>>713
この内容の解釈だけど、ちょっと狭義で見る危険性があると思うな。

というか、この世はそもそも全てが攻撃性で成り立っている。
なぜならこの世は、エゴが「自分は神から離れた」という罪悪感を隠すために作った世界なんだから。

この世界は、エゴが「罪は自分にではなく、対象にある」と自分の罪悪感を自分以外に投影することにより作り上げた。
自分の罪悪感を他者へ投影するという行為そのものが攻撃性。

だから、この世で人を殺そうが人に優しくしようが、この世の振る舞いは赦し以外は全て罪悪感を他者に投影したものにならざるを得ず、また「特別な関係」にならざるを得ない。
この世では、攻撃性を持たない振る舞いや、特別な関係以外の神に基づく愛の関係は不可能。
赦し以外は。
つまり、あらゆる行為が正義の攻撃と思わせるように仕向けられたもの。
赦し以外は。

だから『正義の攻撃批判』は、一部の事柄だけに当てはめてはいけない。
そうすると、我々がこの世に投影した罪悪感を覆い隠すことになる。
今回の殺人も我々の普段の振る舞いも、自分の罪悪感を他者に投影するという点では同じで、異なるものではない。