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竹内文献の偽書論
昭和11年(1936年)、岩波書店を通して狩野亨吉氏が「天津教古文書の批判」を行い、竹内文献を
偽書として徹底的に攻撃したことがあった。狩野氏には大変申し訳ないが、結局は重箱の隅をほ
じくる程度しかできなかったように思える。大局を小事で見誤った典型ではないだろうか。
狩野氏が攻撃に真っ先に利用したのは、「長慶皇太神宮御由来」にある誤字と表記の誤りである。
ご本人は論文等で、過去に一度も文字を書き間違えたことがないのだろうか。ましてや、『竹内文献』
は写本を幾度も繰り返しているのである。第66代宮司の巨麿まで4代ごとに写本を繰り返したとあるので、
単純に数えても「都合16回も写本された」ことになる。
誤字や誤訳があるから偽書だと決め付けるのは、いささか乱暴すぎはしないか。
日本書紀は、「一書に曰く」と書かれていたから許されたのだろうか。おまけにある目的を持って
共通文字を使ったり、故意に矛盾を作って仕掛けをするのも偽書の証拠というのでは、矛盾の塊である
記紀はどうなるのか。
狩野氏が再三にわたって引き合いに出す"漢音混入≠ノしても、写本の段階で当時の人聞が理解しやすい
よう、古語表記を時代に即した表記にした可能性がある。要はそれで意味が通じればよいのであり、意味
が分かりにくい表記のままにするより、はるかに良心的である。 >>11
誤字脱字だけじゃないよ(笑)
時代に則した冠位や事実誤認があった
それだけじゃない。筆跡が同じだったんだ(笑)
偽書だよ(笑) 再掲
今更、“口伝が本当でした”なんてよく真顔で言えるよな……
完全な後だしジャンケンやん!
竹内文書への考古学的評価が全て下ってから、“口伝でした”って(笑)
そんなもん普通は信じねーよ(笑)
じゃあなんでもっと早く言わねーの?
80年代から90年代にかけて高坂和導があの贋物の竹内文書を本物と信じて著述や
テレビ出演をしてまで竹内文書本物古文書説を流布してるときに何故黙ってた?
高坂が丘の上から呪文を唱えてUFOを呼ぶイベントを開いたことがあったが、参加者のなかに
アホアホ組み手がいたのは知ってるか?(笑)
テレビタックルに出てくるトンデモ解説者の韮沢ってさ、アレ元組み手だよな?
真光大丈夫?(笑) 写本という新たな嘘が出ました(笑)
何故、真贋の議論の最中に写本し直さなかったの?
何故、もっと早く偽物だと言わなかった?(笑)
教えてやるよwそれを本物だと信じてたからさ(笑) アレを信じてた連中が全員アレを本物だと
信じていたから、写本という発送も浮かばない。
写本説も当然後だし(笑) 人類発祥の地は、日玉(飛騨高山)の国じゃなかったんだよ。
それなのに、竹内文書を信じて飛騨高山に総本山建てちゃったんだよね。 ねぇねぇ(笑)
コレって学術的なレベルの資料かなぁ
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
正統「竹内文書」の謎、竹内睦泰(第73代武内宿禰)著だよ。
↑↑↑↑↑↑↑
コレってただのトンデモ本でしょ?(笑) 「天津教古文書の批判」については、最近になって様々な事実が明らかになってきている。
某海軍大将からの使者が狩野宅を訪れ、真贋を確かめてもらうため「写真を7枚」を置いていき、
「その内の5枚」を使って狩野氏が検証したというが、その写真は陸軍が作った偽物で、狩野氏
自身も周囲に対して、1928年に現役の陸軍大将から天津教撲滅を依頼されたと話していたという。
つまり、狩野氏自身も明言しているように、記紀は絶対であり、それと一致しなければ史料として
の価値がないとする態度が、狩野氏の偏った国粋主事的イデオロギーを刺激し、軍と一緒に行動し
た動機となる。つまり狩野氏はバリバリの右翼だったのである。
同じ時代、記紀は史実ではないということを、様々な矛盾点を指摘して批判した歴史学者の津田左右吉
は、昭和14年(1939年)に著した『神代史の新しい研究』で様々なところから集中攻撃され、同著は翌年
には特高により発禁処分となった。その結果、やむなく早稲田大学の教授職を辞任するに至るが、その
体制側に狩野氏もいたのである。
確かに『竹内文献』は弾圧の中で一時は姿を消したが、「皇祖皇太神宮」は生き残り、戦後、再び世に
出てきた以上、仕掛けは成ったことになる。
巨麿と鞍馬で相対したのは、時代が変わっても、何ら動じない裏神道の要とされる人物である。
政の権力者は、どの時代にも現れては消えていく。だから彼らに与することなく、昔からの決め事を守り
通し、時期が来るまで封印を解かない役目を担っているとされる。日本が軍国主義の道をひた走ろうと、
国家神道に傾倒して狂気化しようと、アメリカと戦い敗亡しようと鳥には一切関係がない。
決められた祭り事を代々進めていくだけである。
『竹内文献』の出現は、彼らにとれば計画の範囲だったのかもしれない。あるいは彼らの始祖が、
『竹内文献』の作り主だったのかもしれない。そして彼らは記紀も練り上げたのだろうか・・・・。 >>17
それを事実認定したのは誰ですか?(笑)
ソースを出しましょうね >>17
>「天津教古文書の批判」については、最近になって様々な事実が明らかになってきている。
最近になって事実が明らかになったの?(笑)
なんで最近になってわかったの?(笑)
最近になって事実を捏造したんでしょ?(笑) 竹内文書と月の先住宇宙人 (超知ライブラリー) 飛鳥昭雄 著 だよ。
http://amzn.asia/62jhx29 そうだよ、たった5枚。
たった5枚の写真からこれだけのことが分かる。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓
@違う人物の手による資料でも同一人物による筆跡が見られる
Aその史料が書かれたとされる時代の官位や制度について不正確な記述がある
B文法や仮名遣いについて明確な誤りがある
C漢字普及以前に神代文字で書かれたはずの史料に漢語の混入が見られる
Dその史料が書かれたとされる時代より後世の用語や知識の混入がある >>17
>某海軍大将からの使者が狩野宅を訪れ、真贋を確かめてもらうため「写真を7枚」を置いていき、
>「その内の5枚」を使って狩野氏が検証したというが、その写真は陸軍が作った偽物で、狩野氏
>自身も周囲に対して、1928年に現役の陸軍大将から天津教撲滅を依頼されたと話していたという。
↑↑↑↑↑↑
はい、この記述に明確な嘘を発見!
狩野さんが検証した写真は、本物ですよ(笑)
なぜか、教えてあげよう。
その写真が皇祖皇太神宮の冊子の口絵に使われているからだ(笑)
偽物の写真を当の皇祖皇太神宮が使うと思うかね???(笑) >>17
>狩野氏の偏った国粋主事的イデオロギーを刺激し、軍と一緒に行動し
>た動機となる。つまり狩野氏はバリバリの右翼だったのである。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
これも嘘だよね… 狩野さんは、普通の人だよ。この人はあくまでも検察側の証人だ。
昭和11年ころの話なんだから、むしろクーデターの危険性があったのは、巨麿の側にいた軍部の方でしょ(笑)
オタク226事件とか知らんの? 矢野祐太郎の騒動とか知らんの? イカレたカルト信者が皇室やら政府にモノ申しだす時代だった。
当時、軍の施設であった靖国に自分の私物や資料を隠すことに成功するのは武内巨麿だろうが(笑) 写本なら なぜ 【御真筆】って書いた?(笑)
御真筆って直筆のサインって意味やで?
アカンやろ
御真筆の筆跡が同一人物の筆跡って ど な い や ね ん (笑)
御真筆の意味は、この文献は唯一無二であるという宣言なんよ。
それを後から 写本してましたあはははは〜 とか言われて 誰が信じんねん
嘘ついとんなコイツ って思うのが自然やっちゅうねん イエスは本当にエッセネ派だったのかな
洗礼者ヨハネもそうであったのか無かったのか
まあ、そういった情報は確実にどこかから仕入れてパクってるな
イエスは成人するまでシルクロードを旅してた噂はある >>25
エッセネ派云々はそんなに重要なことじゃないと思うよ。
新宗教の新たな切り口として、古典への言及と新解釈があるだけ。
早い話、こじつけだよ。 キリスト教を作った人は、イエスの弟子のペテロ(初代ローマ法王)です。
ユダヤ教があって、キリスト教が誕生し、のちにムハンマドがコーランを作ってイスラム教が誕生します。
まるで真光のようじゃないですか。
大本教があって、救世教が誕生し、そこから真光が生まれた。
ルーツが最悪だけど。 エッセネ派云々は学者の見解だからね
そういった専門的な話題出す時点で
確実にどこかからパクってる >>10
御真筆の説明してみなよ
元々、あの竹内文書を本物だと主張する当初の根拠は、あの御真筆だったはず。
還暦十姉妹、お前自身はどうなんだ?例えば20年前までは、意地でもあの偽古文書を本物だと主張してたんだろ?
主張してなかったとは言わせんよ?
お前自身、御真筆と書かれている以上、あの竹内文書を本物だと信じていたはずだぞ?
あの古文書の最大の特徴は、なんといっても 奇跡のような歴代天皇の直筆の連名サインだからな。
その根拠がひっくり返るということは、20年前のお前の主張が無意味になったことになるだろうが(笑)
例えば>>17の書き込みは、明らかに御真筆が本物だという前提で書かれた著述だ。
それが、今になって写本だと? お前自身よくそれで納得できるなw まぁ、いずれにせよだ。
>>4-5の葛葉さんのテーゼが正しいわけであって、内容自体いいかげんだわなぁ それと大きな発見というか、最近気づいたことがある。
新宗教界隈で出鱈目ばかりバラマイとる連中って、ある特徴があるんよ。
それが、山伏ルック(笑)
山本秀道 武内巨麿 出口王仁三郎 高坂和導
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
こいつら全員山伏の格好して人を騙していた連中だよ。
妙な偶然だと思ったら、 京極夏彦の魍魎の匣にでてくる人智オン箱様っていうインチキ宗教の教祖も山伏ルック(笑)
山伏、修験者ともいうが、日本の見世物奇術や手品の元祖は修験者だといわれてるよね。 >「都合16回も写本された」
大事なところだから確認するが、口伝だと聞かされるまで、お前ら組み手は御真筆が
都合16回も捏造され続けた偽の古文書を本物だと思い込んでたということだよな?(笑) ここ重要だよ。
天皇の直筆サインを16回も偽造した文書を“本物の親書”だって言ってたことになる。 あのさ素朴なこと訊いていい?
【親書】って写本していいの?(笑)
それって公文書偽造にあたるんじゃね? >オタク226事件とか知らんの? 矢野祐太郎の騒動とか知らんの?
