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在日の新ビジネス ワンステップスクール伊藤学校 校長 廣岡政幸 > ご自身が在日韓国人であることを隠すことなくはっきりと明言されました > 嘘だと思われるのでしたら廣岡政幸さんにお会いする機会があったときに伺ってみると良いです 815 :名無し専門学校:2017/04/23(日) 15:41:19.44 ネットの廣岡信者の主張を見ると、確かに無職/ニート/ひきこもり(ネトウヨ) に対する、強い憎しみがあるみたい。言葉では更正を願ってるようだけど、 子供を入れたらいじめで殺されそう。 > 773 :名無し専門学校:2017/04/09(日) 12:54:01.39 > > 602 :名無し専門学校:2017/02/04(土) 05:45:15.08 > > ネトウヨ=無職・ニート・ひきこもり=社会悪 > > だから俺達は悪くない > > みたいな論理破綻した在日論はよくネットで見かけるけど・・・ > > その在日の妄想を正当化するための広告塔として > 祭り上げられたピエロが廣岡政幸 それにしても客観的な史実に対して【自虐史観】呼ばわりって、失礼甚だしいわな…… 韓国からモノを教わった時代が有ることは、どうあがいても引っくり返せないのだし、 じゃあ在ったことを無かったことにせえ云うんか? んなアホな(笑)(笑) コイツらの脳みそが、教えた奴は偉くて教わった奴はダメ人間くらいに思ってる証拠だな。 実に下らん価値観だわ。そんな低次元な思考でモノ作りなんてできるわけないし、 昔の人はもっと謙虚で木訥で自由な精神を持ってた筈だ。 有田焼や九谷焼の染付けや萬古の赤絵なんて、どう考えたって中国陶磁器の影響下にあり 明らかな後発概念なのに、それを無かったことにするつもりか?呆れてものが云えんわ…… どんだけ自分よがりなんだよ。いい年して妄想に甘えてんじゃないよ みっともない…… 大人なら もうちょっとしっかりしろ! >272 葛葉 >あとね、弓月君より前に徐福一行が来日してるよ。 徐福を知らないの!? >>269 >『秦氏(Wiki)』 >『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で、応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)が祖とされる 徐福は知っておりますが、>>269 は秦氏のことを書いております。 >272 あ〜ちなみに、>>245 は私のレスだわw ご指摘の通り、スレ主と間違えました。 (還暦) >>273 俺が書き込んだことは歴史的事実だぞ? 5千年以上前には日本が半島や中国に技術を教えていたが、壊滅的な地震や噴火が続き、紀元後は半島や中国から 技術を逆輸入した、というのが近年の発掘等の物証を伴った歴史的事実でしょうか。 >韓国からモノを教わった時代が有ることは、どうあがいても引っくり返せないのだし、 >有田焼や九谷焼の染付けや萬古の赤絵なんて、どう考えたって中国陶磁器の影響下にあり それは紀元後の歴史的事実だということです。 >昔の人はもっと謙虚で木訥で自由な精神を持ってた筈だ。 君の言う通り、一万年前の日本人(倭人)はそうでした。その子孫ですから誇りを持って頂戴。 神武天皇以降で記紀の編纂の頃までに、太古の日本史や技術書を焚書した勢力がいたようです。 1世紀には存在した原始キリスト教文献群を焚書したのは、アタナシウスら教父達だったように。 最近では日本の教育を自虐的に変えたGHQのように。 >>279 では、紀元後の歴史認識は自虐史観じゃないんだな? 悪いが妄想史観を元に検討違いな誇りを持つことはできない。 僕ら陶工の誇りは、中韓からの技術の継承と応用、そしてそこから脱して新たな日本の 焼き物を作り続けることの二点にある。 【守 破 離】こそ至高。 僕ら陶工にとって中国は尊敬すべき父であり韓国は尊敬すべき兄だ。 そして同時に、日本の焼き物は世界的に誇るべき焼き物である。 誰が元祖であるか、などということは所詮些末なことである。 礼儀として中国と韓国の技術者と製品に敬意は払う。 しかし現在の日本の陶磁器は中韓に負けない表現力と存在感がある。 いや、数百年前から日本にしかできない表現において中韓を抜いているとさえ思える。 誇りとは、こういうことを云うのだ。 更に、本スレ>>4-5 の葛葉さんの書き込みで竹内文書の内容が嘘っぱちだと結論が出ている。 >>278 アンタ、徐福一行も帰化人だよ。 大人から子供まで、数百人から数千人とも言われる民族の大移動で移住。 移動した先々で文化交流し、途中、一族の者を残して西から東へと移動した。 だから各地に徐福の墓や徐福一行の痕跡があるんだわ。 因みに物部氏と賀茂一族も秦一族であり、徐福一行もそうだよ。 秦氏というのは、様々な氏に変わっているし、一種族だけの呼称じゃないよ。 何世紀にもわたり、一族というか、民団を率いて移住しているのが彼等だ。 一般的には秦の時代以降の移住者だと思われているが、実はもっと前から移民団は日本へ来ているよ。 勿論、千三百年前には高句麗が滅ぶ時、一族を率いて日本へ渡ってきた人々もいる。 こうして日本各地には、移民たちが大勢移住して土地のモノとなり、文化や技術を伝えたんだよ。 あ〜そうそう、日本へ移住した一団はね、何も半島からの移住者だけではないんだよ。 大陸側からの移住もあるので。 中国は、黄帝(後に皇帝と呼ばれるようになる)というが、その子孫というか一族を黄一族と言ってね、三国志以前に日本へ渡ってきてるんだわ。 その末裔が紀氏といわれていて、黄から紀に変化したのだとも。 なので、今でも中国人は日本人を黄一族の末裔というんだよ。 徐福は、こうした言い伝えを元に、日本各地を訪ね歩いたとも言われている。 こういう歴史を知らずして、アレコレ言うのはどうかと思うぞ。 そもそも鋳造の技術、金銀銅の鉱山の採掘等は、大陸から伝わったモノだよ。 丹生都比米神社がある地域は、元々鉱山があり、採掘場だったと言われている。 同時に同じところに弘法大師空海の伝説も多数あるんだわ。 空海と言えば、真言密教を唐から持ち帰り、広めた人物。 土木工事や薬草などの知識を持って、日本各地を救済した。 それもすべて中国に留学して得た知識と技術。 インチキオカルト爺のいう「自虐の歴史」って何なの!? これ等もすべて自虐の歴史なのか!? おっさんバカなの!? 全然詳しくないんだけど、日本人のDNA的には長江付近とか、 遠くはコーカサス地方とかでしょ? ええ大人が、真説 竹内文書とか言うてる場合なんやろか…… 蛇足だけど、ユンケル黄帝液の黄帝は、中国の帝王の意だよ。 由来は、中国の漢方医学の祖らしい。 ユンケルはドイツ語の貴公子って意味だそう。 つまり、東洋医学と西洋医学の両方から名前を取ったってこと。 で、日本人のルーツは>>289 のいう通り。 なので、中国人が言う黄氏の末裔というのは本当。 黄一族とは、三国志以前の中国を治めた皇帝のことで、世界有数の水軍を持っていたと言われる。 この水軍の末裔というのが水上水軍や熊野水軍であるという言い伝えがあるよ。 紀元前の昔から、こうした海上交通を開拓した一族が居て、日本とも貿易していたという話。 日本で海人というと安曇や海部、雑賀一族が有名だけど、彼等もその末裔だと言われている。 何も半島からの渡来人だけが日本へ渡ってきたわけじゃない。 本当、インチキオカルト爺は無学だよねえwwwww 組み手の悪い癖は、頭から研修内容を疑いもせずに信じ込んでいること。 100年程前に流行った竹内文書を頭から信じ込む。 普通はね、「あ〜そんな古文書もあるんだねえ」的な感覚でいいんだよ。 で、他の国やら地域の古文書が出てきたら、嘘か本当かは専門家に任せ、「そう言うのもあるべ」で読んどいて、知識として持っておけばいい。 なのに「日本人は世界の中心」的発想に縛られ、他が見えなくなってしまう。 それじゃ、修正できなくなって当たり前。 大体さ、歴史なんて新しい発見がある度変わるんだよ。 例えば、聖徳太子は実在しなかったとか、明智光秀は徳川家の参謀で、天海和尚として生きていた…みたいな説もあるでしょ。 でも、歴史なんてそんなもんよ。 キツネおばちゃん、三國志の前の黄氏とヒスイを加工した五千年まえの 日本人とどちらが古いか俺らにだって分かるじゃん。(笑) まして縄文人が揚子江なんて変じゃん。(笑) >>293 そんなこと どうでもいいから黙ってその辺の道端で寝てろよ オ カ マ 乞 食 (笑) >>204 還暦 >昭和28年から慶応義塾大学などによる学術的な発掘調査(スレ主の大好きな一次資料)が行われました。 >縄文時代中期(紀元前3千年〜2千年)の大型住居跡(直径約1メートルのクリの巨木使用)や大人用の墓が56基検出されました。 >出土した漆器は縄文時代の前期中頃(約5,500年前)のものです。 >>288 葛葉 >中国は、黄帝(後に皇帝と呼ばれるようになる)というが、その子孫というか一族を黄一族と言ってね、 >三国志以前に日本へ渡ってきてるんだわ。 >>290 葛葉 >で、日本人のルーツは>>289 のいう通り。なので、中国人が言う黄氏の末裔というのは本当。 >>291 組み手の悪い癖は、頭から研修内容を疑いもせずに信じ込んでいること。 『黄帝(Wiki)』 黄帝(こうてい)は、神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。 また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年〜紀元前2448年) 神話伝説上の黄帝ですら、実際発掘の「三内丸山遺跡」と同時代で、最古の漆器よりはずっと後世の人ですよ。 葛葉さんとスレ主は『真光史観』を批判しているうちに、『中華一番古い史観』に傾倒しているのではないでしょうか。 まして三国志は180年頃 - 280年頃の歴史ですよ。 太古からの『中華一番古い史観』の工作員達に騙されてませんか。疑いもせずに信じ込んでいる。 徐福が何故日本に来たと思いますか? 中国には無い知識や技術があると思ったからでしょう。彼は日本を「当方の三神山」と呼称しております。 元 彼は日本を「当方の三神山」と呼称しております。 改 彼は日本を「東方の三神山」と呼称しております。 今の世界史で最も古い文明はシュメール文明。 中国史に日本の事が書かれている。 黄帝は五帝の中でも逸話が多く様々な伝説が残っています。 黄帝は紀元前2717年に生まれて紀元前2599年に亡くなったとされ、 古の華夏部族連盟の首領で五帝の筆頭でもあり中国の人文の祖とも言われるように様々な発明を行ったと伝えられています。 黄帝は少典と附宝との間に生まれた子で、本姓は公孫と言いましたが八大性の一つである姫に改姓し姫軒轅(き・けんえん)と称しました。 軒轅の丘に住み軒轅氏と号し有熊に都を建設したので有熊氏とも称されました。 また、黄帝を帝鴻氏と称す人もいました。公孫軒轅という記述も見かけます。 有熊は河南省にあったと言われており、父の少典がその領主でした。 少典はもともとは伏羲(ふっき)や女媧(じょか)と言った三皇たちの直系の子孫です。 日本で言うところのイザナギとイザナミでしょ。 その子孫で、日本最初の天皇が神武天皇。 その中国版の物語だよ。 日本の紀氏は、黄→姫→木→紀と変化したとも。 紀国の紀は、紀氏の納める国だから。 木の国が紀になったとも。 いろいろ説があるが、大陸からの渡来説が有力。 和歌山も和歌から付けられた説がある。 が、高野山にある丹生都比売神社の祭神であるワカルヒメノミコト(丹生都比売大神の別名)から来ているとも。 この地方には、山東という地名もあれば、大陸との交流の後があるという。 また、百済や新羅の渡来人も神武東征以前から住んでいた。 丹生都比売大神とは、水神・水銀鉱床の神である。 丹生都比売大神は、天照大神(別名を大日女という)の妹神ともいわれる。 その他、ホツマツタエでは男神であるアマテル(天照大神)の幼名をワカヒトといい、その妹神であるヒルコの別名が和歌姫であったという。 そこから付けられた県名が和歌山である。 この丹生都比売神社の神主が紀氏の末裔。 898マンセー名無しさん2017/08/19(土) 19:02:22.02ID:v2tPSu54 裏社会の情報きた 村西とおる氏 「(前川喜平氏が通っていた歌舞伎町の恋活バー・ラブオンザビーチは) 住吉会加藤連合の島内で、前川さんは住吉会に大変貢献している。 ここは身の上相談するような場所じゃない。6、7割はプロ。 その半分位はホテトル嬢の待機場所。素人はほとんどいない。」 https://twitter.com/sumerokiiyasaka/status/898513562942849024 日本で祀られている神様の多くは外国産だよ。 もしくは渡来系だからね。 天津神とは、渡来の神々であり、国津神が国産の地元の神様。 >>296 >中国には無い知識や技術があると思ったからでしょう またまた勝手なコトをほざくな。 全然違うから。 言ったよね、徐福は秦の始皇帝の命で不老不死の妙法を探しに来たの。 大陸には、東の果ての島国に神仙郷があると伝えられていたから。 日本の富士山は、不老不死の不治と伝えられているそう。 病が治るのではなく、病も老いも無い方ね。 NHK TVドラマ 悦ちゃんを見ていたら 悦ちゃんが「ガッテン朝鮮漬け!」という セリフがあって吹いたw >>302 >大陸には、東の果ての島国に神仙郷があると伝えられていたから。 そりゃ、96メートルもある神殿(出雲大社)のあった文明国(神国)だからでしょう。 【ヨハネスブルグ青人民尊】 【インドチウラニア黒人民尊】 【ヨイロパアダムシブヒ赤人祖氏】 【アフリエジプト赤人民尊】 【ヒウケエビロスボストン民尊】 【天支黒人尾瀬阿児安尊】(アメエタイクロヒトオセアニアソン) ↑↑↑↑↑↑↑↑ バ カ か オ メ ー ら は (笑) しっかりしろ馬鹿もん!! こういう妄想を抱くことが、日本人の誇りだとでもいうんすかね(笑) >>304 はいはい、また適当な事を…。 徐福が来日したと思われる三世紀ごろ、出雲大社はまだありませんよ。 出雲大社の創建は4〜8世紀の頃と言われています。 創建は大和朝廷であり、出雲では熊野大社の方が古い。 >そりゃ、96メートルもある神殿(出雲大社)のあった文明国(神国)だからでしょう あと、出雲大社は96メートルではなく、50m弱(49m)だったという話。 三内丸山や出雲大社の話をしてるのに竹内文献で茶々を入れるスレ主じゃん。(笑) 49メートルは立て替えられた第二神殿じゃん。(笑) 次ぎに立て替えられた時は更に低くなったじゃん。(笑) もしこれを当時の軍部が信じてたとしたら、いや、実際に一部の軍人は信じていた訳だが…… 日本人は、今までの日中戦争への解釈を改めざるを得なくなることは間違いないだろうな。 実際に日本人の南進北進願望は、明治の頃からあり、南進ジュブナイル小説の黎明でもあった。 そしてそれの発展形が竹内文書であり宇宙戦艦ヤマトっていうね 七三世・武内宿禰との一問一答 正統竹内文書の内容とその性格について竹内睦泰氏に話を聞いた。 Q この口伝継承が始まった経緯は。 A 原日本人に対する侵略者である武内宿禰が、原日本人からその歴史と秘儀を奪ったのだと思う。 原日本人の歴史はおそらく、神代文字で書かれていたのだろう。もともと天皇と古神道とは関 係がなかった。それが現在、関連付けられているのは、原日本人の歴史と秘儀を奪ったことと 関係があると思う。そうして作られた歴史や秘術を正統竹内家が口伝で継承していった。 Q 原日本人の歴史が改竄されたということか。 A そうだ。最初は古神道と天皇を結びつけるという意図も働き、その後も口伝継承していくうちに、 伝言ゲームではないが時代とともに改竄されていったと思う。祭主が勝手に改竄・挿入したケース もあったと推察される。それでも原日本人の歴史は正統竹内文書の中に残っている。改竄されたと いっても、それがネタ本だからだ。正統竹内文書は茨城に伝わる竹内文書よりもましだが、私自身 は偽書だと思う。それでも真実の歴史が含まれているのではないか。 Q 巨麿が公表した竹内文書はニセモノか。 A 明らかにニセモノだ。巨麿一人ではできないから、酒井勝軍らが改竄を手伝った可能性がある。 しかし巨麿の竹内文書も、元となるネタ本があった。それが正統竹内文書だったのではないかと思う。 巨麿がどうやってそれを手に入れたのか。あるいは正統竹内文書の一部を盗んだのかもしれない。 正統竹内家は南朝の皇子を富山にかくまっていたこともある。富山に竹内家があったのは事実だが、 巨麿自身は竹内家とは関係のない人物だった。私は巨麿はサンカの出身だったのではないかと思って いる。だから神代文字の中のサンカ文字は読めたのだ。 Q 正統竹内文書も偽書であるとする根拠は。 A やはりキリストが来日したとか、神々が宇宙から来たとか、日本が世界の中心だとか、ストーリー が荒唐無稽だということだ。もちろん、それらが真実であった可能性もある。そうでなければ、秘授 口伝をめぐり殺されたりすることもなかったろう。正統竹内家の秘伝には、あくまでも門外不出だった。 しかも口伝でなければならず、文書化することも禁じられた。平群真鳥は、それを文に残そうとして殺 されたのだ。戦国時代の竹内季治も織田信長を中傷したことや反キリスト教運動をしたことなどの理由で、 見せしめのため信長に殺されたが、その背景には正統竹内文書をめぐる戦いがあったとされている。 竹内神道は門外不出で、口伝自体がご神体といっても過言ではない。 私がそうした正統竹内文書を公開しようと思ったのは、たとえ偽書であっても、偽書を悪と決めつける 風潮が許せなかったからだ。偽書の中にも歴史推理のヒントは含まれている。 『古事記』だって似たようなものではないか。 Q キリストの来日は、正統竹内文書ではなんといわれているのか。 A 茨城(巨麿)の竹内文書では、キリスト来日の時期を垂仁天皇のころにしているが、正統竹内文書では 神武天皇のころとなっている。キリストは五十鈴彦または伊勢津彦と名乗り、八戸を越え蝦夷地に入り、 さらに東へ進んだことになっている。弟は伊須気余理彦または石切彦という名前で、茨城の竹内文書に出 てくるイスキリと似ている。こうしたキリスト伝承はおそらく、後南朝と結びついた竹内神道が、修検道 や密教を取り込みながら山から山へ移り住むうちに隠れキリシタンと合流したため、キリスト伝説が口伝 に入り込んだのではないかと思う。 >>314 そんな【後だしマッチポンプ話芸】どうでもええねんてw 後だしなら、何とでも云えんねんから(笑) 後だしなら嘘もつけるんやて(笑) 一番の問題は、還暦、オマエ自身が口伝と知る以前に偽書竹内文書を平然と信じていた という黒歴史そのものやねんて(笑) 【ヨハネスブルグ青人民尊】 【インドチウラニア黒人民尊】 【ヨイロパアダムシブヒ赤人祖氏】 【アフリエジプト赤人民尊】 【ヒウケエビロスボストン民尊】 【天支黒人尾瀬阿児安尊】(アメエタイクロヒトオセアニアソン) ↑↑↑↑↑↑↑↑ 還暦十姉妹が信じていた竹内文書の内容。 こんなもんな、いい大人が真に受けちゃ駄目だろ?って云ってんの! コレを鵜呑みにできる奴だったら、なんでも信じるだろ(笑) >>310 日本を代表する5人の建築家が、模型で実際の古代史殿を作って構造上の高さを確認したんだってさ。 その結果、柱の太さから計算された実際の木造建築の限界が48mだそう。 48mと言えばビルで言うと15階建てに相当する。 東大寺の大仏殿の高さが約45mなので、50m弱の高さがあったと思われるとの見解だ。 96mはさすがにムリだと建築家たちは言う。 そりゃそうだ、建物と屋根が柱の上に乗っかるわけで、その重量や強度という点で構造上の問題が出てくる。 おまけに15階までの階段の角度とか考えたら…96mはありえないだろうね。 平安期に再建されたという神殿が46mだそう。 73世だかなんだか知らねーけど、口伝だと主張したきゃ勝手に主張すりゃいい(笑) 問題はアノ竹内文書をマトモに信じてしまったというフシアナ判断力だろうが? 真説が出ようが出まいが、その事実は消えん。 コウタマ:「ウン百億年前にウンチャラ地方にウンチャラミンソンがおったそうな〜」 信者:「ええ〜!マジですかwwww?!」 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ って、お宅らアホですか?(笑) コレはあくまでも崇教の問題なんよ。 だから73世がナニを言おうがあまり関係ないわけ。 コウタマが信じたものを信者が信じていた事が重要なんよ(笑) それがウン百億年前にウンチャラミンソンが居た説な訳で、そこはどうにもできない コウタマの落ち度な訳で、どう取り繕うことも出来んわけだよ。 天皇がヒヒイロカネで出来た飛行浮舟で地球上を行ったり来たりとかさw そんな昔のつまんねーアニメみてえな話あるわけネーダロ馬鹿! 正気に戻れ! >>313 よくよく読んだら【だろう】とか【思う】とか【かもしれない】とか 【可能性がある】とかばっかじゃねーか(笑) 神は「細部に宿る」って言葉がある位でファクトを基に精査することが一番重要 そんな真光信者に最も欠けていて恐らく今後も身に付く事はないであろう素養を 持ってるから魑魅魍魎に取りつかれるから抜けられないのだろう 。 まぁ、真光信者は大局は見えなくてもご都合主義的妄想力ならトップクラスなw 昔から真光では、上級者は中級に、中級者は初級に研修内容を話してはいけないルール。 なので、初級は中級に憧れ、中級は上級に憧れる…みたいな。 でもね、実際に研修受けるとさ、もう大体の事は知ってるわけ。 なんでって、初級から中級へ上がるとき、研修受けるのに一年以上の期間を開けてから受けるんだよ。 昔はね、お金があったら短期間で上級まで行けたんだけど、今は再聴講が二回とか、受けなきゃ次に進めないルールもあるので。 つまり、初級1年以上で再聴講が二回、お導きが二名以上の条件をクリアした物が中級の受講資格があるってこと。 上級に進むにはさらに三名以上のお導きがいる。 そして中級研修の再聴講も。 あと、み役者で初級10年とかだと、お導きが足りなくても、上からの指示で中級受講を薦められる事もある。 この場合、御奉納を別途要求されるけどね〜〜〜w だからさ、テキストなくても内容は大体知ってたりするのよ。 そうすっとありがたみもないし、内容がお伽噺でしょ。 なんだかんだで数十万かけて研修受けるのがバカらしいwwwww これが本音なんだけど、年数やら年齢やらみ役上の理由から必要に迫られて、受けさせられるんだよねえw なので、殆どの上級受講者は、再聴講なんて滅多に行かないよ。 そもそも上級研修は本山で受けたからね、高山市内の安ホテルに泊まって受けんのよ。 交通費に宿泊費、研修受講料に御奉納の分を用意する。 それだけでOLのボーナス一回分が軽く消える。 ホンマ、もったいない話。 儲かるのは教団と高山市内のホテルだねw >あと、み役者で初級10年とかだと、お導きが足りなくても、上からの指示で中級受講を薦められる事もある。 >この場合、御奉納を別途要求されるけどね〜〜〜w 真光の沙汰も金次第ということですな。弱肉強食の神様だ事w >魑魅魍魎に取りつかれるから あったり〜wwwww 強欲で自己中で、人の足引っ張ったり、妬んだりするようになるよ。 そして他人に親切にすると損みたいな態度になる。 また、自分より弱者に強く、強者には媚び諂う。 そんな自分を隠さず、無自覚で他人を振り回し、傷つける。 弱った人間を見つけるとニヤニヤと笑い、受けから目線で余計な親切を押し付けてくる。 あら…これって、ピンポン小僧の言っている事と同じねwwwww >>206 還暦 >本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、かつての出雲大社の本殿は現状の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、 >さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされる。 >>317 葛葉 >日本を代表する5人の建築家が、模型で実際の古代史殿を作って構造上の高さを確認したんだってさ。 >その結果、柱の太さから計算された実際の木造建築の限界が48mだそう 古代出雲大社が現在の本殿高さ24mを大きく超える48mあったという説は、長らく学会の主流の説ではなかったのです。 しかし2000年に地下室を造成していた出雲大社で、金輪御造営図を裏付ける、径1mの柱を3本束ねた巨大な宇豆柱が発掘されたのです。 大げさな神話ファンタジーのはずが、巨大な寸法で実物が出てしまった。 http://www.tomomori-kogyo.co.jp/iz-taisya/izumo-taisya-cg.htm 48mが限界説は発見された径1mの柱を3本束ねた巨大な宇豆柱が前提条件になっております。 5本束の宇豆柱の上に4本束の宇豆柱を乗せ、更に3本束の宇豆柱を乗せれば96mも可能なことは小学生でも分かります。 (ピラミッドの石積みも基本はこの建築原理に準拠。) それから径1mの柱ですが三内丸山遺跡でも発掘されており、切断術、測量術を含めて非常に高度の建築技術が当時存在した ことが覚れるでしょう。 当然、文字も数字も存在しました。 それらの物証を焚書したのはおそらく記紀編纂時の権力者達と一族でしょう。 原始キリスト教文献と同様に、焚書したはずの証拠が現代に復活、発見されるのも神の経綸だと思います。 >>325 笑い事じゃない そんなことやってるから 外国では集会をテロリストに狙われたりするんだよ 日本人は親切だから何もないだけ 俺も真光信者にあれだけやられたら やりかえす奴の気持ちは理解できる 心の底からあいつらが後悔するような嫌がらせしたくなる 子供を誘拐して外国に売り飛ばしたりな 鬼畜のような嫌がらせ そうやって恨みが恨みを呼ぶから 外国では戦争が終わらないんだよね 人生かけて嫌がらせしたくなる気持ちは理解できるね 真光信者と関わると 俺今まで人生で出会った人間で ヤクザや元懲役や学校の不良と比較しても 真光信者はすげぇ嫌いだし腹立つもんな >>328 はいはい、インチキオカルト爺はすごいねえw あの大林組が48m説を説いたのに、専門家でもないオッサンが96mだというんだからすごいわ〜〜〜wwwww 大林組と言えば、社殿づくりの専門家チームのある金剛組と並ぶ建設会社だよ。 しかも崇教の本山を作った会社も大林組なんだけど。 その大林組がプロジェクト組んで、古代神殿は48mだったと言ってんのに、インチキオカルト爺は根拠もナシに96mだという。 その上、石造りの神殿と木造建築を同じ構造だと思っているらしい。 素晴らしい頭脳だこと〜wwwww その調子で、竹内文書も指示しているんだろうねw あはははwwwww 周囲から愛される良いことをやろうとして 嫌われまくるなら 他人から嫌われる生まれつきの才能あるよ それが人格障害なんだろうけど 遺伝子から問題あるというのは大袈裟じゃないよ まず、出雲大社の高さの根拠として、後方にある八雲山がおよそ100mだそうだよ。 古代神殿は、後方にある御神体である八雲山より高い位置に創られることはない。 また、実寸法が今と長さが異なるためで、記録との誤差修正を行う必要がある。 これがプロジェクトチームの言い分だったと思うけど。 眞子さまはアマテラス神を参拝されたといわれたが、アマテラスはスサノオのに洗脳されてから まともな判断ができていません。今後天皇家はKSAを中心に月読神を参拝されるべきです。 >>332 葛葉 >その大林組がプロジェクト組んで、古代神殿は48mだったと言ってんのに、インチキオカルト爺は根拠もナシに96mだという。 >>206 還暦 >本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、かつての出雲大社の本殿は現状の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、 >さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされる。 君は大林組に「32丈(およそ96m)であったという伝承がありますが、当時の建築技術では不可能ですか?」と 確認しましたか。 もし確認してたら、径1mの柱を5本束ねた宇豆柱ならば理論上可能だと言う技術者がいたと思料します。 >>334 >まず、出雲大社の高さの根拠として、後方にある八雲山がおよそ100mだそうだよ。 >古代神殿は、後方にある御神体である八雲山より高い位置に創られることはない。 因みにこの根拠は建築技術による根拠ではなく、文化人類学的な根拠としては妥当かとも思います。 >>336-337 おっさん、えーかげんにせーよ。 寺社建築の専門家である金剛組が、大林組が行った古代神殿プロジェクトで、96mじゃなくて48mだと誤差修正したと言ってんだろうが。 大仏殿は金剛組の建築だし、当時の出雲大社は大和朝廷の指示で建てられたんだよ。 当然、奈良の興福寺の五重塔も彼等が建てたものだ。 不比等の娘の光明皇后が建てた当時、五重塔は45mあったという。 つまり、50m弱程度のモノなら、技術的に可能だって言ってんのよ。 アンタ、建築家のプロがよ、しかも寺社専門の金剛組がよ、大林組のプロジェクトチームで出した結論を認めてんのに、何で素人のお前がイチャモン付けてんだよ。 アホか。 御神体の八雲山に並ぶような神殿なんか、寺社専門の金剛組だって創らんわ。 現在の技術(鉄筋コンクリート)で五重塔は約70m程だけど、木造建築では京都の東寺が54.87m(1800年代建造)で日本一高い。 これが木造建築の現界と言われてんの。 ドアホ。 真光信者って、大学医学部で医療の勉強をして、国家資格の 医師免許も持ってない医学知識のない素人が 道場長が手かざしで治ると「診断」して手かざししても治らず 救急車で病院に搬送されたが、手遅れで死亡したケースがあるよね。 今回も、高校や大学の建築科で基礎を勉強して、1級建築士の国家資格を取り 大寺社建築の専門家である金剛組や林組社員が96mじゃなくて48mだと誤差 修正したのも妥当。 真光は知識も経験も名素人が医学や建築に口を挟むとロクなことがないし デマを飛ばす。 はいはい、インチキオカルト爺がしつこいので、大林組が公式に発表した資料を貼っておく。 http://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/izumo/p02.html この中に、「その結果、出雲大社の高さについては、まず32丈説は現代の技術をもってしても困難であることから排除した。 次に16丈とする説であるが、掘立て柱による約48メートルもの宮殿建設は、それでも常識を越えた高さではある」と書かれている。 これを読んでも反論するのか!? 竹内文書を妄信するバカに、現代の技術をもってしても困難である事実は、到底理解出来んだろうな。 今までの人生で 真光信者と比較するくらい最悪なのは ヤクザに学校の不良に元懲役 しかもこの人達は自分たちは聖人君子じゃない 悪側の人間で悪いことやってる自覚あるから それ考えたら最低最悪だよ真光信者 葛葉さんは、出来ないと断言する専門家の意見を提示した。 これに対抗するには、出来ると断言する専門家の意見を提示しかない。 出せないなら、崇教民尊どもの論理破綻であり、そもそもの事実を精査する判断も プロセスも間違っていたと認めるほかない。 96mでなく48mでも宜しいですよ。 記紀の時代をさかのぼる太古にそれだけの建築技術が存在したという事実が重要だからです。 >>339 それで悪いことをした 頭下げれば最低限のモラルはあるけどね あいつら死んでいった 真光内で自分上げに利用した人達にも 治らない回復しなかったら冷ややかな態度なんだよ あれだけのクズは滅多に居ないと思うよ ネタ抜きでオーム事件見てたらわかるだろ 地下鉄でサリン撒いたりさ あれ信者は人助けでやってたからな >>343 >記紀の時代をさかのぼる太古にそれだけの 記紀が編纂された時代が正解。 大和朝廷の指示で建てられたのが出雲大社。 4〜8世紀の建造。 今から1200〜1600年ほど昔の話。 熊野大社は1800〜2000年前とも言われているもの。 >96mでなく48mでも宜しいですよ 宜しいんじゃなくて、間違いは間違い。 素直に間違いは認めよう。 それが出来ないからみっともないんだよ。 竹内文書の盲信もついでに改めたらいかが!?wwwwww >記紀の時代をさかのぼる太古にそれだけの建築技術が存在したという事実 嘘を100回言えば本当になるとでも思っているのか 源伸(前世は一在家)w >>346 葛葉 >>記紀の時代をさかのぼる太古にそれだけの >記紀が編纂された時代が正解。 三内丸山遺跡は、縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡で、1994年には直径約1メートルの栗の柱が6本検出され 大型建物の跡とも考えられました。 径約1メートルの栗の柱を用いた高層の建築技術は記紀の時代をさかのぼる太古から日本にありましたよ。 「太古の日本に高度な建築技術などない」という嘘を1000回言えば本当になるとでも思っているのですか。 >>349-350 おっさん、えーかげんにせーよ。 アンタのいう三内丸山遺跡は青森やないか。 しかも神殿じゃないし、高床式建物やろ。 あと、お前さんのいう柱はな、「六本柱建物跡の復元に当たっては様々な意見が出された。 建設する場所は六本柱建物のあったと推測される場所のすぐ脇に決まったものの、ただ柱が立っていただけなのではないかと言う意見や、逆に装飾具などもある非常に凝ったものだったのではないかと言う意見も出された。」とある。 これも大林組のプロジェクトで復元され、「結局、中間を取って屋根のない3層構造の建物になった。 しかし床があるのに屋根がない、もしくは床がないのに屋根があるというのは中途半端な感が否めず、後々までこれでよかったのかと疑問の声が上がる要因となっている。」というあとがきもあるぞ。 それと高さは4.2mで、42mじゃないからな。 勘違いするなよ。 ヒヒイロカネの飛行浮舟で世界を飛び回るなんて与太を信じてる奴に歴史を語る資格はない。 私も三内丸山遺跡を10年ほど前に行きました、 青森駅から自動車で約1時間かかります。 6本の太い柱の跡が穴となって残っていましたが。 「高床式の倉庫だと」説明されていました。 「出雲大社の96mの大神殿」と比較するには土俵が違いすぎる 考古学者にもこのスレの住人にも笑われますね。 >源伸(前世は一在家・トラップ・インチキ爺さん) 山内丸山遺跡・・青森市中心部の南西,沖館川の南に面する丘陵地帯に広がる縄文時代の遺跡。 1994年約 4500年前のものと推定される 「直径 1.8mの柱穴6個と,直径 80cmのクリ材と思われる木柱3本が発見された。」 集落には、5500年前から 4000年前まで,およそ 1500年間にわたり 500人ほどが定住していたと 推定されている。集落跡からは住居跡や墓に加え,大量の土器 (→縄文土器 ) や装身具が出土。 また、クリ、ゴボウ、ヒョウタン、マメなどの植物栽培の痕跡もみられ,従来の縄文時代観を 覆す大規模集落として注目された。 因みに、三内丸山遺跡は約5000年前。 あと柱の長さは最大でも25mで、実際は20mぐらいではなかったかと書かれてるよ。 それでも計算上は総重量71トンとかってけた外れだよね。 高床式の建造物は、別に三内丸山遺跡だけじゃないし。 高さを競うものでもないし。 当時、大きな集落があったというだけの話だし。 インチキオカルト爺は、「凄い技術があったんだぞ」と自慢がしたいらしいwwwww あほくさ〜wwwwwwwwwwwwwwww >>355 葛葉 >因みに、三内丸山遺跡は約5000年前。 >あと柱の長さは最大でも25mで、実際は20mぐらいではなかったかと書かれてるよ。 >>366 葛葉 >あのさ、縄文時代の遺跡だけで、全国にどれくらいあると思ってるの!? 次々に情報提供を有難うございます。 三内丸山遺跡から2千年後の「凄い建築技術」を推測する上での証拠になるでしょう。 元々、96mは伝承で、48mでも凄過ぎる訳ですから。 それなのに当時日本には「文字も数字も無かった」と歴史を改竄した権力者と一族の 存在が段々と本スレでも浮き彫りになってきた感がありますので嬉しく思います。 縄文時代の遺跡なんて、殆どが国土開発の過程で潰されて消えてるよ。 残っている遺跡はほんのわずかなものばかり。 そんなの子どもでも知ってるわ。 縄文時代って、イマドキ文明も文化も無かったっと、思っている人間なんかいないよ。 >元々、96mは伝承で、48mでも凄過ぎる訳ですから。 言い訳するんだね。 間違いを認めず、今度は「48mでも凄い」か。 やっぱ組み手の思考はおかしいよ。 真光隊をはじめとする組み手に「人類発祥、五色人創造の聖地」と刷り込んで置いて、DNAでアフリカの奥地が発祥と分かったら削除して終わり。 正直に、「光玉の教えが間違ってましたので、削除しました」って言えばいいじゃん。 バカじゃないの。 縄文時代に文明がなく、文字も技術も半島から教えてもらったとマンセーしてるおじさんが本スレにいるじゃん。(笑) 子供でも知ってることを認めずパワハラし放題じゃん。(笑) 竹内文献を否定しても、太古の日本の文明を否定したらダメじゃん。(笑) キツネおばちゃんは古代史も博学じゃん。(笑) >>360 オマエって俺にパワハラされたくて書き込んでるんだったよな?(笑) それともナニか? オマエは俺と雇用契約を結んで書き込んでる俺の仕込んだ工作員だとでも云うのか? 俺がオマエを雇ってるならパワハラも成立するが、嫌なら書き込まなきゃいいだけだぞ?(笑) お 分 か り か し ら ? オ カ マ ニ ー チ ャ ン (笑) 218 神も仏も名無しさん 2017/08/17(木) 09:08:50.08 ID:gZzSGoqI しかし96メートルもの神殿を建設する国を神武やイエスが知っていても不思議でないじゃん。(笑) 不 思 議 だ よ オ カ マ (笑) オ マ エ の 脳 味 噌 が な (笑) もういいから黙って その辺の道路で飲んだくれて寝てくれ(笑) 雨風しのぐなんて百年はえーよ ケ ダ モ ノ (笑)(笑)(笑) ずいぶん醜いコテになったじゃん。(笑) おじさんの作品も醜いかと心配するじゃん。(笑) 器に作者の魂が宿るからじゃん。(笑) >>218 >しかし96メートルもの神殿を建設する国を神武やイエスが知っていても不思議でないじゃん。(笑) しかし、本当にネカマちゃんっておバカなのねw 神武は日向の国、つまり大分から宮崎あたりの人。 イエスはイタリアやローマもしくはエジプト辺りに住んでいる人。 全然違うわ。 神武東征はね、当時阿蘇辺りの天変地異で住めなくなり、大和に都を移した…とされるものなの。 その大和朝廷が出雲を国譲りで支配し、出雲地方を治めていたオオクニヌシを祀る神社を建てた。 それが出雲大社だと言われているもの。 96mなんて言うのはおおよその尺度だからで、実際は48m程しかなかったという話。 ちゃんと理解してからカキコしな。 96m>48m>30m と段々とレベルだ下がっていくと思うよ。 大林組が現在の日本の技術でも「最大48m」だからね。 出雲大社ができた頃はの威高さは48m未満で 実際は30mぐらいだと読んだけどね。 >>368 それは無いと思うよ。 大仏殿の高さより低くなることはないと思うから。 東大寺金堂は、創建当時は約37mあったと言われており、「雲太、和二、京三」と謳われたように、大仏殿より低く建てられたという言い伝えがない。 30mでは大仏殿より低くなってしまう。 それでは院の所「48m」説が有力ですね。 でも「96m」とは大見栄を切ったものですね。 インチキオカルト爺さんは 初代教祖様の教え 「1万2千年前に、ムーとアトランティスの間で金星の霊人を 巻き込んだ原水爆戦争があった」 アンチに「1万2千前に原水爆はあるわけがない、南極の氷をボーリングした結果 1万2千前前には核物質は発見されなかったかたインチキで嘘っぱちだ」と言った 人がいた。 インチキオカルト爺は 「1万2千年前だからと言って現在より高度な文明が滅んだのだから原水爆の技術は あったはず」と言いながら最終的には「原爆めいたもの」とハードルを下げたからね。 >>373 だって、それは上級研修で習うからね。 組み手ははなから疑うことをしない。 そんな事を言えば、幹部から罵倒されるし。 天罰が下るんだそうだよ〜wwwww 呆れるよね〜〜〜wwwwwwwwww ★真光誌274 昭和60年(1985)7月号 P20−21 結局、原因は恐るべき「集団霊障」である。アトランティス大陸文明とムー大陸文明とは、嘗て、 原水爆を使ってさえやったほどのものすごい大戦争をしたのですが、さらには、金星や他の遊星 にいた霊と現界に肉体を持った人間界との闘争もあったのです。 それで、負けた方の霊統は、現在地上で幸福を味わっております現人種に対して霊的に非常な憎 しみを持ってしまった。実を言いますと、それが随分憑依している。 神の力でもなかなか霊が脱けないことがありますが、その理由をある程度申しますと、実際の人類 史としては非常な興亡に関係した霊統の争いが、実は今日も存続をしているからです。 そこで、現在の人類が幸福な世界をつくり上げていくことを非常に憎んでいる方の霊が一体化する。 いわゆる組織化して活動するのです。 それから、もう一つは、その霊が、他の星からでさえ、人間に転生をして現代人の中に混じってきて いる。 例えて言えば、ムー大陸に滅ぼされたときのアトランティス文明人は、こんにち憑依している ばかりではなく、実を言いますと、現界人に再生をしてきている。これらに怨みの集団霊が憑かるの ですから、ますますひどい憎しみの世界をつくっていくという関係があります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる