>今も日本にいる、「踏むか、踏まざるべきか」の二元論で苦しんでいる日本人たちの現場に私もいるわけです。
>そこに横たわっているのは、原理主義的な恐ろしい教えです。原理主義は二元論的です。
>この魔の手から救い出すのは難しいことで、本当にパワーが必要で大変なのです。
>「この教えを信じなければ救われない」という原理主義、分断主義によって、みんな心を病んでいます。

申命記5:9-10
「それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、
わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」

ヨハネによる福音書 3:36
御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、
命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

マルコによる福音書の最後、第16章
そして彼らに言われた、
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」

あげればきりがないが、これがキリスト教の神である。

>「この教えを信じなければ救われない」という原理主義、分断主義によって、みんな心を病んでいます。

このように心を病ませるのがキリスト教の神であって、
それを否定するならキリスト教ではない。
天国は狭き門で、少数しか救われないと新約聖書に書いてある。

晴佐久神父は破門されるべき。
今の教皇の間は破門はなしであるとおもうが、
カトリックではないものを布教するなら、カトリックの神父をやめるべき。