【イエス】癒し主 救い主 【キリスト】Part 176©2ch.net
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『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
(マタイ 22:37-38)
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ 5:24)
だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
(ルカ 9:23)
もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
(ヨハネの手紙第一 1:10)
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ 28:10)
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類似スレで利用者を迷わせないために、次スレは>>970以降に立てましょう。
※前スレ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1501505897/ 全てのものがキリストである
この言葉を見ているもの
そのものがアルファであり
オメガである
始まりと終わり
それは意識の存在の事である
生まれてから死ぬまでの意識
それがキリスト ヨハネに全ての者は
神々とある
イエスが父と呼んだもの
それはイエス一体である
どういうことか
イエスの視点で言えば
創造主と自分は同じである
創造して、自分はこの世界にいる
この思想はイエスだけのものだろうか 全てのものに当てはまる
自らが作った世界に
自らを置く
なぜ自分に自分の意識があるのか
なぜ他人ではなく、自分の意識は
自分にあるのか 僕は忙しい時はコンビニ弁当、牛丼、ラーメン食べてる。
今の社会に適合できる者が次世代を作る。
隔離して生きている者は、自分の生で完結する。
社会に適合しないと生存するのは難しいよ。 石に意識は持たぬと考えるのに
何故私に意識があると言えるのか
私に意識などない
それに気付かなければ
何も見えない
世界を見ているようで
見せられているだけである >>756
それなんでわかったし
君なんてどこにもいないんだよまだ本当の意味では生まれてさえいないんだから パウロとヨハネは聖書をイエスから遠ざけたね。
生身のイエスから。 己の肉が滅びれば世界は終わる
これは真実である
世界が滅びれば肉は終わるか
世界が先に終わることはありえない
世界の中に心があるのではなく
心の中に世界があるのである >>758
>>パウロとヨハネは聖書をイエスから遠ざけたね。
>>生身のイエスから。
月見さんが良いこと言った! 視界にうつらない鳥を
声を聞いただけでそこにいる
と認識する >>722
そのまま信じてない、ただ・・・
確認してるだけ。
>>727
矢張り共通点は否めないよね。
>>728
変わったクリスチャンでスンませんね。
>>740
それ高杉 >>763
だが観測してみなければ鳥の実在を証明できないぞ? /::/:::::::/::l:i::::::::il::::::|::::|:::l::::::ヽ::::::::::::l:ヽ::::ヽヽ:'.,
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ヽ ー / ,. r '´ ヽ、
l、 ,. '" ,. '´ ヽ
`ー‐ ' r1,. '´ ,. ‐ ' ´ヽ., 鳥は存在していない
私は声である
鳥は世界に一つだ >>761
昔はルカ福とパウロが好きだった。
情緒的だよね。
今はヤコブ書を一番読んでます。 お酒は飲まれるのはダメだし、「我を忘れる」効果あるから習慣としてなくなってゆくと思うけど、お酒を飲んだら地獄行きは流石にないわーと思われw
そんな狭量な器の神なんて嫌だわw 鳥は世界に一つだけある意識を表している
声は世界
私は世界の一部
この世界は
意識、世界、己の肉
大きく分けてこの3つしか
存在しない 私が生まれると思っているのか
生まれているが
生まれていない
肉もある
霊もある
しかし意識は別である
私の意識が見えるものがいるか
しかし一人だけ自分の意識が見えている 悪魔と思うものにとっては悪だ
しかし耳を傾けるものに
とっては学びとなる
必要なものだけ
自分の手に取る 意識って言っても色々あるよなー
自分や周囲を認識出来ている状態は自我意識から生じてるから自我と切っても切り離せないよな
んでこの自我意識が欲を製造する温床にも神の器として働く原因にもなる 純粋な経験を指す
色、音、熱
感じるものが意識である
意識とは直覚 例えば睡眠時の外界に人は「反応してる」みたいなことが言われるけど、それはあなたの言う「意識の働き」なの? ちなみに外界への反応が意識の定義である場合、昆虫にも植物にも動物にももちろん意識がある、と言うことになる
また、機械の話をするとセンシング技術がそれにあたる
この方面から論を進めても、「人間の意識」のユニークさには繋がらないんだな >>782
インテリアのヴェルサーチは女性にとても人気なのよ♪💞 夢も現実
旧約でもある通り
夢を解くものはとく
夢と今という時は繋がっている
夢の中の世界は必ず感覚がある >>776
メディューサを見たら石になっちゃう💞😘 夢は感情の世界
それは「魂」の世界だな
感情の世界を視覚に置き換えた場合、
「色彩の世界」になる 自らの声によって
動くものもある
答えるもの全てに意識があるの
ならば
時計の針は存在していない
全てのものが意識をもつ
他のモノに意識がある
それは意識が作り出した想像である //:::::/l:i::::::::il:::l::|::::ト::::ヽ、::::::::::ヽ::::ヽ:ヽ:ヽ
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|l:::::l:i:l:l::::ト:::ヽ:l`ヽ、://::::::ヽ::::::::l:::::::::l:l::l::|::::::l::::::::!:::i:| 少し黙れ、>>789
|トl:::::il l、::ilヽ、:::l-‐,..-ュォ-、:::ヽ:::i|:::|:::l::l:lll|ヽ:::l:::l::::::::l:|
| ヽ::::il kァ、 、` - ' `‐'′ /ハl:::l:::l::l:::|::l| l:::::::l::::::ト|.
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ヽ .l/ ||:/ .ヽ::l _ノl:::::::l::::i| `
ヽ、 - l 〉l、|:::::|i::::::l::::|
ヽ` / .li:::lト:l::::l:l|
ヽ ‐、ニ= ‐ / lヽl-ヽl::l|
ヽ ー / ,. r '´ ヽ、
l、 ,. '" ,. '´ ヽ
`ー‐ ' r1,. '´ ,. ‐ ' ´ヽ., >>784
おまえみたいなオヤジしか、ヴェルサーチの男気は解らんよな 主よ
悪魔からの言葉を示さないで
下さい
異言ではなく預言と
なりますように
私の罪を憐れんで
下さい
あなたの言葉を
み心をお示しください
アーメン 何でもかんでも意識の場合は、よくわからない原因のブラックボックス作って、それに意識って名前をつけとるだけなのと同じ話だと思われ
それは何なのか、まで話しないとそのブラックボックスがクラムボンでも真っ黒クロスケでもなんでもいいわけで ヽヽ i l'' ''// .//
/ゝi i l,,----.i/ ./,ヘ,,
i / ヽ-'~'''''⌒'''''`-' 、i
.l .l /. / , \ i.l
. l .l./l /__( /人 ノヘl ) l l そいつ たおして
ゝ(/l/,,--,\/ lノ- lノ / し'l >>ヨハネスさん〜〜〜
.,,__ ノ ソ ヘ (::フ (::フ / しi ノ
.ヽ,_,,_ゝ,_ソ .ゝ-''~ソ
ゝ,,_ノゝ. 0 /ヽ_,ノ
ゝ_ノ`~'''----''(;;;;;) まちこはケネス・ヘーゲンを
satieはルドルフ・シュタイナーを捨てるべきです。
彼らはフリーメイソン33階級でした。
フリーメイソン33階級の有名人一覧表
Billy Graham ビリー・グラハム
Kenneth Copeland ケネスコープランド
Rev. Kenneth Hagin ケネス・ヘーゲン
Rev. Robert Schuller ロバートシューラー
Dr. Norman Vincent Peale ノーマンビンセントピール
Oral Roberts オーラルロバーツ
Charles Taze Russellチャールズ・ラッセル
Rudolph Steinerルドルフ・シュタイナー
http://www.biblebelievers.org.au/33rd.htm よしおはチャールズ・ラッセルを捨てました。
あとは、待ちことサティがヘーゲンとシュタイナーを捨てればいいだけ 如何に互いに愛し合うか
結構、難しいよね
ファリサイ派みたいにあれだめこれだめするのは、違くないですか? なるみちさんは誰かに「おまいら地獄行き」と言いたいだけなので、対話はムリぽ
シュタイナー捨てろとか言うけど、具体的にそれってどういう事態なんって説明して欲しいわw まず第一に人智学は宗教ではない
んで第二に人智学は信仰の対象にはなり得ない
んで第三に人智学は崇拝の対象にもなり得ない
んで第四に俺は人智学系の書籍を大学時代に読んでたから詳しいけど人智学徒ではない
って何回も言ってるのに、自分が叩かれだしたら変なこと言い出すからなー
おまいが叩かれるのはおまいのオカルト脳のせいなんだから知るかヴォケといいたい 社会に迎合する必要はないけど、社会に具体的に働きかけて過去のレガシーを未来の善で塗り替える具体的な力は求められとるとは思われ
んでそれは「生き残る」ためではない
「未来の子供たち」のために大人たちが準備すべきことだ
べき論w 健常者と障害者の区分けって分かりやすくて、大量消費、大量生産の資本主義においての健常者と非健常者ってことだよな
資本主義において奴隷になれるスペックを健常者と呼ぶ
(経営者セグメントが心理学的には非健常者に分類されるのは横に置いとく)
それは健常者っていう境界線、城下町の塀の内側と外側ってことでもある
余剰は慈悲を生む
その境界線内に「誰を入れるか」が寛容性の尺度であり人類の精神的な成熟度の指針になるのではないかしら、と思う
理想的な社会においては「健常者と障害者」の定義も変わるのだろう
それは宗教的に見ると善と悪の区分けと構造上、変わらない もしも〜今から〜百年が過ぎ〜
僕らによく似た〜子どもたちが〜
布施明 まぁ、一つの視点としては
俺は一人の何らかの壁を突破する人間が生まれたら
後続が自然と生まれるっていう論を信じてるな
ギネスが更新され続ける、IQが上がり続ける、
世界記録が塗り替えられ続ける、科学が発展し続ける
芸術が発展し続ける、
これらは先人がいたから無理だと思われたものが、なぜか更新される、という現象
宗教とかでは、ありがたい人が「存在するだけ」で周りを幸せにする、みたいな論に少し似てる
ピッピさんが無理だと思うことをピッピさんが更新する時に、ピッピさん的な世界中にいる人々を勇気付けてるんじゃないかしら、と思う 完全シャットダウン中のTVパソコンが急に起動した。
怖いな。 なるみとかいうボンクラが参考するサイトのポリシーを精査してみた
バイブルビリーバーという、19世紀豪州で創設されたメソジスト系ファンダメンタルだった。
wikipediaによると教理は菜食主義とペラギウス主義(修行義認説)らしい。
「おまえら地獄行き」「禁酒しろ」
この糞プロテからインスパイアされてたんだな このカルト婆さん 一過性の消費ネタを投下することが地獄少女の本懐
レスが沢山つけばそれでOK
それが「しかし地獄に行く・・・!!」の地獄婆の求めるところすね
その意味でも細木数子と変わらんw おばさんだの、おばあさんだのと、もはや人格攻撃しかできなくなったあなた方が可愛そう。
反論皆無じゃない。 >>814
なにがネタですか
いちばん重要なことでしょ。
イエス・キリストが酒飲みだったかどうかという。
とてつもなく重要な事です。 地獄婆、ボンクラ、カルト婆さん、イスラム教徒、テロリスト、細木数子、
お次はなに? これが真実。
(見た目)24歳。深田恭子似のリス顔の女の子です。 >>822
2ちゃん初期からいるんだから、なるみはもう低くみても60歳は越えてるでしょ。 介護保険でヘルパーさんにいろいろ、やってもらってるのでしょ。
なるみ婆さんは。 シャロンが70歳代、その次に、なるみが60歳代の高齢者でしょうね。 なるみ見てると、ネット社会における高齢者の悲惨さ感じるわ。 あなた引き寄せの法則を宣伝していたけど、何か引き寄せたの? われわれは誰しもが、つみびとです。
ビール中ジョッキー杯も飲んだことのある大酒呑みなのです。
イエス様は、ビール中ジョッキー杯を飲む者らを呼び集めて
酔っぱらいの上にエクレーシアを建てられたのです。
ありがたいことです。
喧嘩をやめて主イエスに感謝し、
性豪マリアを賛美し、元酒豪mirnaさまを崇めましょう 60代(シャロン)
50代(希美ちゃん)
40代(プリティさん、ピッピ)
ギリ30代(美魔女)
20代(みるな) 男子版
70代(老クリ)
60代(すろ)
50代(ボンボンのつきみくん、サティ)
40代(ズラ、さぁ坊、権柄先生)
30代(よしお、メタトロン、けんじ、西郷どん)
10代(ティキ) 希美がケーサツのご厄介になったのもワインのせいです。
アルコールワインがキリストの血だと思いこんで
毎晩飲んで酔っ払っては調子こいてエロ画像をばらまいて
面白がっていたのですよ。
結局御用とあいなりました。
もちろん彼に原因があるけれどお酒も原因です。 出 34:4〜9 IIコリ 13:11〜13 ヨハ 3:16〜18
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハ v.16)
父なる神は自らその独り子を受肉させることによって、私たちへの愛を示されました。
御子の贖いの死は父なる神の御心によることであったと、聖書は語っています。
たとえば御子と御父と聖霊とはそれぞれ別の人格であると考える人は、御子が十字架で御自分をいけにえとされた愛が御子だけのものであるかのように理解します。
そして御父はそれまでは自ら救済することの出来ない神として、無能であったかのように考えます。
しかしキリストの受肉の教理を信じるということは、単に御子を信じるだけではなくて、御子と共に御父が愛であることを信じるのです。
三位一体論の古典的表明は、5世紀に作られた 「クイクンクェ・ウルト」(通称アタナシオス信条) に見られ、これはアウグスティヌスの思想に基礎をおいているものと言われています。
その情熱に満ちた語り口の一部を紹介すると、「1.誰でも救われたいと願う者は、なによりもカトリックの信仰を保つことが必要である。」 から始まって、「15.かくの如く、御父は神であり、御子も神であり、聖霊も神である。
