晴佐久神父は数少ない「キリストの霊」が宿った聖職者の一人だと思う。聖書は知的にではなく
霊的レベルで読むべきものだと思う。偽善神父や牧師の説教に愛が感じられないと言わ
れるのは「キリストの霊がその人の心に宿ってない人はクリスチャンではない」(ロマ書)
との聖書の言葉を実現していないからだ。

晴佐久神父は神と共にあるから多くの人を引き付けることができる。非難・中傷する人々
の中に同業者が少なくないと思うが、多くは嫉妬から来るものだね。醜い人たちだ。
「嫉妬は人間の本性の一番悪い性質だある」(C・ヒルテイ)