0347神も仏も名無しさん
2017/11/13(月) 22:38:14.76ID:1YJHQOpSこれが どういう事を言おうとしたものか、分からないが、ずいぶん前の事になるけれど
わたしは
自分の頭の上には、誰ももう一つの頭を乗っけていないじゃないか。
頭が二つ重なって歩いている人など、居ない、と思い始めていた事があった。
指導者、または、方向性、
つまり考え方だが、
あれもこれも、結局、わたしは肯定できなくなり、脱出していく。
そういう目で歩く人々を見ていると、誰もが頭は一つ。
頭が二つ重なっている人は、居ない。
この改めて知った事実は、わたしには驚愕的だったのである。
そこから、仏教の本を読み漁った。
もちろん、中学生の頃か、高校生の頃か、手当たりいろんなジャンルの本を読んでた頃のとは違って、仏教書ばかりを読んだ。
わたしは 人間からの影響を避けたいと思い、誰かに教えを乞う事は無かった。
万巻の書を読む時期、と言う時期が誰にもあると思うが、その頃の私がそれだった。
頭の上の頭を私は、自分の手で取り除いたのである。
これを自由と言うのだ、と知る。
汝こそ汝の主人公、他の誰が汝の主人公でありうるか。
釈迦であれ、わたしの頭の上には、のっけていない。
それが、わたしである。
わたしとは、個を言うのではない。ましてや、わたし達、と言うのではない。
この事を理趣経の燃え上がる青い炎の燃焼に、いのちの燃焼に、見た。
わたしが死んだときのお経さんも決まった。
般若心経である。
この長いお経でとむらいをやりたい。