが
母親は、幼稚園や保育園の先生である
筆者の記憶が正しいなら、小学生になった頃くらいから
保育園で働いている 筆者が、真に物心がついたのは、8歳くらいのときである
心理学によると、6歳くらいまで、記憶の仕方を知らないらしい
だから、幼稚園の頃は、よく覚えていない 小学生5年のとき、ふと、友達から意外なことを言われる
何と、筆者は、幼稚園の頃、ガキ大将相手に、よく喧嘩をしていたそうだ
筆者は、ガキ大将によく泣かされた覚えはあるが、喧嘩をまったく覚えていない
わけではなかった 自分で喧嘩が強いと思ったのは、小学生5年の頃だが
ガキ大将とよく喧嘩をしていた、と、言われた時期と
重なっている と言うよりも、筆者が強いのではなく、周囲が弱いと思った
これは、幼稚園の時期から思っていた みなさん不動明王とイルミナティ(フリーメーソン)は悪の出方は違っても
同じところから発してる同一のものだとだした霊媒師がいたので、どちらも
拝んではいけません。後はそれぞれで他宗教にあたってよくよく調べてください。 まことは、56歳になって、なお、生きる意味がなく
嘆いているようである
もっとも、中学からヒキコモッているらしく、かなり
いじめ抜かれて生きてきたから仕方をあるまい 記憶が正しければ、筆者は、小学生1年のときから、生きている意味を
考えていた
自ずと、自分の道は見つかる
その時期、人は何か使命を与えられてきたと考えていた
小学生らしい考えではないか 中学1年のとき、司馬遼太郎の竜馬がゆく、を、読む
人は、何かを成すために生きている
その著書で、乙女ねえさんが、こんな言葉を残している 筆者は、大学時代、多忙で、自分がどこにいるかさえ
わからないくらい忙しかった
このことは、何度か触れている
この言葉を、まことは、気に入っているようである 「行動」は、強い男の象徴
いつ頃か、筆者は、そう思うようになった
記憶が正しければ、中学生のときである
まさしく、筆者の生涯は、「行動」であった 今に思うと、その「行動」の仕方も、大学時代まではわからなかったように思える
筆者の真の「行動」は、大学時代が、はじまりだったといっていい 何度か書いたが、高校時代、筆者の同級生に西日本新人王1位の男がいた
後に友達になるわけだが、学校では地味な男であった
が、異様がつくくらい、行動力な男だった (今までの、オレの行動力は何だったのか)
その同級生、吹越(仮名)を見たときに思った
その後、吹越に習い、行動力を高めることになったわけだが
これを良しと言っていいのか
このことについては、何度か触れため省く 行動の中で、筆者は、野心を輝かしていた
自分がどこにいるのかわからないくらい境地ではあったが
けして、自分を見失わかった
密林を歩く豹
当時、そのように、自分のことを表現した 中学生2年のときに、話を遡る
中学2年のグラスといえば、ショボイやつらの集まりだった
では、ショボイやつらの集まりはどうなるか
リーダー不在になるのである (ショボイやつらの集まりでも、リーダーがいなければ争いになるのか)
当時、いや、今になるとそう感じる
筆者が生きてきた中で、これほど争いのある集まりはなかった
しかも、ショボイやつらの集まりのわりに、喧嘩が派手なのである ド田舎でのんびり育った筆者には、カルチャーショックであった
いや、筆者以外でも、そう思うはずである その後、クラスメイトのヤンキーと仲が良くなる
彼は、ヤンキーとしては下端であった
そもそも、ショボイクラスの中に、凄いヤンキーがいれば
リーダーになるに決まっている そのヤンキー五朗(仮名は)は、その後、少年院に入り
ヤクザとなる
余談だが、筆者の周囲では、ヤンキーの下端のほうが
ヤクザになる者が多かった 五朗の友達の山田(仮名)もヤクザになった
一時、山田の羽振りは、よく、柄シャツに高級車、お水の
女を連れて歩いているのを、何度か見ている ヤクザというのは、いつ逮捕されるかに怯えて生きている
よって、後ろめたい心境らしい
普通の神経では務まらなく、マイナス思考な人間には到底出来ない そういう意味では、後の山田も、そんな表情であった
ヤクザが、結婚式に出ないのは、後ろめたさが一番の原因である 筆者の武勇伝は、何度も書いているので、別の
角度で話すとする
筆者は、中学1年のとき、ド田舎から、街中に
引っ越した
そこで見たのは、喧嘩が絶えない日々であった 小西(仮名)という男の話をする
まだ、転校したての時分、小西という男がわからなかった
転校して初めて見た喧嘩が、小西である 担任の服部(仮名)は、筆者に意見を求めた
転校仕立てで、一番公平な判断が出来るという判断だった
が、当時の筆者には、街中の人間が何を考えているのかわからず
また、街中の人間の悪意というものも知らなかった 心の内なる光りに向かう信仰心は、清々しく感動を伴うものであり、
光の道へと魂修行する旅人のように光の中に生きる充実した生き
方となり、心の開放の光の自由度を認識する生き方である。
清い心で、創造主への尊敬と感謝を持つことで、慈悲の光が臨む
ことになる。 >>279
が、だんだんと、街中の人間が何を考えているのかわかってきと
たとえば、こんな話がある 「おまえ、先生にチクっただろ!!」
「チクったっと言うことは、自分で悪いと認めているのか?」
「・・・・。」 今に思うと、オレは、ド田舎者である
悪いことを悪いことわかっていて、悪いことをするやつなんて
いないと思っている ある日、小西と担任の服部が話し合っていた
意味不明に暴れまわる小西が、何を考えているのかわからないようだ
というよりも、小西をからかうやつらの自己弁護を、服部は鵜呑みにしているのか?
と、そのときに筆者は、思った 「1vs1で、やってみろ」
ある日、オレは言う
オレの筋ある一言に、みな黙っている 話は変わるが、「タコ」と呼ばれたやつの話をする
タコと喧嘩した話は何度か触れた
要するに、中学2年のときの、一番強いやつと
二番目に強いやつの代理喧嘩である
一番目に強いやつに着いたのが筆者で
二番目に強いやつに着いたのがタコである オレは、野球部だった
で、となりの部活が、ハンドボール部で、そこにタコはいた タコの第一印象は悪くない
部活がとなりなので、同じクラスになって以来
よく話した
挑発してくるタコに、筆者は力でねじ伏せた
言ってみれば、プロレスごっこのようなものである 2番目に強いやつはリキ(仮名)と言った
1番目に強いやつは、この前話した五郎である
当初、リキがタコをけしかけていた
その後、五郎が筆者をけしかけて、喧嘩が勃発したわけである 筆者は、タコに圧勝
このとき
人生で初めて強いやつと認められた瞬間である
と、ブログにそう書いてある
この話は、何度か書いているので省く さて、タコである
タコは、筆者に負けたことがよほどくやしかったようである 筆者は、中学卒業後、タコとは、まったくといっていいほど
無縁であった
その後のタコを知らない 中学卒業から、約10年、筆者は、高級ドイツ料理を喰べていた
高級ドイツ料理の店だけあって、ビールが美味い
筆者は、すっかり機嫌がよくなって、その後の電車に乗った すると、電車の中で、筆者を睨んでくるやつがいる
スーツを着たサラリーマンである
サラリーマンの分際で、筆者を睨んでくるとは世間知らずである 余談だが、筆者くらいになると、睨み方で、どの程度かわかる たとえば、そのサラリーマンである
豪快に睨んでくる割には、殺気は感じられない
早い話、目さえ合わしていれば、勝手に逸らしてくれる そのサラリーマンは、しばらく睨んでいたが、気合い負けしたような顔をしていた 筆者は、人の顔を覚えない
特技といってもいい
だから、そのサラリーマンが誰かわからなかった 今に思うと、タコだった
タコの誤算は、中学時代の筆者しか知らなかったことである
筆者は、その後の修羅場をくぐり抜けた
タコとは、レベルが違いすぎたのである ちなみに、中学時代、2番目に強かったリキに
筆者は負けた
卒業後も、時々、電車などで出くわしたが、
威勢が良かった
が、なぜか、ある日から、筆者と目を合わせ
なくなった 理由は、定かではない
筆者の高校時代の活躍を聞いて、恐れをなしたか
ちなみに、リキは、お水の女と結婚した
リキは、性格が悪かったが、結婚相手と歩いている姿を
見ると、愛妻家のようである 誤解を招くようだから、一応書いておくが、二番目に
強かったリキというのは、中学2年のクラスのことである
余談だが、一番強かったとされる五郎は、ヤクザになった
最後に会ったのは、居酒屋で、舎弟を何人も連れていた ついでに、高校時代の話も書こう
まず、峰岸(仮名)というやつの話をする
峰岸は、矢口(仮名)の友達だった 矢口は、札付きのワルで、1年のとき、高校を首になった
昔、暴れはっちゃくという番組があったが、最後のはっちゃくの
ような感じの男だった
矢口の話は、後々する ある朝、電車の中で、筆者は峰岸とモメた
筆者と峰岸では格が違いすぎる
みな、峰岸が勝つと思っていた
もっとも、ボクサー志願の筆者は、峰岸など眼中になく、また
こんなやつに手こずっていては困るくらいに考えていた とりあえず、峰岸と筆者のモメごとは、そこで中断した
峰岸と筆者が火花を散らしている期間、みなが楽しんでいる
無責任なギャラリーというわけである 筆者は、積極的に、喧嘩を売りに行く男である
が、相手が相手である
だから、慎重に機会を待っていた 本来、イケイケの筆者は、顔を出くわすと、スカサズ睨む男であった
が、峰岸には、スグにそれをしなかった
峰岸もまた、同じだった
お互いが、タイミング良く、目を逸らしたしていた
逆にいえば、お互い目を逸らさなかったとき、バトルが勃発するときである で、そのときはきた
峰岸は、金髪の短髪
その時代のヤンキーの髪型をしている
そして、喧嘩のタンカも、その時代の言葉である 先制攻撃は、峰岸である
筆者にボディーを一発
ヤンキータンカを交わしているサナカだった
で、まだ、筆者はヤンキータンカを言い終わってなかったので
そのあと、ボディーを殴り返した 峰岸は、不適な笑みを浮かべる
落ち着け、落ち着け、と、自分に言い聞かせているような
顔だった
その顔は、万にひとつも、自分が負けるとは思ってない風
だった その後、スカサズ、筆者は峰岸の顔を殴る
峰岸は、顔面を殴られたことに憤慨し、威嚇する
その隙に、峰岸の顔面にもう一発 再び、峰岸の動きが止まる
峰岸は、今、何が起きているのか理解していない顔に見えた
あるいは、状況判断を誤ったか 筆者は、3発目を顔に撃つ
すると、太った巨体がアスファルトに倒れる
この瞬間、峰岸の敗北が決定した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています