ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 39 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、
純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで
NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が
7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ
編集・校正し出版された本です。(現在では25の言語で出版されています。)
ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、
実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。
前スレ
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 37
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1489396573/
ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 38
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1494430576/
*・゜゚・*:.。..。.:*・'邦訳出版について'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
『奇跡講座』 ワークブック編(2011/12/15)
『奇跡講座』 テキスト編(2013/07/10)
『奇跡講座』 マニュアル編(2014/06/10)
中央アート出版社から出版。FACIMワープニック博士の監督下、
JACIMの加藤三代子氏・澤井美子氏による共訳で邦訳。FIP公認版 (・ัω・ั)う〜ん
難しいけど
わかるようなきがする
ようするに
悪夢を終わらせて夢から覚めろってことだね❗ >>704
今回の事件は人がやってるから異常な感じがしてしまうんだよね。
これが例えば熊がやってて、9人食って骨までしゃぶった後の骨を巣の回りに食い散らかしてただけだったらかなり印象が違うと思うんだ。
怖いことは怖いけど怖さの質が違うというかベクトルが違うというか。少なくとも熊なら仕方ないかと思うのはあると思う。
この違いは人間とはこういうもので熊とはこういうものだという記憶に基づいて作られた観念によるものだ。
記憶がベースなので例えばこれまでの人生の大半を戦場で生きてきて常識として人が人を殺すのも当たり前みたいに思うようになってたら今回の事件もさほど驚かないだろう。
(殺す必要がなさそうなのになぜ殺したのかは少し気になるかも知れないが)。 まあ分かったつもりになって語ってるだけだけどなエゴ満載で 幻想世界では、人間は様々な役柄を宇宙の進行というシナリオの中で演じている。
神を演じるクリシュナ、戦士を演じるアルジュナ、アルジュナの敵であるアルジュナの親族達。
シナリオ出現の背景は、エゴが己の存在を維持するために、心に働きかけて分離世界と分離世界に生きる個人を作り出したもの。
自分は個人であると勘違いしたい心は、個人が生きる宇宙を作り出し、個人としての生を営むために肉体を作り出す。
肉体をリアルにするために、人生というシナリオを作り出す。
肉体をシナリオの中で躍動させるためには、幻想宇宙に悪と正義という勧善懲悪物語が創出される。
そしてエゴに乗っ取られた心は、己を正義の役柄に擬せて、正義が勝つための物語を延々と繰り返す。
悪と正義という対立軸は、神には敵がいるはずだというエゴの妄想が作り出す。
なぜなら、エゴ自身が神を敵と想定して神を恐れて逃げているから。
だからエゴによって作り出される世界中の神話は、神と悪の戦いが基本プロット。
エゴに乗っ取られた心は神話と同じように、人生というシナリオに悪と正義の戦い、つまり悪と正義の役柄を設ける。
心がこの悪と正義の戦いに恐怖したままであれば、恐れる心はいつまでもエゴを味方として選んでしまう。
なぜなら聖霊の声は、恐怖にあってはもはや聞こえないから。
戦士アルジュナは戦いを恐れた。
クリシュナは鼓舞する。
「戦えクリシュナ。敵は我に既に殺されている」
クリシュナにヨガの奥義を教わったアルジュナは「私はすべてを思い出した。」「疑いの心は晴れた」と答え戦闘を決意します。
アルジュナは、悪と正義の対立というシナリオの幻影を見抜いて、恐れを断ち切ったのです。
アルジュナは恐れを断ち切り、シナリオをシナリオとして、役柄を役柄としてありのままに認めて受け入た。
そうすれば悪と正義の戦いは、心が恐れを放棄したゆえに、自動に進行を続ける川の流れのような劇になります。
劇のシナリオ結果を果たされるものとして受け入れ、内容に執着しないオートマチックな演技となります。
心が恐れを放棄したから、次の劇を選び続けて生を繰り返す必要はもはや無くなります。 コースの説明する時間の短縮とは、こんな感じが含まれると思います。
まぁ、本当に理解できていたら私はこの世に生まれて来ていてはいないんですけどね。
今回のような悲惨で極度の恐れを生じさせる事件を通して、皆さんと学習の機会を共有させてもらいました。 豚さん🐷
牛さん🐮
鳥さん🐤
育てて殺して食ってごめんなさい。w あなたがたは、決して兄弟の罪によって
兄弟を憎むのではなく
あなた自身の罪によって憎むのである
兄弟の罪がどのように見えようとも
それはあなたが
それを自分のものと信じているという事実を押し隠し、
『正義の攻撃』と思わせるように仕向ける。
《神の使者》 >>713
質問
警察官とか検察とか、相手に罪を見たり処罰という攻撃行為をする職業の人も自身の罪を憎んでいるのでしょうか? ベストセラーになった神との対話が気に入らなくて攻撃行為をする二匹のアセンデッドマスターも自身の罪を憎んでいるからなのでしょうか? アーテン、パーサというキャラクターをねつ造し、
ACIMをダシにして銭儲けしたスピリチュアルゴロは有罪です。 >>714
そういう職業の人は法律に従っているだけだ。つまり法律に従っているかどうかを判定し違反しているようなら法律に従って逮捕や起訴をして法律に従って裁判にして、有罪になったら法律に従って罰する。
そういうことを機械的にやっているだけなのでその役を演じている個人は法律とは全く違う考えを持っているかも知れない。
つまりある警察官がある事件について犯人に対してもその行為に対しても全く怒りが起きず(法律自体がおかしいと思っており)「どうでもいいじゃないか」と感じて捜査に力が入らない、なんてことは起こりうる。
逆にやる気満々な者も居るかも知れない。まあしかし何れにしても個人的にどう思っているかは関係はなく法律に従って取り締まりをする必要があって、嫌なら仕事を辞めるしかない。 この世は幻影ではなく、神が確かに創造した神の遊び場です
では神はなぜACIMみたいなフェイク疑似宗教まで創造したのですか?
座間市の猟奇殺人も神が創造したんですよね?
神は悪魔なんですか?
教えてください、アンチさん そういや今日は死者の日でメキシコでは盛大に祭りやってるらしいな。
で、Googleのトップページがそれっぽいデザインになってる。
しかしなんというタイミング・・・ >>713
この内容の解釈だけど、ちょっと狭義で見る危険性があると思うな。
というか、この世はそもそも全てが攻撃性で成り立っている。
なぜならこの世は、エゴが「自分は神から離れた」という罪悪感を隠すために作った世界なんだから。
この世界は、エゴが「罪は自分にではなく、対象にある」と自分の罪悪感を自分以外に投影することにより作り上げた。
自分の罪悪感を他者へ投影するという行為そのものが攻撃性。
だから、この世で人を殺そうが人に優しくしようが、この世の振る舞いは赦し以外は全て罪悪感を他者に投影したものにならざるを得ず、また「特別な関係」にならざるを得ない。
この世では、攻撃性を持たない振る舞いや、特別な関係以外の神に基づく愛の関係は不可能。
赦し以外は。
つまり、あらゆる行為が正義の攻撃と思わせるように仕向けられたもの。
赦し以外は。
だから『正義の攻撃批判』は、一部の事柄だけに当てはめてはいけない。
そうすると、我々がこの世に投影した罪悪感を覆い隠すことになる。
今回の殺人も我々の普段の振る舞いも、自分の罪悪感を他者に投影するという点では同じで、異なるものではない。 逆の言い方をすれば、赦しを実現できていれば、そこに攻撃があっても攻撃は攻撃で無くなる。
相手に罪を見なくなるから。
イエスは十字架上で殺された。
普通に見れば、イエスの殺害は正義の攻撃と思わせるように仕向けられたもの。
イエスの罪状は,「ユダヤ人の王イエス」。
そして棘の冠を被せられた。
イエスという王を気取る者は罪人であり、その罪人を殺すのは正義だとしてローマ人はイエスを攻撃した。
でもイエスは、自分は攻撃されたと思っていない。
なぜなら、イエスは誰にも罪がないと知っていたから。
だからイエスは攻撃という行為がそもそもあり得ないことも知っていた。
そしてイエスはローマ人を赦した。
今回の座間の殺人やあらゆる殺戮は、奇跡の観点から見れば全て取り消されている。
赦しを完成したイエスの目から見れば、全ての攻撃に罪を見ないゆえに攻撃は存在せず、正義の攻撃と見なされた行為はは修正されている。
赦しを完成した視点からは、どんな悲惨な出来事や攻撃行為にも、罪が無いゆえに受け入れる。 座間の犯人はセックスしてから殺したらしいな
金、セックスなど幻想に脳みそを支配されているから苦しんで狂った行動を起こす
幻想は四苦八苦を生み出すから >>731
ちょw
金、セックスに興味津々って
わりと万人がそうだろw
殺しやレイプはまた別だわ >>733
つまりあの犯人と我々はそう大差はないってことだよ つまり肉体というトラップに閉じ込められている(ように見える)
しかしそれは、本当の私たちではないんだよ 肉体という確固たる形がなければそれこそ蜃気楼のように儚いものになる
肉体でない存在の方が幻影であり幽霊みたいなもの
幽霊になりたかないよね >>736肉体と肉体から見る世界がだけがリアルだと思えるんだよ
でも肉体を離れてみると、肉体だけが自分じゃないし、この物理世界は
その背後にある世界の映し(の一部)でしかないと感じるんだよ
その広大な世界ですら幻影にすぎないのかもしれないけどね
それだけ人間はこの物理世界にどっぷり嵌ってしまっているってこと
いくら本を読んで頭で理解したつもりでも、本当はわかっていないってことが多い
つまりは実感がない、自我で生きてる限りはこの不条理な夢から逃れられない あっちでの実感と、肉体に戻って(しばらくたった後)の実感のギャップがね
この物理世界に慣れると、まだどっぷり嵌ってしまうんだけど
波動が少し精妙になると、この物理世界を取り巻く別の世界を少しだけ感じるようになる
人間や動物など目に見える存在以外にも、何かがいる気配を感じる
物理世界の荒い波動にどっぷり浸っている(埋没している)間はそれを感じることが
できないから存在を実感できない、それだけだよ ただこの世界は控えめに言っても悪意と欲望に満ちているというか
そういう波動が飛び交っていて、それとシンクロしてしまうと体(霊的なボディを含め)
に悪影響が。。。
波動を精妙に保つのが難しい、だから山に籠るんだよww仙人になったら空も飛べる
(意識だけならww) すべてが赦しのチャンスだよ
イライラにのみ込まれないようにしよう ACIMは良くできてるが、残念ながら日本人にはなじみ難い面もある
「神」という言葉にアレルギーがある人が多いから
過去さまざまな悪徳カルト教がマスコミを賑わした
そのせいか、日本にスピリチュアルは「神」の代わりに「宇宙」という言葉を当てたり
www
これもひとつの世界観だからね、これだけにどっぷり浸るのはどうか?と個人的には思うな
他の宗教とか神秘学とか覚者(教師)の教えも読むと、文化によって表現が違ったり
捉え方がちょっと違ったり、焦点が違うところに当たってたりするけど
エッセンスは同じだったりする、ACIMが出版される20年も前
日本の宗教家が似たようなことを言っている、そしてその人の言ってることの方が
単純でわかりやすい、中学生でもわかる内容、あまりに単純で最初聞くとなんつーか
バカみたいに思えるが、しかしあの百科事典並みのテキストを読み込んで
理性を納得させないと、潜在意識を変えられない→想念ぐるぐるの波動が変わる
=運命が変わる、 それだけ人間のエゴが複雑になってしまったのか
そんでもって、神道っていうのは、エッセンスだけ、その周辺がまったくないという
特異な宗教、教えの宗教ではなくて、感性の宗教
日本人って不思議で、こんだけ文明が発達しているのに、先進国なのに
原始的?といったら語弊があるか、感性が残っているんだよね
それって神道が残っているからなのかも ★JACIM 質問112
回答なんとなくテキトー抜粋
分離というのは、殺意の想念です。
その想念により、神の子は、自分が神の力を横領することができ、
神から生命を盗み取ってきて、
神の愛から独立した一個の肉体の中で生きることができると信じています。
これが、あらゆる<特別な関係>の内容です。《分離の関係》
どんな関係においても、問題は、
その形態を特徴づける表面的な愛や憎悪ではなく、
心が分離を信じ続けるために
その関係(特別な外界の分離関係)を用いることを決断し、
それにより神の愛から自分(自我)を防衛しようとしている、ということなのです。
分離の関係(特別の関係)とは、
自我を選択することにより神を攻撃したことについて心が抱いている罪悪感が、
投影されたものです。
自我は
形態に焦点を合わせ、自分の不快感を『外界の何か』のせいにしますが、
聖霊は、
すべてのものごとを
心による選択[分離]を反映(投影)するものと見なすようにと、私たちに求めます。
>>741
http://www.jacim.com/acim/?page_id=197 日本人はそもそも「神との分離」とか「神に背いた」実感がないもんなぁ
そのことを恐れてエゴは終わりがある(死ぬことを約束された)この物理世界を構築した
スピリットであることを否定して物質界を隠れ蓑に神を遠ざけた…
そのことに恐怖と罪悪感を感じる…ってのはキリスト教徒が基礎になければ
ピンと来ない思想体系でさ
日本人は近所に神社があって、初詣にお参り、お宮参りに七五三、結婚式挙げる人もいるし
神様と近いんだよww罰当たりなことしちゃなんねぇってよ ↑訂正、信念体系の基盤にキリスト教がなければ、ピンと来ないって書きたかったの
日本人は…年寄に「罰当たりなことすんなぁーーー」と叱られながら
地域の神社を遊び場に育ったりしているし、神様に恐れよりも親しみを感じてる人多い
まぁ立小便防止に鳥居の絵を描いたいるするからww畏怖の感情も持ち合わせてはいるが
西洋人のそれとは比較にならない
それにキリスト教圏のGODと日本語の神は違う、ニュアンス…言葉の範囲?
自分はへっぽこミッション高校に通ったからキリスト教を少し知ってるけど 膨大なテキストとワークブック(こっちは心の訓練もかねているが)は
想念ぐるぐるの恐れや罪悪感をなくすために新たな信念体系で上書きする仕組み
なんだけど
>>745
霊的な導きを受けるには、波動が粗いと精妙な波動とシンクロできない
つまりは導きが来ても聴けない(わからない)
だから心の波動を上げる必要がある、イライラ、怒り、不平不満、恨みつらみに妬み
こういった低い波動域に埋没していると、心に光のエネルギーが入らない
最近の自分には閃きがない…イライラしているし、神経に触る・・・がいるからww 天候がいいし、ちかくの公園などに遊びにいくといい
木々や花々、水の流れ、生き物たちを眺める
たくさん歩く
イライラが軽減すると思う 心の波動を綺麗にして本心(本質)が顕れるのにまかせる、神道の仕組みってさ
何気に凄いんだよ、罪穢れを清めて、光を呼び込む
別に神道を信仰しろとは言わない
信仰って埋没だからww、何でも埋没したらいけないんだよww オオクニヌシのミコトとか
明治神宮は明治天皇が神様だね
靖国神社は何の神様だっけ?
あと、大黒様とか恵比寿様とかも神社の神様だっけ?あれは仏教か?
あっそっか、神社って基本的に先祖が神様なんだっけ?
神話に出てくる神様、
まあ、いろいろあるよね! 世界はない❗
これが『コース』が教えようとする中心的な考えだ
★レッスン132★ 違うか人類を救うために、でもそれによってこの幻の世界も救われるでしょ う〜ん
まぼろしだからね
どうせなら幸せなまぼろし体験してみたいとも思うけど
無理でしょ
てか、幸せなんて続かないでしょ
お釈迦様だって
この世界は忍土の世界と言ってるし
元々の四苦八苦の世界なんだし
まあ、みんなこんな世界で幸せになるために必死で働いたり選挙したり戦争したりしてるわけだけど 自分で自分を救うしかない
幻想世界では真の意味では何も助けてはくれない
幻想には真の意味で助ける力はないからだ
幻想に苦しみぬいて幻想に飽きる時が来ないと救われないだろう
幻想に夢中になって幻想に執着している者を救えるわけがない おー神よ
私は永遠に
あなたに
寄生します
神にパラサイト❗
https://i.imgur.com/GBSrcUI.jpg お〜神よ❗
私は今まで一度も
あなたと
離れたことは
ありませんでした、
これから先も
ずーっと永遠に
ひとつです。
https://i.imgur.com/fzubVu8.jpg 私は神と完全に融合している
分離は一度も起きていない
というよりも実際には何も起きていない
なぜならこの世界は単なる分離感/罪悪感の投影でしかなく、実際に起きていることではないからだ >>759
https://www.youtube.com/watch?v=Q-D9fJFsSa0
想念ぐるぐるを自分だと思っていうちは、自分で自分を救うことはできないよ
ひとつの問題を解決したとしても、別の問題が持ち上がる、それが人生だww
自分が本心(直霊、分け御霊、本質、全知、等々と呼ばれるもの)だと悟らないと
それを解脱と言うんだろうけど、それが難しいのよ
想念ぐるぐる(信念、観念、世界観、価値観、あとは厄介なのは感情の癖、
自我の防衛、くだらないプライド、にどっぷり浸かって・・埋没しているから)
五井先生の本は昔立ち読みしたことがあって、あまりに単純でバカバカしいと
あの時は読む価値ないと結論づけたけど、ACIMだってあんだけの分量あるけど
ほとんど同じことを言ってる、一番わかりやすいかもしれない
ただ世界平和の祈りで本心に到達できるとは思えないが 肉体はいずれ滅びる、それと同時にエネルギー場(オーラと呼ばれる卵型のフィールド)も
崩壊して消える、老齢になると少しづつこれが壊れる、酷いと人格が変わったりする
これをボケというwwでも壊れるのはこの世に近いところだけで
想念ぐるぐるの方は別の世界の転生する、そしてこれが浄化されるまで3界をぐるぐるする
膨大な量のテキストやワークは、想念ぐるぐるを上書きし、心を訓練するためにある
まぁインドの山奥で修行するよりは易しいが、直接体感するまでは本当の意味では
わからない、頭つーか理屈で「わかった」としても、わかったことにはならないからな 現代人はまず理屈で納得するまでは、心を開かないからな
心より頭を信じるように教育されているから
頭でっかちな現代人向けでもある、あと基本キリスト教の概念がある人向けだな
わかる、というのも色んな段階というか、わかり方がある
頭でわかる、これが一番浅いww
頭では(理屈は)わからないけど、なんとなくわかるとかね
物凄く深い部分でわかる、ってのもあるし
ハートでわかる、身体でわかる、色々あるがな
でもまずは頭を納得させないと現代人は始まらない、良く考えられているよな
すごくよくできてるが、体現できるか否かは… なるほどね、
祈りは人を浄めます
祈りは人を高めます
祈りによってホトケを動かし
祈りによって神を動かし
祈りによって天地を動かして
世界平和を実現せねばならぬ
わたくしは今、
その思いに
燃えつつあります❗
って言ってた坊さん思い出したw 想念ぐるぐるって表現いいね❗
気に入った
スレチだけどw 想念ぐるぐるはACIM流に言うとエゴの思考体系とそれが作り出した幻の世界 この世界に生きるということ自体が狂気なのですから…
目覚めましょう 昨日も
赦しという目的の為に、
ココロを癒やすことに焦点を合わせてみました
(๑•́_•̀๑)(。•́_•̀。) 見事な負け犬エクスキューズですねオマエラ
ACIMの分厚いテキストを要約するとこの一言ですんじゃいますねオマエラ この世界が
実際に
どこから生まれているのか
理解していなかったし、
その理由も
わからなかった❗❗ 2017年11月14日に発売されたゲイリーの4冊目を原書で見ているから、それでも報告しておく
イエスとブッダは紀元前700年の日本で、イエスはさか、仏陀はひろじという名前でお互いを知っており神道を信仰しており天皇につかえてたとよ
そしてめぐみという女性に二人とも惹かれていたとのこと
あと老子の時代の中国でも2人は一緒だった
今読んでる最中だから 読んだらまた報告するね >>787
すごいじゃ〜ん!
ビックリ!
それにしても
原書読める人すごいな〜
報告ヨロ。 縄文時代は紀元前???
歴史わかんねーだよ
(T_T) >>789
縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)
らしいよ、ググってみたよ。 イエスとブッダは老子の時代サイキックで千里眼をもっていた
40回も前世で一緒だった
老子の時代イエスはシャオリという女性 仏陀はウーサンという男性
二人とも超能力を使ってたずねてくる人々に欲しいものをどう手に入れるか教えていた
シャオリとウーサンはティーネージャーの時恋に落ちて結婚したが、彼らはもっと経験すべことが知ることがあると感じるようになる。
シャオリとブッダは真実を知っているという老子のことをきき、彼に弟子入りした
そして老子はイエスとブッダにこの世は幻想だからこの世の欲望をすてれば、ワンネスを感じることができるといったが
かえってそれがこの世界をリアルに見せてしまったので、仏陀は中道というスタンスをとるようになる。 ぐぐった
弥生時代の初代天皇あたりの話かな
縄文時代が1行で3万年とんでてワロタ
勉強になりました
無限にパラレルがあるなら歴史の勉強は意味ないと思ってきたけどどうなんだかね >>791
へ〜
仏陀はいきなり幻想スタンスでかえって世界をリアルにしたため
今度は中道を採用したのか
ふ〜ん。 イエスとブッタはもう6回も人生を送ってるのかあ
俺らも何回も生まれ変わってるはずだがちっとも成長せんなあ
幻想に過ぎない世界の中でどう生きるか参考になるんで早く翻訳してくれい そうだね、
イエスはコースで幻想と断言してるね
そこがハッキリしててわかりやすいね
仏陀は中道とか空とか少し曖昧なわかりにくいハッキリしない表現だね 老子は瞑想を毎日の修行として実行しろといった
ウーサンは体の認識を失うようになり、ほかの人はみえないようになっていった
このことをシャオリに報告したが老子には報告しなかった。
6年間老子といっしょにいたが、その後わかれたが、老子にはとても感謝していた
シャオリとウーサンには4人の子供がいたが、一人は小さいときに死んだ。
ちなみに老子は紀元前600年ぐらいで、孔子が出る50年と書いてあるが、アーテンとパーサは歴史家の見解とは異なるがそれが事実だと注釈している。
インドで紀元前500年にも2人は一緒だった。イエスはハリシュ、仏陀はパドマジでいとこ同士で大きい村で近所に住んでいた。
彼らは敬虔なヒンドゥー教徒になるために育てられた。
ハリシュは俗物的なことが好きでギャンブルやったり女と浮気したりしたが、パドマジはそんなことに興味なかったが、二人はよく一緒につるんでいた。
ある日ハリシュがギャンブルで大勝ちしてると、一人の男がいかさまだと主張し、喧嘩が始まって、そのいざこざでパドマジが刺される。
すぐに近くの医者に診てもらい傷を治すと、その医者からある聖なる男のことを聞く。この件で自分を反省したハリシュと傷が治ったパドマジは、その聖なる男を探しに行く。
そしてこの聖なる男のこの世と体は幻想で、その先にあるワンネスを感じろという教えと、なにか気に入らないことをしたときなにもしなかったら赦すんだという教えが、のちの仏陀とイエスの真の赦しの教えの土台となる。
だが2人は自分の体にあまり関心を払わないというスピリチュアルにあるよくミスをしたので、長生きしなかったとさ。 >>797
ふ〜ん、
いわゆるイエスと仏陀の前世物語だね
おもしろそ〜
3冊目よりおもしろそ〜だ❗w
イエスと仏陀の「君の名は」みたいなやつか(笑)
早く翻訳されないかな〜
ナチュラルスピリットさん! >>797
>なにか気に入らないことをしたときなにもしなかったら赦すんだ
悪いけど意味よくわからん
本当はなにもしてないんだから赦すってことか? >>800
コースにあるように、あなたがしたことは実際には起こってないから赦すということ
ドラゴンボールでベジータがいくら人殺そうが、神である鳥山明のレベルでは実際には起こってないので赦せるみたいなことだとおもう
あとだいたい40%ぐらい読んだけど いちいちメモとりながら読むのがつかれたので、また今度にします。
ちなみにイエスとブッダは紀元前500年 プラトンのアカデミーで学んだ人生があるみたい。
ばいちゃ っていうか英語読めない人でもキンドルでゲイリーの本買って
スマホで英文映して、日本語にすれば読めちゃうよ。
そういうアプリあるからね この人は凄いあの人は凄いと人を分離させた上で発生する思考は、それに比べて自分は凄くない、
しかし自分はあいつよりは上、のような思考をも発生させてしまいかねず、単にエゴの強化させる
事にしか繋がらないかも知れない。
宗教団体で教祖を持ち上げて他の宗教を悪く言うとか、政治団体で党首を持ち上げて他の党を悪く
言うとか、こういったことは宗教関係かどうかに関わらずそこらじゅうで起きており、全く何の足しに
もならないばかりか分離幻想を促進して苦しみにしか繋がらないことは考えるまでもなくわかるだろう。
山の上にある石と山の麓にある石はどちらが偉いか?そんな思考に振り回されているのと同じようなものだ。
これはどちらも同じでありどちらが上と言うことはない。「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」は
本当に最初から完全に実現できている。
ただ人間の待つ妄想のフィルタがこちらが凄くこちらが凄くない、こちらは良いがこちらは駄目、
これは美しくこれは醜いという幻想を見させているに過ぎない。そんなものは最初からないのだ。 >>802
は〜
なるほどね
その手があったか
お疲れサンクス! >>803
流石すご〜い
緻密な分析。
あっ、またヤっちゃった(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています