そもそも「不死」は人間にはない神や天使だけの特権だ。
天使はもともと神々だったから「我々」という語が出てくる。
畏敬の複数形でも三位一体でもない。
人間はもともと罪はないが死ぬ存在だった。
人は「善悪を知る存在」(悪賢い悪的存在)にはなることで
神に近づいたが「永遠に生きる存在」にはなれなかった、
「善悪を知る木の実」だけでなく「命の木の実」も人間が
食べてはいけないものだった。
創世記のエデンの園の話はそういうことを言いたいわけだ。