出エジプト記34:30(口語訳)
アロンとイスラエルの人々とがみな、モーセを見ると、彼の顔の
皮が光を放っていたので、彼らは恐れてこれに近づかなかった。
マタイ17:2(口語訳)
ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のよう
に輝き、その衣は光のように白くなった。

「顔の皮が光を放っていた」「その顔は日のように輝き」どっち
も「輝いていた」のであって「輝いて見えた」とは書いてない。
もちろん、そう解釈するのはありなんだけど、「どう書いてるか」
と「どう解釈するか」はきちんとわけて考える必要がある。

で、ユダヤ教ナザレ派の人たちは礼拝で出エジプト記のこの箇所
の朗読のあとに、マタイを読んで「ああ、イエスはモーセの後継
者となる預言者だったんだなあ」と思った(はず)。それがマタ
イのこの記述の目的だ、と解釈するわけ。実際にあった出来事の
記録ではなく。