日本には、記紀と同じ神話時代を記した「古史古伝」と称する古文書がいくつもある。
それらは写本を繰り返して現代に伝わっており、その成立年代は記紀より古いとされているのだが、それらの
ほとんどを「偽書」と決め付けているのである。

写本といっても軽く見てはならない。

1 記紀でさえ原本は残っておらず、東京・永田町にある「国立国会図書館」に保管されている記紀も写本である。
2 印刷技術のなかった当時、湿度、虫食い、年月の経過等で傷んだ書は、写本するしか手段がなかった。
3その古史古伝で代表的なものは、何と言っても武内宿彌の子孫が受け継いだとされる『竹内文書』であろう。
4『古事記』には、宿禰は異様なほど長寿で、第12代・景行天皇に始まり、第13代.成務天皇、
5第14代・仲哀天皇、第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇までの5代の天皇に、244年間にわたって仕えたと記されている。
それ自体が常軌を逸しているだけに、宿禰の子孫が代々同じ名を継承したとする説が有力視されている。

他にも『竹内文献』と並ぶ古史古伝が全国に伝えられており、富土吉田市の「浅間神社」ら出てきた『宮下文書』は、
日本の神々の発祥をアジア大陸と記している。そして、聖徳太子が蘇我馬子に命じて撰述させた『先代旧事本紀』は、
第3の国史として、 今では物部氏の歴史を知る上で欠かせない一書とされている。

時代は下って江戸時代の書『東日流外三郡誌』には、古代の津軽地方にいた阿蘇辺族に津保毛族が混血し、その後、
神武天皇に敗れた邪馬台国の安日彦と長髄彦が合流した等々、記紀にはない東北地方の歴史が記されている。

それだけではない。
秋田県の「唐松神社」から出てきた、物部氏の記録が詳細に記された『物部文書』があり、和歌山県の「熊野大社」の
宮司職を勤める九鬼家に伝わっていた『九鬼文書』なる古史古伝も存在する。特に『九鬼文書』は、神武天皇以前の
王朝として、『竹内文書』と共通する「鵜葺屋朝」の存在が記されている点で、注目すべきだろう。