16.しかも三つの神ではなくて、一つの神である。 17.かくの如く御父は主であり、御子も主であり、聖霊も主である。 18.しかも三つの主ではなく、一つの主である。」 と述べられています。
古典的三位一体論で用いられている “位格(ペルソナ)” という用語は、現代語の “人格” とはやや意味が異なっていますが、それでもなお私たちが自らの信仰体験を説明する大切な手がかりでであることに変わりありません。
キリスト教は、御子の血で贖われた教会と共に歩まれる三位一体の神への人格的な信仰であつて、決して神に関するある種の教えや戒律を単に知的に受容することではないからです。 禿Gは性豪マリアさまとか言ってたらまた下痢するでw 出 34:4〜9 IIコリ 13:11〜13 ヨハ 3:16〜18
「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、 ・・・・・ 」(出 v.9)
この世の人間は決して無能力ではなく、いつの時代にも “多くのことに心を配り”(ルカ 10:41)、忙しくして来ました。
しかし、“本当に必要なただ一つのこと”(ルカ 10:42) を行うようになるためには、神の特別な好意が必要なのです。
この全く同じヘブライ語の文章が、創 18:3 では “よろしければ” と翻訳されています。
口語訳聖書ではより原語に忠実に、“わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら” となっていました。
そしてこの同じ語法が用いられている マコ 1:40 では、“御心ならば” と翻訳されています。
ある人はキリストを信仰しているけれども、父なる神のことは殆ど念頭になかったり、また別の人は父なる神とキリストは信じているけれども、聖霊は殆ど考慮外であるというようなことが、実際には多いのです。
中にはロザリオの祈りは唱えているけれども、キリストはマリアの腕に抱かれた幼子以上の、福音の主役としての神ではないという実感も、一部の人にはあるようです。
三位一体の教えは、新約聖書が成立してから後の時代に信条化されたものでありますが、それは決して使徒たちの伝えた福音に何か新しい要素を加えたのではありませんでした。
そうではなくて、使徒たちが受けた福音の啓示を、教会がより正確に宣言したものでありました。
これをただの学問としてではなくて、私たちの信仰として十分に理解するためには、信者一人一人が聖書に親しむ必要があるのです。
主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、私たちの “聖書の学び” の中にあって進んでください。
これが一人でも多くの信者の方々の、日々の祈りとなりますように。 申 8:2〜16 Iコリ 10:16〜17 ヨハ 6:51〜58
今日我が国の多くのカトリック教会で、主日のミサに第二奉献文が用いられることが多いようです。
これは215年頃のローマのヒュッポリトスの “使徒伝承” にある祈りを、多少修正して採用したものです。
“ともにささげるミサ (ミサ式次第 会衆用)” には、上段に第二奉献文、下段に第三奉献文が印刷されていますが、この第三奉献文はローマ典文をより伝統的な構成に再編したもので、これを主に用いている教会も少なくありません。
「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように。」(第二奉献文)
「キリストのうちにあって一つのからだ、一つの心となりますように。」(第三奉献文)
このようにミサは、これに参加するすべての人を一つにします。
「(キリストの体である) パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。」(Iコリ v.17)
これがキリストの聖体の神秘です。
「イエスは言われた。 “はっきり言っておく。 人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。”」(ヨハ vv.53-55)
私たちキリスト者は、主日のミサをともにささげる度ごとに、この主イエスの言葉を新しく聞かされているのです。
新約の大祭司となられたキリストは、司祭を御自分の代理者として用いてミサを司どらせ、その御言葉によってこれを支えておられるからです。
祭司職の制定が記念される聖木曜日の聖香油のミサの叙唱の中で、「司祭はキリストの名によって人々のために過越の食事を整えて救いのいけにえをささげ、ことばと秘跡によって神の民を力づけるように召されています」 と述べられている通りです。 申 8:2〜3,14〜16 Iコリ 10:16〜17 ヨハ 6:51〜58
私たちのミサからキリストの名が、感謝の典礼からキリストの聖体が、その独自の重要性を認められずに取り去られたり別のものに置き換えられるなら、それは “福音の土着化” でも “対話による福音化” でもない、教会の自殺行為です。
“唯一の救い主、イエス・キリストを強調しすぎると、他宗教との対話や共生、連帯は出来ない” というような発言と、この Iコリ の言葉とは、教会の信仰の中で共存出来るでしょうか。
「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。 わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。」(Iコリ v.16)
キリストの聖体は、他の何物によっても置き換え得ない天からのパンなのです。
神の国の相続人としての教会を一つに結ぶものは、福音の純粋で正しい説教を伴った聖体拝領によってであることを、21世紀の教会は再発見しなければなりません。
カトリックの信者は伝統的に御聖体を大切にする教育を受けて来ました。
それはこれからも大切にして行かなければならないことです。
しかし、それに純粋で正しい福音の説教が伴わなければ、教会は健全ではあり得ません。
そしてそれこそが、現代のカトリック教会の最重要課題であります。
多くの信者が熱心に聖書を学んでいなければ、どうしてそこから福音を正しく説教する聖職者が生まれるでしょうか。
将来のよき説教者を育てるのは、福音を熱心に聞く努力をしている信者会衆であることに気づきましょう。
共にミサをささげている私たちの世界中の仲間たちが、共に神の国を受け継ぎ、共に同じ約束に与る者となれますように。 申 8:2-3,14b-16a Iコリ 10:16〜17 ヨハ 6:51〜58
「パンは一つだから、わたしたちは大勢いても一つの体です。」(Iコリ v.17)
ミサの祭儀がキリストの行為でありつつ、同時に教会 (神の民全体) の行為であるということを明らかにして、“ともにささげるミサ” という表現が使われるようになりました。
典礼憲章 14 は、これを “全信徒の充実した、意識的な、行動的な参加” という言葉で説明しています。
「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」 という 黙 19:9 の言葉が用いられることで明らかなように、まさにミサの交わりの儀の場面で、完成された天上の教会に集められる将来の御国の民が姿を現すのです。
長い間カトリック教会では、聖体拝領が恵みを受ける手段として強調され、個人的信心として熱心に追求されて来ましたが、それが現在では交わりの儀と呼ばれるようになったことの重大な意味を、私たちは典礼憲章から学ぶことが出来ます。
主の祈りに続く “平和のあいさつ” も、幾多の変遷を経て今日まで受け継がれて来たローマ典礼の特色の一つですが、これを天上の典礼を前もって味わい、これに参加している (典礼憲章 8) 共同体の証しとして、私たちは理解し大切にしたいものです。 ぶっちゃけなるみおばさんは40代だろ
単純に俺より年上だし一般的に30代からおばさんだから「おばさん」 細木数子ってよく知らなかったので
ようつべ検索してみました。
細木和子がテレビから干された理由
ほんとかどうか知らないけど、ひどい人みたいね。 なるみさんみたいにオレオレルールで「地獄に行く・・・!!」って人に言って視聴率稼いでたビジネスマン まあ、前回の「死にたい」と同じで「地獄行き」も挨拶みたいなもん >>846
その人におまえがそっくりなことに気づけ
まあ、似ているとは言っても、かなりコモノだけどw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています