>>35
その通りだと思います。
私のように10代で入信する場合、自分の意思ではなくて大人に流されて、正誤の判断ではない義務感です。
それがやがて社会へ出るころ、社会人になってから入信してくる人との違いを感じます。
彼等は自分の意思で研修を受け、納得の上で組み手になります。
敷かれたレールの上に載せられ、それが当たり前の中で育つと、ロクな反抗も出来ないまま大人になります。
だから間違いに気づいた時、すでに引き返せない。
学生の頃の友達以外、自分には組み手の知り合いしかいないのですよ。
幼馴染も友達も、周囲の人間関係はほぼ組み手で占められるので、外の人間とのコミュニケーションの取り方がわからない。
職場の同僚とも仕事以外で付き合いはなく、休日の楽しみ方も遊び方も真光中心です。
優先順位が真光で、仕事も学校も二の次にさせられ、それが当たり前の世界。
実家を離れ、社会を知り、冬眠を経験して、初めて一般社会を経験します。
人並みの生活を知るのです。
そこで初めて疑問を持ち、不自然さを実感します。
だから、社会人になってから組み手になる人と、10代から組み手では全く感覚が違います。
結婚、出産育児を得て、世間とのギャップを知る人もいますよ。
逆に子育てや嫁姑の悩みから、真光に傾倒する人も。
そう、距離感が違うんです。
感じ方も違うし、考え方も違う。
組み手に変わった人が多いのは、初めからずれてる人と、ずれた価値観の中で育った人がいるからです。
初めからずれてる人には違和感が無く、ずれた価値観が当たり前の人には、その違和感がわかりません。
器用な人は、そのズレ感を使い分けています。