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踏み絵がその偶像崇拝そのものではないにしても、偶像崇拝の心理に近いものではないかな?
また踏み絵が「棄教するのか」「あなたはキリスト者なのか」という問いかけだとするのも賛成しか
ねるな。真のキリスト教の救いとは何かを突き詰めれば「その人の心に神の霊が宿ること」(ロマ書)
とに尽きる言える。さらに、

「生きているのはもはや私ではない。キリストが私の内にいきておられるのである。」(ガラテヤ2−20)
「今やあなた方は聖霊様を頂きました。聖霊様が心の内に生きておられます。ですから、何が正しいかは
聖霊様が指示して下さいます。」
福音書には多くの信徒たちが艱難辛苦を通して聖霊の宿りを受けていく生き様が描かれている。
聖霊の宿り(回心)の体験は別に教会に行かなくとも神を信じる心さえあれば可能である。もし、このように
霊的に内的進化を遂げた人が神の霊が宿っているとは思えない踏み絵を強要されてもほとんど何の意味
もなさないだろう。
踏んでもその人の心に宿った聖霊が出ていくはずがない。