今の組み手の八割は知らないと思いますよ。
特に226事件とか、三島由紀夫とかね。
まあ、小説家としての三島由紀夫なら、40〜50代ぐらいなら知っているかも知れませんが。
226事件など、それこそ戦争TVドラマでしか知らないので、そう言う物としか認識していないと思います。
また、当時の時勢に、大本教や日ユ同祖論、竹内文書が関わっているなど、知るはずもないでしょう。
光玉世代の大人たちが子どもに伝えていないからです。
そして、前後のGHQが施した教育により、そう言う思想も排除され、正しい歴史観も教えていない為でしょう。
幕末辺りまでは習うのに、明治以降の近代史は習いません。
で、イキナリ戦後になるので、日本は「戦争をした悪い国」としてイメージが残ります。
だから226事件も東条英機もほとんど何も知らずに社会人になりました。
結果、騙されやすい無知な日本人の大量生産です。
自分で考え、自分で史実を調べ、政治に興味を持てば、自然と洗脳は解けますよ。
まずは、疑問を持ち、自分で考えて調べる。
そこがスタートラインです。 そう言えば、矢野と言えば金毛九尾=フリーメイソン説でしたね。
この人も大本信者ですし、海軍将校も陸軍と同じく感化されてました。
当時は、竹内文書はすごい発見だったんでしょうね。
まあ、今となっては眉唾ものですけど。
間違い探しのネタにしかなりませんもんねえw 日本には、記紀と同じ神話時代を記した「古史古伝」と称する古文書がいくつもある。
それらは写本を繰り返して現代に伝わっており、その成立年代は記紀より古いとされているのだが、それらの
ほとんどを「偽書」と決め付けているのである。
写本といっても軽く見てはならない。
1 記紀でさえ原本は残っておらず、東京・永田町にある「国立国会図書館」に保管されている記紀も写本である。
2 印刷技術のなかった当時、湿度、虫食い、年月の経過等で傷んだ書は、写本するしか手段がなかった。
3その古史古伝で代表的なものは、何と言っても武内宿彌の子孫が受け継いだとされる『竹内文書』であろう。
4『古事記』には、宿禰は異様なほど長寿で、第12代・景行天皇に始まり、第13代.成務天皇、
5第14代・仲哀天皇、第15代・応神天皇、第16代・仁徳天皇までの5代の天皇に、244年間にわたって仕えたと記されている。
それ自体が常軌を逸しているだけに、宿禰の子孫が代々同じ名を継承したとする説が有力視されている。
他にも『竹内文献』と並ぶ古史古伝が全国に伝えられており、富土吉田市の「浅間神社」ら出てきた『宮下文書』は、
日本の神々の発祥をアジア大陸と記している。そして、聖徳太子が蘇我馬子に命じて撰述させた『先代旧事本紀』は、
第3の国史として、 今では物部氏の歴史を知る上で欠かせない一書とされている。
時代は下って江戸時代の書『東日流外三郡誌』には、古代の津軽地方にいた阿蘇辺族に津保毛族が混血し、その後、
神武天皇に敗れた邪馬台国の安日彦と長髄彦が合流した等々、記紀にはない東北地方の歴史が記されている。
それだけではない。
秋田県の「唐松神社」から出てきた、物部氏の記録が詳細に記された『物部文書』があり、和歌山県の「熊野大社」の
宮司職を勤める九鬼家に伝わっていた『九鬼文書』なる古史古伝も存在する。特に『九鬼文書』は、神武天皇以前の
王朝として、『竹内文書』と共通する「鵜葺屋朝」の存在が記されている点で、注目すべきだろう。 >>38
長々と駄文をどうも(笑)
俺が言いたいのは、竹内文書が親書だと云う事。
後醍醐天皇御真筆
長慶天皇御真筆
↑↑↑↑↑↑↑
この文言が入ったら、ズバリ親書なんよ
それを16回偽造したってアンタ云ってんだよ >>38
>「都合16回も写本された」
大事なところだから確認するが、口伝だと聞かされるまで、お前ら組み手は御真筆が
都合16回も捏造され続けた偽の古文書を本物だとずーっと思い込んでたということだよな?(笑)
答えろ そりゃあ様々な古文書が有るだろうよ
でもな、親書の写本なんて聞いたことないよ >>36
葛葉さんの言いたいことはわかります。
でも>>17は、竹内文書に関わる周辺事情を
ここまで語ってるんですよ。大正後期から昭和初期にかけてクーデターが頻発した
ことを知らないって云うのは通らない。 >>42
その通りだと思うし、少なくとも光玉時代からの幹部組み手は知っていたよ。
私は、中高時代に226事件を教えてもらったんだ。
だから幕末から昭和にかけての宗教にかかわる事件を調べた。
学校や日教組が教える同和教育の疑問もこの時知った。
実態を知って背筋が凍った。
そして未だに始まりはどこからなのか、それがつかめない。
わかっているのは、聖徳太子が神仏習合を始めたのがきっかけであるということ。
持ち込んだのは、空海や最澄といった遣唐使で、唐に渡った僧たちであるということ。
少なくとも、神道、仏教、儒教が融合した幕末まで、その思想や教育は文化として受け継がれていた。
そこに西洋文化が入ってきて…この辺りからおかしくなってくる。
何かがそれまでと根本的に違ったんだろうね。
日本という風土は、外国とは違ったので、独自の文化があった。
宗教も同じだと思うよ。 竹内文書は、後醍醐天皇と長慶天皇の【親書】だと云うのが基本原則でしょ?
だって、写本したら天皇の親書じゃなくなるよ?御真筆って書いちゃダメなんじゃないの?
俺がどうして偽造という言い方をしてると思うよ?御真筆って書かれてあったからだよ。
しかも16回もね。キチッとした写本なら御真筆とは書かんだろ。そしてコレはあくまでも
写本だと断りを入れる文言がシッカリ入るはず。
違うの? 僕なんかマズイこと言ってます? 巨麿が「竹内文書」を本にまとめて発行したことは一度もない。
「竹内文献」の断片が、酒井勝軍の著した解説書『神代秘史百話』と『モーセの裏十戒/太古日本のピラミッド』
にあり、山根キクの『光は東方より』と『キリストは日本で死んでいる』に引用されている程度である。それさえ、
焚書同様の発禁処分で消え失せ、『神代秘史百話』を収録した『竹内文献資料集成』(旧題『神代秘史資料集成』)が、
タイトルを変えながら復刻されているに過ぎない。
そうした中、『皇祖皇太神宮』の第67代管長だった竹内義宮氏が『神代の万国史』を公表し、それまでは断片しか
なかった竹内文献の全文を一冊にまとめ上げたのである。これは「竹内文献の決定版」といえるだろう。
しかし、「皇祖皇太神宮側は、それが竹内文献のすべててはない」としている。
巨麿が公表したのは「天之巻」の一部しか過ぎず、「地之巻」と「人之巻」がまるまる残っていると断言している。
それらも時期を見て徐々に公表する意向だというから、竹内文献のファンにしてみれば、大いに期待していいので
はないだろうか。
逆に言えば、『神代の万国史』でさえ、巨麿が公表した「竹内文献」、「天之巻」を網羅しても、全体の一部に過
ぎないということだ。巨麿が公表した「竹内文献」の原書は、裁判資料として多数の御神宝とともに水戸地方裁判
所に提出した後、東京大空襲に遭遇して灰燼と化した以上、「皇祖皇太神宮」が保管する「竹内文献の原書」は、
巨麿が公表した部分が欠落しているはずである。
その後に編纂された『神代の万国史』にまとめられているということは、「巨麿の写し」が存在したことになる。
もちろん、「皇祖皇太神宮」は、勝軍やキクの本が発禁処分になる前に必要な冊数を保管していたはずで、そうなれば
再販も容易だったはずだ。 大審院での巨麿に対する判決は無罪だったが、その意味は巨麿の無罪放免より「竹内文書」の真偽についての結果の方
が大きいかもしれない。特高は、御神宝の「神骨神体」76体中の2体をもって、人骨を固めた物ではなく、偽作なので
そこに刻まれた神代文字も偽かと訴えた。しかし、骨灰を固めた物にあらずとする理由が、燐の含有量の少なさにあった
ため、それが大きな物議をかもすことになる。
燐は揮発性が高いため、時の経過とともに減少して当然だからだ。まして御神宝は骨灰を固めた物なので、なおさらだ。
こうして、刻まれた神代文字の内容以前に、特高の言い分は認められなかった。
ところで、「竹内文献」について、ひとつの大きな謎がある。これらは戦時中のアメリカの爆撃を受けて跡形もなく
消え失せたことになっていることだ。ところが、筆者が「天津教事件」にも関わったとされる某神道系の大物から聞
いたところによると、原書を含む神宝の4000点近い証拠品は・巨麿の無実が確定した直後、どこへともなく運び出さ
れたというのだ。もしそれが事実なら、それらの文献を運び出したのは、司法権を押さえ込むだけの権力を持つ組織、
もしくは人物だったことになる。 >>45
まず質問に答えろ。
>「都合16回も写本された」
大事なところだから確認するが、口伝だと聞かされるまで、
お前ら組み手は御真筆が都合16回も捏造され続けた偽の古文書だとは知らず、
本物だと思い込んでたということだよな?(笑) まったく話に耳を貸さなくなったオレに
花咲か爺さん
と、クソジジイは言った >>48
日本語がおかしいし、何を言いたいのか不明
黙ってて そういえば、まことは学生時代、国語の成績が悪かったんだっけ! >>52
え?まこと云々って俺に向けてのレスポンスだったの?⁉ あのさ、単なる揶揄とか茶茶入れ目的で書き込まんでくれるか? 5枚の写真が軍部による偽の写真とかさ、よくこういう嘘つくよね(笑)信じられんわ 今時「竹内文書」を信じてるヤツって、バカなの死ぬの? 竹内文献の偽書論
昭和11年(1936年)、岩波書店を通して狩野亨吉氏が「天津教古文書の批判」を行い、竹内文献を
偽書として徹底的に攻撃したことがあった。狩野氏には大変申し訳ないが、結局は重箱の隅をほ
じくる程度しかできなかったように思える。大局を小事で見誤った典型ではないだろうか。
狩野氏が攻撃に真っ先に利用したのは、「長慶皇太神宮御由来」にある誤字と表記の誤りである。
ご本人は論文等で、過去に一度も文字を書き間違えたことがないのだろうか。ましてや、『竹内文献』
は写本を幾度も繰り返しているのである。第66代宮司の巨麿まで4代ごとに写本を繰り返したとあるので、
単純に数えても「都合16回も写本された」ことになる。
誤字や誤訳があるから偽書だと決め付けるのは、いささか乱暴すぎはしないか。
日本書紀は、「一書に曰く」と書かれていたから許されたのだろうか。おまけにある目的を持って
共通文字を使ったり、故意に矛盾を作って仕掛けをするのも偽書の証拠というのでは、矛盾の塊である
記紀はどうなるのか。
狩野氏が再三にわたって引き合いに出す"漢音混入≠ノしても、写本の段階で当時の人聞が理解しやすい
よう、古語表記を時代に即した表記にした可能性がある。要はそれで意味が通じればよいのであり、意味
が分かりにくい表記のままにするより、はるかに良心的である。 ・南朝後醍醐天皇の直系・武内宿禰
竹内家には、竹内巨麿とはまったく別系で、南朝の後醍醐天皇の直系として代々武内宿禰姓を世襲
している家系がある。竹内巨麿は養子だったが、こちらの竹内家は、代々実子に受け継がれ、
現在七十三世の竹内睦泰氏にいたっている。
この南朝竹内家は、「門外不出の口伝」を中心とする古神道の秘儀をも伝えているという。
巨麿の竹内家が、越中の婦負郡神明村を拠点とするのに対し、睦泰氏の竹内家は、武内宿禰の墓が
あるとされる越中の射水郡二上山を祭祀拠点としている。また全国の二上山でも祭祀を行なう。
南朝竹内家には「古神道の口伝」のほかに・「外伝としての文書」なども伝えられている。
睦泰氏によればこの「秘伝の文書」は、『竹内文献』とは共通の部分もあるが、本質的には別のもの
であるという。南朝竹内家の当主となるときは、武内宿禰の霊を受け継ぐ「霊嗣の儀式」が行なわれ、
「武内宿禰」の称号とともに「南朝越中宮家」の名も世襲される。
南朝竹内家の行法には、言葉の霊力を高める「言霊の行法」「古神道の呼吸法」「息吹永世の行法」、
身と霊を清める「藤の行法」、熱湯の中に手を入れ清廉潔白を証明する「くがたち」、剣によって邪霊
を祓う「八雲村雲握剣の行法」などがある。
このように、竹内家、南朝竹内家とかかわりの深い越中富山は裏日本の重要拠点であり、『原竹内文献』
が存在していた可能性がじゅうぷん考えられる。『竹内文献』の奥のそのまた奥を見きわめていかねば
ならないだろう。 日本超古代史が明かす神々の謎」 鳥居 礼 ・もう一つの「竹内文書」
竹内文書で有名な皇祖皇太神宮とは別に、いわゆる「正統竹内家」というのがあります。
その「正統竹内家」にも先祖伝来の古神道の秘儀と「門外不出の口伝による竹内秘史」があるようなのです。
現在の当主は、古神道本庁統理・第七十三世竹内宿禰 竹内睦泰氏です。
そして、その口伝に興味深い話がありましたので添付します。
もう一つの竹内文書の存在
最近になってやっと、そうした竹内文書の「真の歴史」の部分を、別の角度から分析・研究することもできる
ようになってきた。もう一つの竹内文書があきらかになってきたからだ。竹内巨麿が公開した竹内文書とは別に、
武内宿禰以来の「正統竹内家」とされる南朝小倉宮竹内家に伝わる古神道の秘儀や秘伝があるという。
正統竹内家には、門外不出の「秘術口伝」を記録した文書があり、これを「正統竹内文書」、もしくはもう一つ
の竹内文書などと呼んでいる。巨麿が保持していた竹内文書の原資料ではないかと考える研究家もいる。
現在のところまだ、ほとんど非公開のため、断片的にしか内容はわからない。だが、竹内文書と同様に超古代に
おいて天皇家の先祖が世界を支配していたこと、キリストが来日したこと、越中を中心とする王朝が存在したこと
−−−など、かなり同じような内容が含まれているという。
とくに興味を引かれるのは、この「秘伝・秘術を伝える竹内神道が秘密結社」のような存在で、「口伝により記録
を継承」しているということだ。やはりここでも、伝言ゲームではないが、かなり時代とともに竹内文書の原資料
を変形していったとみられる。それでも竹内文書が一部改竄される前の「核の部分」、あるいは原日本人の
「真の歴史」を知る手がかりになることに違いはない。
「竹内文書の謎を解く」 布施泰和 >>59
読む気も起きない(笑)
無駄な長文……
お前さ、いい加減質問に答えろよ
大事なところだから確認するが、口伝だと聞かされるまで、
お前ら組み手は御真筆が都合16回も捏造され続けた偽の古文書だとは知らず、
本物だと思い込んでたということだよな?(笑) >>58
残念ながら いまだに居るんだよね……
大人に成りきれない妄想トッチャン坊や(笑) まぁ、まともな学者は、机上にさえ挙げてませんがね。 それにしても後だしで“口伝”だの“写本”だのよく云うよね……
結局、狩野亨吉の指摘に対して打つ手が無くなったわけよ。
偽史であり偽の古文書である、という狩野亨吉の鑑定に打ち勝つには、
嘘をでっち上げるしかなくて、仕方なく口伝であり写本だったというしかなかったわけ。
その証拠に、写真の嘘が出てきたでしょ?(笑)軍が準備した偽の写真なんて嘘なわけよ(笑)
何度も云うが、写真鑑定に使われた写真がそのまま皇祖皇太神宮の冊子の口絵に使われてるんだ(笑)
当然だよね。写真は本物なんだからさ >>25
>イエスは本当にエッセネ派だったのかな
>洗礼者ヨハネもそうであったのか無かったのか
いくつかある根拠の一つです。
歴史家のフィロンが当時のユダヤ教の3大グループとして、パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派がいたと記録した。
新約聖書の中で洗礼者ヨハネとイエスはパリサイ派、サドカイ派を「蝮の子ら(悪魔の子孫の意)」と罵倒している。
エッセネ派の文献が多数発見されたクムランは洗礼者ヨハネが洗礼を行ったヨルダン川から10km以内の距離。
荒野で育った洗礼者ヨハネの言動からエッセネ派だったとの学説も多い。 荒野=クムラン?
>>26 エッセネ派云々はそんなに重要なことじゃないと思うよ。
>>27 キリスト教を作った人は、イエスの弟子のペテロ(初代ローマ法王)です。
カトリックの元はパウロでパリサイ派だった人です。現代の主流はパリサイ派に偏向されて可能性が高いので
本来の洗礼者ヨハネとイエスの教えを知る上でもエッセネ派教義の研究は重要かと考えます。
そしてエッセネ派教義と真光の教えとの共通点は既に幾度か紹介済です。 >そしてエッセネ派教義と真光の教えとの共通点は既に幾度か紹介済です。
そして焚書されて1,500年以上も幻の福音書だった「トマスの福音書」との共通点も幾度か紹介済です。 >>67
逃げてんなよ 質問に答えろって(笑)
大事なところだから確認するが、口伝だと聞かされるまで、
お前ら組み手は御真筆が都合16回も捏造され続けた偽の古文書だとは知らず、
本物だと思い込んでたということだよな?(笑) 都合悪いはずなんよ。
口伝と知る前の 竹内文書を本物だと言ってたはずだからね 真光に関わらず
宗教が原因で人生めちゃくちゃなった奴は
やっぱ使い捨てみたいな感じなのか
あの辺りの神経は本当にわからん
戦争でも被害者いても終わればそれはそれって感じなんだろうか
オームもそうだけど新団体を立ち上げたり
あいつら本当にわからん しかし俺が出会った真光信者もそうだけど
何年も電話一本もしてないのによく来れるね
何か嫌われるとかにも慣れきってるというか
一般人が越えれない一線を平気で越えれるよね
生きててわからない人種はいるなとつくづく思う でも、真光爺さんの考察は一利ある
確かに聖書でイエスの説明したいこと訴えたいことは
それまでのユダヤ教とは明らかに違う
それでも真光を極めたいなら真光内だけで光玉に狂信すればいいだろ
そこまでキリスト教にこだわるなら改宗しろよ
まるで真光で救われた実感が皆無だから他宗教に救いを求めてるように見えるね 爺さんは真光で光玉を信じて救われた実感が皆無だから
キリスト教に救いを求めてるんだね
キリスト教的に表現したら哀れな子羊だよ >>68 個人的な見解をば
・私個人は数年前まで本家の口伝の話は全く知りませんでした。
・一部の竹内文献を読みましたが、御真筆うんぬんという箇所は読んでおりません。
伊勢神宮に「神宮文庫」という古代の著名人が書かれた神代文字が沢山あります。
色々な書体で書かれておりますが、式年遷宮の際に幾度もトレース(現代のコピー)
されてきたという説もあるでしょう。
筆跡も真似ての『トレース』を『写本』と言うのか疑問ですが、少なくとも1300年ほど前に
当時の人達が神代文字を多用していた物証だと考えております。
具体例では稗田阿礼の奉納文も複数発見されており、古事記も神代文字で記載することも
稗田阿礼ならば可能だったということです。
(参考)Wiki神代文字
伊勢神宮の神宮文庫には神代文字で書かれている、奉納文が数多く奉納されていることから偽物でないという説もある。 3世紀頃に漢字が渡来したと言われておりますが、6〜7世紀の稗田阿礼は『神代文字』も使っていたわけです。
後醍醐天皇、平将門、菅原道真、源頼朝、源義経らそれぞれの時代に伊勢神宮へ参拝した著名な指導者たちが、
さまざまな思いをこめて納めました。
漢字が使われていた時代にどうしてわざわざわかりにくい神代文字を使用したのか不思議に思われるところだが、
宮司によると、太古日本の神々は外来の宗教と外来の文字を嫌われたので、神前への奉納文は神々の好まれる
神代文字で書かれるのが慣例だったという。
写しだから本物ではないと言ってしまえば「古事記」や「日本書紀」を始め、およそ写し取って保管されてきた
古文書の類はすべてニセモノということになってしまうでしょう。
(参考)http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/kamiyomoji.html#label6 >>75
コレまた分かりやすい嘘をつくね(笑)
御真筆の件を知らないとは笑えるw
じゃあ聞くが、御真筆の記述があったことも
知らなかったって云うわけ?(笑)そんなわけないだろ!あの古文書の信憑性は御真筆の一点
に課せられているんだぞ!
いいかね?竹内文書が偽史と指摘を受けたのは昭和17年より前なんだよ?
君が竹内文書を知ったときには、世のまともな学者は竹内文書なるものの研究価値を
とっくに棄てていたし、竹内文書信奉者の主張は狩野亨吉の完全なる証言で論破済みだったの。
それでも信奉者たちは>>17のような稚拙な嘘をでっち上げてまで写真は偽物だと
主張して御真筆は本物だと強引に主張したんだよ。君だってその尻馬に乗っかった一人だろうが!
御真筆の記述も知らなかったとは言わせんぞ? あのさ、元より真光の教えは大本教と同じなんだし、その大本が日ユ同祖論指示していたでしょ。
新旧約聖書を元に、教えを説いてんだから、真光も当然内容が被るよ。
インチキオカルト爺は、「発見した」感凄いけど、真光が凄いんじゃなくて、元々引用していたに過ぎないの。
昔から真光はパッチワークのように、いろいろな教団の教えを、都合よく繫ぎ合わせたモノだって言われてるじゃんw
それにさ、組み手のほとんどがネット社会になる前は竹内文書の存在さえ知らず、上級研修の内容がそっくりそのままだって誰も気づいてなかった。
私は中級の段階でネタ元の資料に気づいたけどね。
同じ頃、世間がオウム事件で騒ぎ出し、偽書の竹内文書が話題になった。
真光も同じネタ元だし、当時は焦ったんじゃないの!?
私だって、冬眠中でも、ヤバいな…ぐらいは感じたよ。
まあね、真光も大本の流れを組む教団だし、その大本が竹内文書のネタ使ってんだから、当然と言えばそうなんよ。
その大本には、綾部の九鬼本家がいたからね、九鬼文書が一部ネタ元になっていても不思議はないよ。
九鬼家は綾部と本宮の両方にあるし、其々が伝え聞く九鬼文書の伝承がある。
それと、九鬼文書が大本に使われたのは、同じウシトラノコンジンだったから。 どう考えたっておかしいですよ(笑)
日蓮上人の御真筆まであるんでしょ?ありえないってwwww
2千億年前に日本に皇子が生まれて世界に散らばった?あほかって(笑)
天支天夫降尊 アメエタアフリカコウソン? 頭おかしいだろ(笑) ヨハネスブルク青人民尊
ヒウケエビロスボストン赤人民尊
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
大人がこんなの信じちゃダメだろ(笑) こんなん信じてたら 次世代に示しがつかんよ(笑)
冷静になれ。
>>78
冬眠中とはいえヤバイなと思ったっていうのは、リアルですよね。
僕はそういうリアルな声が聴きたかった。 っていうかですねw
本スレの葛葉さんの>>4-5のレスポンスで議論はつんでます。 還暦十姉妹の長文のレスは、まったく無意味だとしか言いようがない。
大体ね、還暦一人に竹内文書という重荷を背負わせてるの哀れといえばあまりに哀れ。
茶々ばかり入れて、何もできないオカマ組み手とか、本当に無能。
補足すらしないなんて、それでも仲間かよ。 オウム事件がニュースで賑やかたっだ頃、私は冬眠組み手でした。
丁度、麻原彰晃が掴まったニュースは、出勤前に立ち寄った歯医者さんで見てたんですよ。
此処と真光がネタ元が同じ竹内文書だと気付いてたんで。
破防法が成立したら…次はどこが潰される!?
公明党がある創価は別として、昭和世代の新宗教が狙われるかも…って思ってた。
その中で派手に目立っていたのが崇教真光、もしくは幸福の科学か真如苑か。
てな感じで、その辺りを疑ってました。
ごっつい金儲け教団のイメージが濃いところがヤバいって思ってた。
ただ、オウムはテロ集団化したんで、公安の手が伸びたが、崇教にもその噂は広まってたよ。
公安が崇教にも来るかも…ってね。
で、それからしばらくして辞めたんだが、「教団で見聞きしたことは他言するな」と脅された。
数年間、ねっとりと粘着されましたがな。
「ネット社会到来で、いずれは白日の下に晒されるよ」と幹部に忠告したんだが。
逆ギレされました。
事実、これまで行ってきた悪行が、したらばやその他の掲示板で呟かれ、冬眠組み手含めると結構な数の人間が真光離れしましたよ。
あれ見て、「あゝ、アタシだけじゃなかったんだ…もっとヒドイ目にあってる人が居たんだ」と思った。 追記
ついでに言うと、私は中級研修辺りから「大人版お伽噺」として聞いていました。
子どもが聴いてもヘンだもん。
社会人になって聞いたら…それこそ、歴史好きには『はあぁぁぁ〜〜〜!???』です。
でっかい溜息とともに呆れるしかありません。
昔はね、それこそ彼方此方に霊媒体質の女性がいたようだけど、今じゃあんまり聞かなくなった。
ネット上にスピ系のブログがあって、たまに見かけるが…あまりあてにならない。
たぶん、昔の霊媒師も似たようなモノでしょ。
で、そう言うのを狐憑きと呼んだんだよ。
真光の霊動も同じ類。
最近は見なくなったでしょ。
女性が多いのも感応型が多いせい。
稀に本物がいるかもしれんが、審神者でもできない限り、それらを見分けるはムリがある。 >あのさ、元より真光の教えは大本教と同じなんだし、その大本が日ユ同祖論指示していたでしょ。
>新旧約聖書を元に、教えを説いてんだから、真光も当然内容が被るよ。
啓示宗教にパクリがあっていいの? >インチキ爺さん キチガイ行為やクソジジイの分析
56歳ニートのクソジジイには、気に入らないだろうが
オレは、毎日、このプレゼントを贈っている いや、やっぱり中にいた人は詳しいよね…
僕が新宗教ウォッチを始めたのは、オウムが出家信者とその家族の間で財産問題が出始めた時期でした。
松本サリン事件も起きていなかった頃です。
ブルータス誌で新興宗教特集をやっていたくらいで、誌上で中沢新一が麻原と対談していて、世間で言うほどオウムは
悪い教団ではないという中沢の独善的な超意見を載せていたのがあの時代です。
僕が竹内文書を知ったのはそのあとです。
長山靖生が名著「偽史冒険世界」を出したのが97年。
そのころには、JICC系もしくは宝島系ライターがトンデモという概念を構築する。
ゴマーニズム宣言と連動で宝島30がオウムの危険性とバカバカしさの両面からいろいろ突っ込みを入れていた。
そこで出てきたのが、高坂和導の解説する竹内文書でした。
同時に、竹内文書のレポートを麻原が月刊ムーに執筆していたことを知った。 私が小中学生だった頃、オカルトブームでね、月刊ムーが大流行してた。
ハレー彗星に惑星直列にグランドクロス、五島勉やノストラダムスが巷を賑わせていたんだよ。
だから、そこから古文書系の情報も入るわけ。
あとは自分で調べて行き、ワードを拾い集めていくと…大本教にたどり着いたりしたんだわ。
その頃には社会人になってたし、教団のみ役についていたりして、道場と外では使い分けるようになってた。
普段、道場では真面目な盲信組み手、一歩外に出れば普通の社会人。
友達も組み手と一般人は分けていました。
だから週末等は隊活動で忙しいのに、普段は仕事で忙しいと思われていて、どちらからも「忙しい人間」と認識されていたので、友達を混同してしまう事も無かったな。
お陰で使い分けて付き合いが出来たよ。
それが無かったら息抜きも出来なくてパンクしたかも。
あと、友達との待ち合わせに本屋を利用してた。
なので、歴史関係からオカルトの本まで、いろいろな分野の本を読んでた。
中にはビッグバンの秘密など、宇宙に関する本や心理学も読んだかな。
苦手だったのが政経関係の本。
いまいち興味がもてなかった。
中でも一番面白いのが古典の本と歴史関係。
オカルトの代表みたいな陰陽師や神社仏閣が出てくるんで、民俗学にも傾倒した。
なので気づくんだよ、研修内容のネタ元にね。
ネット社会になると便利だよね、他人のブログに詳しく情報がのってるし。
自分の知らないネタも提供してくれる。
私が冬眠した頃、三代目が養子になって、それまで囁かれていた「手かざしを天皇家にお返しする」というわざとらしい噂話も消えた。
あの話、実は本山が建設された辺りから出回っていた。
でも私は『ンナわけないじゃん…後継者候補がいるのに』って思ってた。
本当、あの頃は分裂して、新たに教団立ち上げて行く組み手が多かった。
複数いたもんね。
だから、崇教真光が本家本元だって、他は偽物だと主張したかったんだろうと思ってるよ。
それで皇室を持ち出したんだと、本物だから天皇家に返す準備がある…みたいな噂をでっち上げた。
セコイよねwwwww 真光の信者をやってなくても他の何かにハマってると思うな
人格障害は何故に他人に嫌われるのか理解できてないし、その癖に孤独を嫌うからな
最後の受け皿がカルト宗教なんだよ
おれが見た真光信者もサークルとか仕事変えたり
ありとあらゆることに関わってたみたいだがどこ行っても駄目 つのだ次郎の<後ろの百太郎>や<恐怖新聞>が好きだったね。
こっくりさんが流行っていて、学校何回かやってて、
「屋上に行かないと殺す」とかでて先生に怒られた人もいた。
こっくりさんをやった三人の中にその子を恨んでいたのかと思った。
自分は動かしたつもありでなくとも、10円玉がfスーッと動いてゆく、
3人の中の誰かが動かしているのだろうね。
昭和37年ごろ光玉が真の道キの宮で天杖というこっくりさんをやっと
知ったときは吹いたなw自分が子供の頃こっくりさんをやった時を思い出した。 >>90
ふむふむ
やはり本を読むことは重要なわけです。
問題は、自分にとって都合のいい答えだけを求めて読書する還暦十姉妹のような志向。
僕も読み漁りましたからねトンデモ本の類は。
古本屋に行くと、生長の家系の本もたくさんある。するとそこに三島由紀夫の寄せ書きがあったりするんです。
おのずと生学連や全国学協などの右派の話になる。のちの日本会議なわけです。
いすれにせよ、90年代にJICC宝島から有能なライターが多く育った。これは大きいですよ。
高坂和導なんて、テレビに出てまで竹内文書を広めようとしてましたからね。
テレビ屋さんからしたらただの面白いおじさんくらいにしか思っていないわけです。
呪文を唱えてUFOを呼ぶんだと言って丘の上に立って変な呪文を唱える。絵面だけは面白いんですがね。
馬鹿にしか見えない。ここは実はピラミッドの元になった山なのですとか与太話を一席打つわけですよ。
こっちが赤面したくなります。 どこ行っても駄目な落ちこぼれが集まったのがイスラム国だからな
つまる所カルト問題はそこに尽きる 皆神龍太郎や原田実もその頃に出てきたライターでした。
彼らの著作は、長年日本人の心に巣食ってきた根拠なきフリーメイソンへの偏見を一気に氷塊させる内容だったんです。
僕が問題だなと思ったのは、フリーメイソンに対してさして興味がない人でも、
漠然と悪の結社であるという印象を持ってしまっていることでした。
そしてそれがいつの間にかユダヤ人への偏見へとつながる。
イルミナティーへの偏見がそのままシモニーニ書簡になる。
気づいたらメイソン=ユダヤの悪の結社というトンデモ方程式ができてしまう。それがシオン議定書になった。
この悪循環を打破するには、書ける人が書いて、読む人が読んで、正しい認識を持ちつつ共有する必要があるんですよ。
本当は、オウム真理教の問題が出たときにもっと話し合うべきだった。あのときからまったく議論が尽くされていない。 90年代に近代を総括する必要があると、頭のいい人は気づくんですよね。
僕なんて80年代の短小軽薄を引きずっているようなところがあってピンときませんでした。
ピンとこないというより、どうしていいかわからなかった。周りには薄気味悪い大人がとぐろを巻いていたのに(笑)
幸い僕には工芸の道しかなかったし、変に頭でっかちになるよりは、目の前の民陶に向き合った方がよいと思ったんです。
工芸は嘘をつきませんから。
工芸家になることで保守を標榜できるということは、大人に対してメンツが立つという面もあった。
一方で本との出会いも重要なんだと言いたいですね。特別な行為なんですよ読書って。いやほんと(笑)
たった今、近代そのものを見直そうという機運が高まらないとほんとにまずいと思いますよ 新潮おじさんもキツネおばちゃんも伊勢神宮文庫の神代文字の写しにはコメントしてないじゃん。(笑)
筆跡まで真似た匠達がいたじゃん。(笑) >>97
オカマがこれを信じたいなら信じりゃいいけど、そうなるとただのアホなオカマってことになるな(笑)
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ヨハネスブルク青人民尊
ヒウケエビロスボストン赤人民尊 >>97
ところで聞くが、それ親書か?
竹内文書は親書の写本だと黙ってたんだぞ?
つまり嘘をついていた。
だから裁判にまでなった。争点は内容以前に写真判定だった。
伊勢神宮は、あらかじめ写本だと断りを入れてるんじゃないのか?
オカマは、脳みそがひとよりちっちゃいの? 神代文字を問われて、竹内文献が創作だと答える新潮おじさんの日本語理解力は哀れじゃん。(笑) 身内に真光信者がいたら大変だよね
俺みたいに北朝鮮とかイスラム国とかそこまでディスれないからさ
でも実際
それくらい普通の一般人からは相手にされてないだろ 写しならば、当時に神代文字が存在したと新潮おじさんも認めたじゃん。(笑)
書き込むなとパワハラのスレ主は希有じゃん。(笑) まぁ、写本なんて後付けの言い訳だけどな(笑)
裁判の係争中は、本物だと主張してたんだから 竹内文書
基地外しか興味ない
街で街頭インタビューしても
普通の人はスルーだろう 竹内文書は、そもそもが捏造したものだ。
皇祖皇太神宮側は、本物だと主張
狩野亨吉が完全に捏造と鑑定。
まさに完全論破だった。
なのに後になって本当はアレは写本だったと主張して蒸し返す(笑)
しかも口伝であると後付けした。
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コレが顛末ね 神代文字への回答を避けるパワハラ新潮おじさんじゃん。(笑)
あほか、とパワハラ全開じゃん。(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています