すみません。ぼく、キリスト教に入りたいんです。 [無断転載禁止]©2ch.net
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僕はキリスト教にはいりたいんですが、キリスト教に入る前に知っといて欲しい事、あと、親になんて言えばいいのかわかりません。どなたか教えてください!! >>621 死後にヒトを(^ν^)裁くのわ アナタの仕事でわ(^ν^)あり魔せン >>615 うーん、勉強不足 まずキリスト教も仏教も、かなり重なる教えがあるのは事実です どちらも世間世俗の価値基準に染まった自我からの脱自我、覚醒、一種の悟りで、 その方法として異なります キリスト教は神、仏教では無我です 私の思い(心)、この思いに関する分析をブッダが2500年前にした結果、 その一つの例として、創り上げられた自己、スキーマ(世俗価値観、固定観念、思い込み 等)は、自己でない全部外から取り入れた借り物のスキーマで自我を構築させた それは真の自己でない、実体のない空と説いた その修行方法として、そのスキーマに支配されない今ここの事実に生きる方法として、 観念によらず観察をする修行(禅では集中三昧の方がメイン) 自分の観念的な思いは、真の自己ではないという智慧から苦悩から救われる キリスト教イスラム教のデメリットは、信念体系に固執して抱き、異なる宗教に排他的に なって宗教戦争が起こりやすいわけね キリスト教とイスラム教はどっちも元は一つの旧約聖書から始まっている。 これが最凶の「呪いの書」。 旧約聖書から新約聖書だのコーランだのが派生したが、その根底には 排他的な選民思想がこびりついている。 聖書の流れをくむ宗教は神の言いなりになって思考放棄するからいけない。 今戦争のた中にあるISISを「イスラム国」って呼び報道したのがアウトだ。 それは国と承認したことになってしまった。 人殺しは人殺しとして指名手配して逮捕してれば良かったんだ。 「国」と認めたばかりに彼らは「大義」を得たつもりになってしまった。 武器商人たちは嬉々として銃火器を売りさばいて「経済を活性化」させた。 経済界に深くめり込んだ死の商人たちはユダヤ教の系統だ。 元は一つだったものだけど、今も昔もロクでもないなー。 (ヨハネの黙示録21章15〜21) わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。 この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。 天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。 また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。 これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。 第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、 第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。 また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。 都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。 ペテロ「お前は道具の一つに過ぎないんだよ、クソボケ」 イエスに人を見る目がなかったから愚図な弟子が集まった。 ---- † エペソ6章10-12節 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、 また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 ---- 旧約の神は殺戮命令だしクズで理不尽 「〜に約束の地があるからそこに向かえ」 「…と言ったがあれは嘘だ。次は〜へ行け」 の連続でどうしてユダヤ人が捻くれたかよくわかる イエスの場合はユダの裏切りで逮捕され、その後、使徒全員が逃げ回った。 その数年後、ペテロが捕まり処刑されようと していた。使徒言行録 しかし、ペテロの無事を祈る懸命な信者の懸命な祈りが神に通じ ペテロは奇跡的に脱走する事に成功。 この二つの事件の結果で何を示しているのでしょうか。 イエスは何の役にも立たないから見殺しにした。 ペテロは人々を救う役目を担っていたので、脱走させて生きながらえさせた。 神はそういうメッセージを人類に与えたのでした。 第二テサロニケ1章7〜 「それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。」 この世に創造主なんて奴がいるならぶっ殺してやりたいね こんな糞みたいな世界を造りやがって 拝んでる奴らはさぞこの世が満足のいく世界だったんだろーね 創造主やこの世の支配霊や日本の支配層やアメリカに言ってやりたいよ この世は俺にとって生き地獄だったよ、こんな人生なら存在しないほうがよかった。ってね イエスの殺されっぷりは怨霊誕生の案件。 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」って台詞は よくある断末魔の叫びと同じ類だし。 本来、こういう憤死して怨霊化した魂は慰撫して鎮めなければならない。 だというのにキリスト教は 「人類の罪を背負ってくださったのだー!」という 歪んだ解釈をしてしまった。 以降、キリスト教徒たちはとんなに非道なことをしでかしても 神が罪を許してくれる! と突っ走っている。 アメリカの栄光の歴史??? コロンブスがやった大虐殺を隠蔽しているからそんなことが言える。 白人の支配するアメリカは始めから血塗られている。 戦史はあくまで格好よく、都合の悪いことは伝えない。 その方針であるかきりまた彼らは繰り返すだろうね。 まさにその通りだな イエスは確実に怨霊化してるわ だからキリスト教って福音じゃなく呪いなんだな ユダヤ豚と白豚に神がいるならそいつは間違いなく邪悪な邪神だわ 【教会探し】行ってはいけない教会36【教会相談】 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1499297539/ (キリスト信者の醜態が満載の糞スレ) 今このスレで自演ぽいのをいじって遊んでます たくさんのギャラリーをお待ちしてます 戦争は世界中の負け組や底辺の最大の娯楽だ もうすぐ朝鮮戦争がはじまるがソウルを火の海にし南チョン粉々に砕くのは当たり前として是非とも日本の札幌にもミサイル乱射、核攻撃をしかけてもらいたいものだね 俺は札幌生まれの札幌育ちだが日本で一番札幌が嫌いだ この世に失望したよ もしも天国なんてものがあってもこの世の霊的勢力も人類もそこに相応しくない 地獄こそが相応しい 天国の地獄っていい言葉だよな 天の上の者も天の下の者も天から舞い降りた者も災いにとらえられ苦しみ裁かれ死に地獄に堕ちたまえ キリスト教を信じたら諸悪の根源である悪魔が活発化するだけだぞ キリスト教は福音ではなく呪い 新約には信じる者達に火でバプテスマすると書かれている どーゆー意味かわかるか? 悪魔は一神教が作った概念。 あらゆる悪とされているものを集めて濃縮して存在を定義した。 一神教の神をひたすら正しく美しいものとするための引き立て役として、 人造の概念で「悪魔」を作り上げた。 おぞましいね。 レッテル貼りのキリスト教 レッテル剥がしの仏教といったところか ---- † エペソ6章10-12節 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、 また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。 ---- イエスをキリストだとする者は、義人、拒絶するものは悪人という思想は、 結果として異教徒への差別と殺戮を生み出しました。 パウロは人はアダムの罪で全て罪人と決めつけ、 その上で、キリスト教を信仰するものは、罪を許され義人とされるといいました。 とすると、信者でない人は、罪人のままで、 キリスト教の神に裁かれるわけです。 しかしながら、裁いたのは神ではなくキリスト教徒達でした。 キリスト教徒による殺戮 意見の異なるものは異端として迫害・処刑、 異教徒は教会専属の神の怒りを受けた罪人として皆殺し。 キリスト教も悪いけど世界で一番悪いのはフリーメイソンだと思うけどな 諸悪の根源だ >>645 キリスト教=イエスの教え。悪いわけがないでしょ。 パウロはイエスの弟子であるヤコブ・ペトロ・ヨハネを「柱と目される主だった人たち」と呼び (ガラテヤ12・9)、 「この人たちがそもそも どんな人であったにせよ、私にはどうでもよいことです」 (ガラテヤ2・6)とまで言っている。 イエスは、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。」 (マタイ7・21)と教えたが、 パウロは「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ローマ10・13) と言っている。 「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたち(パウロとパウロの信奉者)が あなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとする ならば、 呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して 言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、 呪われるがよい。」 (ガラテヤ1・8-9)。さらにパウロは 「わたしが キリストに倣う者であるように、あなたがたもこの わたしに倣う者となりなさい。」 (コリントT 11・1)と、自分だけに従うことを強要。 パウロは、律法を完成しに来たと言うイエスに倣っていない者であることを自白している。 「わたしたちは、律法が霊的なものであると知っています。しかし、わたしは 肉の人であり、罪に売り渡されています。わたしは、自分のしていることが分かりません。 自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、 望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。 そして、そういうことを行っているのは、もはや、わたしではなく、わたしの中に住んでいる 罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを 知っています。善をなそうという意思はありますが、それを実行できないからです。 わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことを しているとすれば、それをしているのは、もはや、わたしではなく、わたしの中に住んでいる 罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっている、という法則に 気付きます。『内なる人』としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体には もう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則の とりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。」(ローマ7・12-24) パウロがローマに入って間もなくの紀元62年にヤコブはエルサレムで処刑され、 信徒らは離散していた。そして同70年には、ローマ軍はユダヤとエルサレムを壊滅させた。 ローマにいたユダヤ人たちも滅ぼされた。ローマとエルサレムの間にあった、幾つかの 「イエスの信徒らの会堂(教会)」もことごとく壊滅させられた。残ったのはローマ人を中心として 形成されていた、パウロのキリスト教集団だけであった。「キリスト教はローマに迫害された」 というのは誤解で、ローマで迫害されたのはイエスを信じるユダヤ人たちであり、 ペトロや12使徒に属する者たちであった。だからこそ、異邦人=ローマ人の "パウロのキリスト教"だけが残り、勢力を拡大していくことができたのである。 紀元70年にユダヤが壊滅した後、残っていたイエスに関する文書はパウロの手紙だけであった。 このパウロの手紙を頼りに、ローマのパウロ集団は「キリスト教」を名乗り、 ローマ帝国の中で共存していくためにローマ化した宗教へと姿を変えていった。 パウロのキリスト教はローマ内にあった、あらゆる宗教に極めて寛容だったので、 誰もが容易に受け入れた。とくにローマの支配者である皇帝にとって、 あらゆる民族、あらゆる宗教に寛容で、すべてを包括するパウロのキリスト教は、 国を支配する上で都合が良かった。そこに目を付けたのが ローマ皇帝コンスタンティヌスであった。 >>646 キリスト教=イエスの教えではないだろ たとえばヨハネの黙示録はイエスが死んで100年以上たって書かれたものでイエスとはなんの関係もない それにパウロもイエス信者迫害者でありイエスとなんの関係もない 改心したとゆーなら一信者になればよいものを自分の勝手に考えた妄想理論を手紙や信者に教え新約ではそれが大きな割合をしめている まるでスパイでありイエスの教えを利用し曲げ台なしにしてしまったように見える 紀元325年、ローマ皇帝コンスタンティヌスの呼びかけで、ローマのキリスト教会と 各地にあった教会の司教たちがビザンツの都市ニカイアに集められた。彼らは、 ローマ皇帝が国教化した宗教の教義について意見の統一を図るよう命じられたのである。 ここでローマ皇帝コンスタンティヌスが決定したのが『ニカイア信条』である。 この『ニカイア信条』が、キリスト教会正統派の信仰を初めて公式に承認する文書となった。 このニカイア会議の後、1000年以上にわたってキリスト教正統信仰の名のもとに、 目を覆う流血の惨劇が展開されていくことになった。 >>650 必死だなw それでもキリスト教のどこが悪いんだ? 人を殺せなどという教えはない。 キリスト教徒に挑むのではなく、キリスト教に挑め。 隠居のように発狂するだけだがw >>652 別に必死じゃないよ キリスト教なんてすでにフリーメイソンの下につけられてるじゃないか フリーメイソンに負けたんだよ 認めろ、馬鹿ウリスチャン ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も元は同じ旧約聖書から派生したものなのに カトリックとプロテスタント。シーア派とスンニ派。細かく宗派が分岐するたびに 互いを否定し合うだけにとどまらず殺し合いをはじめる。 さらにエスカレートしてテロだの戦争にまで発展する。 宗教って本来の存在意義は人の営みに必要な秩序をもたらすもので、 善悪の判断を助けるテンプレートでもある。 だというのに聖書がルーツの原理主義系思想は秩序を壊して戦争を起こさせるし、 「神の仰せのままに」と思考放棄して善悪の判断力のない人形を量産する。 宗教っぽいから宗教に擬態して広まったけど、本質は人間を狂わせて地球の 生きとし生ける者すべての生存可能領域を破壊させる。 人の脳にはインストールしちゃいけないバグプログラムなんじゃないかな? 威張りくさって、感じの悪いキリスト信者だなぁ・・・ こういう裏の顔みたいなのを教会信者の仲間や指導者に見せてやりたくなる 新約聖書が公式に正典化される100年程前、ペトロとその弟子クレメンスによる 2人の書簡をまとめた「講和」と、紀元150年頃に書かれたとされる「再会」という、 2巻から成る「クレメンス文書」に、ルカの『使徒言行録』とは異なる伝承が残されている。 その衝撃的な内容のため、キリスト教会はのちにこれを偽書とし、 『偽クレメンス文書』と名付けた。その中に、イエスの弟で後継者であったヤコブが 「敵」と呼ばれる「ある人物」と神殿内で激しい口論の末、その「敵」がヤコブを 神殿の階段の下へ突き飛ばしたことが記録されている。ヤコブは死ななかったが、 ひどい怪我をしたので、支持者たちがたちまち飛んできて、彼を安全な場所へ運んだ。 この「敵」がタルソスのサウル(のちにパウロと改名)にほかならないことが 後に明らかになる。また、この文書では新約聖書の「ペトロの手紙U」で ペトロが書いている「偽預言者」をパウロとしている。 パウロは人間の義人と罪人の基準をキリスト教信者であるか、未信者であるかにしてしまった。 パウロのキリスト教の救済には自我の死を恐れ「永遠の命」を望むという 究極のエゴイズムがその根底にある。 「捏造された神の名の下に人を信者・未信者を基準に義人と罪人に二分する善悪二元論は、 自他を抑圧する」暴力となるのだ。 キリスト教の歴史上の暴力は、特定の人々の恣意的なものではない。 「永遠の生命の獲得=キリスト教の救済論に内在する暴力性(エゴイズム)」の顕現なのだ。 ワイはなんjでお馴染みの八神太一長谷川亮太やーーーーーー!!!!!!!!!!!!!! 長谷川亮太様の参上や!!!!!!!!!!!!!! 庶民共ひれ伏せーーーーーー!!!!!!!!!!!!!! 住まいは千葉県松戸市六高台や!!!!!!!!!!!!!! ワイを崇め!!!!!!!!!!!!!! ワイを崇拝せよ!!!!!!!!!!!!!! キリスト教徒は頭おかしい。 ジャンヌ・ダルクなんて、戦場の殺し合いに参戦する聖女って変。 「殺すなかれ」の教えはどこいったんだろう? 結局捕まったジャンヌ・ダルクは拷問されて火あぶりの末路。 フランスは彼女を使い捨てにしてるし。 あの時代の異端審問は筆舌に尽くしがたいほど残虐だった。 やってることは明らかに悪行なのにそれを正しいと信じてるなんて 狂ってる。 狂人は己の狂気を認識をできない。 とくに「敬虔なキリスト教徒」ほどそれが顕著だ。 >>661 なぜ昔からヨーロッパではキリスト教国どうしが戦争せざる をえなかったのか、戦争のときは敵を悪魔と思えと教えるような 方法で兵士を奮い立たせていたのかそのあたりはよく分からない。 フランス人がジャンヌを見捨てた件で国王シャルル7世を讃えたとは思えない。 ただ殺すなかれは旧約聖書でYHWHがヘブライ人に与えた戒めで、 お前たちわが選民(時代が下がってキリスト教徒)は同胞を殺すな (死刑に当たる場合は除く)という意味であって侵略されるカナン人 やエブス人に対しても適用されるものじゃないよね。だから新大陸を 発見した白人はインディアンに惨いことができたんだろう。 『汝敵』は殺すな、しかし『神の敵』は殲滅せよ、というわけです。 これはモーセの、殺すなでも同じ。神がイスラエルの民に与えると約束したから カナンの住人を皆殺しにした。それは聖なるである。 自分は神の側の人間だ、コイツは神の敵だ、と思えばいいわけで いくらでも殲滅行為を行えるのです。 『汝の敵』は殺すな、しかし『神の敵』は殲滅せよ、というわけです。 これはモーセの、殺すなでも同じ。神がイスラエルの民に与えると約束したから カナンの住人を皆殺しにした。それは聖なる行為である。 自分は神の側の人間だ、コイツは神の敵だ、と思えばいいわけで いくらでも殲滅行為を行えるのです。 まあ、今の日本のクリスチャンは旧約聖書に倣って聖絶とかやらない だろうね。連合国の政治的意図で禁止されてる。アメリカ人や韓国人 の宣教師は自国民のクリスチャンには彼らに相応しい、必要があれば 神の敵は殺していいという説教をし、日本人のクリスチャンに対して は戦争を否定し平和主義を重んじる、神の綺麗なところしか見せない 説教をしてるんだろう。だからキリスト教の嫌な歴史を直視できないし それが実際にあったことさえ信じられない。ネット右翼と言われる人たち とは信じてるものが違うだけで同じ心理状態。裏に政治が絡んでいる。 黙示録で天から降りて来るエルサレムって地上にとどまるがいつか地底に降っていくんじゃね? ヒトラーは天国の地獄とゆー言葉を残している YHWH系の宗教の天国って地底なんだろ 最近キリスト教に目覚めつつあるのだが近所でキリスト教会検索すると山ほどあって悩みます 調べると山ほど団体あるのね カトリック行っとけばいいかなやっぱ >>668 悪いことは言わないからユダヤ系宗教はやめとけ 日本人なら神社とお寺があれば十分じゃないか >>669 確かに 実は神道や仏教には慣れ親しんでいて神社参拝も好きなのだがハーベスト系の動画でコッテコテの仏教徒だったおっさんが改宗した解説聞いてたら勉強してみたくなった次第です。あそこまでアミニズム厨だったおっさんがと驚きました 自分も汎神論タイプで排他的に見えるキリスト教はむしろ悪や戦争を生んでる気がして正直あまり好きでなかったのですが良く考えたらロクに勉強したこともなかったしという次第です >>670 それならネットか聖書読むだけでいいじゃん 教会なんて行く意味ない でも、聖書だけでも極めて強い洗脳力あるから気をつけろよ あれは福音ではなく呪いだ >>668 初心者はカトリックがおすすめ 世界最大の宗教団体でどこに行っても通用するのが最大の強みだ。 カトリックで学ぶ聖人伝は美術館に行ったときに本当に必要になる。 狂信的な戒律もないので家族や親戚と険悪な関係にならない。 献金負担や時間的負担がキリスト教の中で一番軽い。 とりあえずカトリックに入信するのが身軽でいいかも。勉強するも よし、よその教会の活動に参加するのも自由(大歓迎してもらえる)。 今からせっせと入門講座に通えば、来年の復活祭には受洗できる。 なるほど勉強になりました ありがとうございます とりあえず行くなら本尊のカトリックにしようと思います また世の中が少し明るくなりますね。 切支丹が一人増えると天が喜ぶのです。 まず、キリスト教の歴史を調べてみなさい 2000年ほど前にイスラエルでイエスが始めたがイスラエルはローマ帝国に滅ぼされた ローマ帝国で宣教し国教にまでなったがローマ帝国は分裂し滅び去った ローマ帝国の国教になったことでヨーロッパに広がり強い権力を持ち支配したがその時代のことを暗黒時代と呼ぶ おそらくペストもキリスト教のせいで広まった キリスト教が支配宗教として相応しかったならローマ帝国もヨーロッパもとっくに幸せになっていたのだ キリスト教は福音ではなく呪いである 中東地域は、異部族間の戦争が頻繁に起こり、負けた方は勝った方の奴隷にされるか殺される。 悲惨な環境です。イエスの頃ユダヤ人達はローマ帝国の奴隷でした。 奴隷は生きていても希望がないが、イエスは、カミに縋れば死んでから天国で幸せに暮らせる、と 説いたのです。現代でもこの地域は、イスラム教徒等の戦闘が頻繁に行われていて、 人々はいつ殺されてもおかしくない。この状況では、人々は死んでも天国で生き続けるのだ、と 信じなければ生きて行けないでしょう。 カトリックさんにお聞きしたいのですけど、 入門者が入りやすい本として、 故渡辺シスターとか、マザーテレサや神父さんのサイトを読みましたけど、 ほとんど仏教と教えが かぶってるんですよ それが神 or 無我によって、利己的世俗的な自我から離れた視点の話は、 ほぼ似通ってるわけでして、今を大切に生きる話も同じです ただキリストだと、神を絶対視、他者と異なる自己特別視というエゴが生まれ、 異なる思想に排他的で現に宗教戦争も起こしています オウムカルトも麻原絶対視、世俗と異なる自己特別視の信者という宗教患者の 集まりでした それならエゴを強化させない仏教の方が健全に思えるのですが、いかがですか 新約は福音ではなく呪いだ その宣教とは洗脳し呪いを世界にぶちまけることだ 中東だけでやってろよ 世界をその戦火に巻き込もうとするんじゃねーよ 世界を道ズレにすんな 中東だけで永遠に殺しあってろよ >>678 そんな甘い認識は通用しねー ユダヤとその邪神のやったことは世界に呪いをぶちまけ世界征服しよーとしただけじゃねーか それを正当化するな どんだけユダヤ絡みで破壊と殺戮が起きたと思ってんだよ まぁほぼ世界征服は完成しちまったようだがな >>579 確かに仏教の知恵は非常に優れている点が少なくない。 カトリックにかぎらずキリスト教でも見習う余地があると思う。 歴史を見ても、絶対的な神と言いつつ実は自分たちに都合のいい 神を捏造して押し付けてきたことは否定しようがない。 >>679 プロテスタント視点で言えば仏教は哲学であって人間から自分で生み出したもの 突き詰めればサタン的発端の思考という流れに置き換えられるらしい さらに言えばその仏陀も創造主が作ったものという観点となる とにかく人の中の神的なものを認めない つまりは多神教や汎神論、スピノザ的な全てが神から発しているという隙のなさそうな考えすら異端となる 確かにそれを認めると自分を神と言い出すカルトや悪的なものが生まれる土壌となるが、そもそも彼らの中の排他性にこそ悪が存在している といった分析もサタン的思考となってしまう 聖書原理主義だとどうしてもそうなる なのでカトリックの方が柔軟でいいかなと思いました 法王が異教徒も尊敬すると発信したり過去の虐殺を謝罪したりしているし 加えて無神論者は理性を第一に置き 宇宙=神のようなニューエイジ思想や汎神論者は経験や直感を第一に置く プロテスタントは聖書を第一に置くという解説も聞きました しかし聖書を第一に置いた場合でも精霊的なものや聖書に心打たれて彼らは聖書を第一に置いたわけで、それは結局経験や直感を第一にしたのと同じではないのかな?という矛盾も感じました 突き詰めれば結局のところ霊的弱肉強食でしかないということになってしまいます 霊と関係を持つにはお供えや生贄が必要で仏教ならお線香や食べ物 ブードゥなどでは鶏の血を捧げます そうしたお供えの中でもっとも強力なのは人の命でさらに強力なのが聖人 つまりはイエスということです なのでキリスト教的精霊は地球ではスーパーサイヤ人並みに圧倒的に強力なことには違いはなさそうですし、その時点でそれが真理と言って差し支えなさそうですが、そうした疑問も含みつつカトリックから始めてみます >>683-684 信仰の自由はありますし、アンチキリスト教ではないですが、 これだけは知って下さいと、一つだけ重要なことを教えたいのです。 世俗の価値概念は、思考で創られた観念であり、思想でもあり、 宗教も、思考で創られた思想です。 仏教は、その思想、観念の束縛支配からの解脱です。 人は思想、観念に しがみついて虚構の自我を構築させるわけです。 観念的な思いは、真の自己ではないのです。→苦悩からの解放 その真の自己でない思考が、神という宗教に しがみつき自我を強化させます。 仏教の立場からだと、キリスト思想に束縛洗脳支配された虚構の自我 になるわけです 神という自我の明け渡しがあっても、異なる思想には排他的で宗教戦争も 現に起こし、選民思想のような自己特別視というエゴも生まれます。 こういう話は洞察力と厚い本で丁寧に解説しないと、仏教の智慧は分かりに くいのです。まだ地球は平らだと信じられてた時代、超越的な神なる概念も 生まれるでしょう。誤解なく書いておきますが、仏教は特に神を否定して ません。形而上学的問題、つまり証拠根拠が不十分な話はスルーなのです。 >>686 >選民思想のような自己特別視というエゴも生まれます。 人はだれ一人として同じではない特別な自己という事実はありますからね。 選民思想は良くありませんが。自己を特別視することは絶対に悪いことに 他ならない、とはならない点を指摘しておきたいと思います。 >まだ地球は平らだと信じられてた時代、超越的な神なる概念も生まれるでしょう。 今も1000年後2000年後10000年後には 「○○と信じられた時代」と言えるのではないでしょうか。科学の発達で 神を削っていると考えること自体が、キリスト教の神を捉え違えているのです。 科学がいくら発達しても、どうってことないよ!というかまったく 神が穿たれる(うがたれる)ことはありません。カトリックですが・・。 ×「○○と信じられた時代」と言えるのではないでしょうか。 ○「○○と信じられた時代」と言われることになるのではないでしょうか。 異郷の神々をいっしょくたに悪魔扱いするキリスト教って毒々しいね。 実のところ神様なんてじゃうじゃいる。 あらゆる森羅万象からなんとなく感じ取れるものだけど。 それを擬人化ならぬ擬神化して信仰が発達して、人々の暮らしに 秩序がもたらされてきたのだけど、人々の暮らしが自然現象とうまく 折り合いがつくように天文学だの気象学だのも発達してきた。 荒神の仕業とされる天変地異の備えもしてきた。 だというのに異文化の神々を悪魔扱いするだけでなく、分岐したキリスト教同士が 宗教戦争をしまくり。イスラム教もキリスト教と同じところから分岐しているのを 忘れているように見える。 徹底的に殲滅して虐殺して略奪しといて、勝ったというだけでそれらの行いを聖戦やら 正義やら言ってしまえるのは頭おかしいとしか……。 つくづく一神教は呪いだ。 自分はこの板の某スレでふとしたきっかけから 絶対に反省しないキリスト信者さんをつついて遊んでる者だけど・・・ 神様に選ばれ共に歩むはずのキリスト信者さんが 自分みたいな非信仰の野次馬を全力で潰しにかかる姿を見てると 「実際、キリストの教えなんて大したことないんじゃないか」 と思ってしまう毎日 だって絶対に正しいはずの宗教家なら、罵詈雑言も自演や成り済ましも必要ないでしょ? ツッコミどころが多すぎるキリスト教に、少数ながらも日本人が 入信する理由は他のコミュニティからあぶれたから。 反社会的な暴力団に入るのもカルトな宗教に入るのも似たような動機。 居場所のない人間が受け入れてもらえるありがたさから依存する。 そうして反動で自分を受け入れなかった社会への復讐心を育てて 厄介ごとを引き起こす。 正しく居心地のいい社会ならキリスト教徒はあまり増えないんだけど。 そういうのは廃仏毀釈される前の寺社仏閣勢力が頑張っていたなぁ。 修業は人としてのメンタルを鍛えたし、衆生を救うのが目的の僧を育成する 仏教は本質的なところで生きている人のための存在だった。 今のお葬式関連の仕事しか見栄えのしない仏教徒はまるで別物である。 明治政府は日本から地方自治できる力を奪い信仰を奪い文化を奪う キリスト教側からの傀儡政府だった。 偽物の錦の御旗で幕府を滅ぼした明治維新は、偽物の正義で日本を荒廃させた。 キリスト教の毒素を一気に日本に招き入れて、ニホンオオカミをはじめ多くの 動植物が乱獲されて絶滅した。 自然の中に神々を見出す日本では絶対に起こらなかったはずのことだ。 先日カトリックに行ってみようと書いたものですがそれからも連日キリスト教を勉強していますが、やればやるほどキリスト教の神は完全なる神ではなく異常に強力な精霊という気がします レビ記ではキリストが現れる前の段階では神は5つの形の生贄を求めています 血なまぐさいものも含まれています これは他宗教の精霊も同じ性質で、神というより霊的なものであるという証です ただ他と比べるとあまりに強力なので創造主と呼んでもいいし真理といっても差し支えない 実際にキリスト教の精霊が体に入ると良い体感があり現実的に徐々に世界の見え方が変わってくるでしょう それがあまりに素晴らしいので多少の矛盾はもうどうでもよく絶対神ということにしてしまうしそう言っても差し支えないほど素晴らしい精霊なのでしょう 実は私も最近それを感じ始めていてキリスト教に興味を持ち始めた次第なわけです しかし本当の意味での完全な神ではない そう考えるとすべての辻褄があってしっくりくるのです そもそも宇宙=神の汎神論的な神の捉え方とキリスト教の神の捉え方は違っていたということだけなのかもしれませんが 多神教が根付き自然=神の日本人の感覚からすると、キリスト教の嫉妬する神や異教を崇拝するものは必ず殺さなければならないと言っている神はどうしても違和感を抱きます 仏教(原始仏教)はざっくりいえば人間が智慧で真理を目指す教えでそもそも神や精霊がどうとかという宗教ではなく、よく推敲され論理的にも矛盾のない美しい教えです 突き詰めれば自も他もない教えです なので私は原始仏教の教えはとても好きです その上でキリスト教も勉強したいと思いました >>686 さんに向けて書きました >>692 そのへんはかなりユダヤ教に由来するのだけど、実はユダヤ教は無神論と言ってもいい という主張があるくらい。現代のキリスト教にも非有神論や理神論という形で強く受け 継がれてる。ただ、そういう側面は教理的なものにはあんまり現れてこない。 >>691 明治政府のキリスト教傀儡政府説は笑ったけど、国家神道はあきらかにキリスト教を雛形 として形成しているので、一回転していいところ突いてると思った。 あなた方は愛に植えているので、愛で攻めることにしました。方針転換です。 >>694 なるほど 勉強になりました 既に中世において議論され「理性」による創造性については双方認め合った形となったわけですね。 つまりは汎神論者でありなおかつキリスト教徒であることは可能で歴史的には既に一旦決着を得ていたのですね。 そう考えると一派の聖書第一主義はやはり少し頭が固いように思われますね >>687 そこでいう自己特別視は、自我が好きな比較による優越感から上から目線な 尊大、傲慢、自己愛性人格障害に近い性質のことです。 仏教が分かると、生命平等と慈愛が湧き、自我の優越、劣等感からも卒業でき ます。かつてオウムカルトは、俗人凡夫と異なる高い地位と自己特別視の宗教 患者の集まりでした。 貴方は自分の渇望による欠乏、欠落の穴埋めに宗教思想で支え、自己意識を 強化し、自我を構築させ、宗教が生きる杖となり、それはそれで一つの生き方 なので否定しません。聞きますけど、老、病、愁、悲、憂の精神的な苦悩と 永続的に心が満たされない渇望をキリスト教では、どう克服されるのですか。 酒、快楽、娯楽、一時的な気休めでってことでしょうか。 >>693 原始プロト仏教は、結局、思想信仰を超えていて、生命平等、慈悲、 苦の滅、が無我非我によって可能で、心が育てられ清らかな道でもあります。 私も昔はエゴが強く、学問を深めれば、肩書をもてばと、俗世心に染まった 好き嫌い激しい、無知無明な人でした。差別される障害もあり心に闇のある罪人 と自覚してましたが、本当に救われたのは根本プロト仏教の方です。 キリスト教にも仏教とかぶる いい教えがあるのですが、結局観念論の域で智慧の 開発がなく、気づきのない思考のまま思想束縛で終わってしまいます。 けど大切なのは、差別なく慈しみがあることですから、そういう人はキリスト 信者さんにもいることは知ってますし、自分さえよければ他者はどうでもいいの 無関心でなく、まさに自他を超えた思考や助け合い、そういう人たちが多ければ、 エゴの強い人たちで支配されることなく、弱者は多く救われるのですけどね。 >>694 >国家神道はあきらかにキリスト教を雛形として形成している まさにそれ。傀儡という言葉は近いけどちょっと違うかなと送信してから違和感に気付いた。 なんというか、キリスト教の毒々しさはいかんともしがたく、江戸幕府が鎖国したり禁教令を 出していたのは納得できる。 明治維新ってテロ犯罪とそのものじゃないか? 新政府のメンバー、サイコバスが多かったし。 江戸幕府の方が地道で堅実な人材がいてまともだったし統治上手だった。 実際、新たに作られた明治政府のやり方は幼稚で、幕府の天災と人災に備えて積み立てていた 貯蓄を、奪うだけでなく無計画に散財しまくり。 まともな財務の人材、いなかったんじゃないだろうか。 寺も神社も潰して鎮守の森の多くが失われて、山林でも無計画な伐採による水源喪失。 偏った材木のみの植林で生態系を狂わせて、野山のこもっても充分生きていけるほど豊かだった 自然環境を破壊した。 南方熊楠ほど頭よくなくてもわかる。民俗学を流し読みしただけでもわかる。 自然環境も、古くから在る地域の信仰や習慣も、かけがえのない大切なものだった。 だから明治維新を成したとされる有名人たちのやったキリスト教社会の真似事を偉業と讃える 歴史教育は気持ちが悪い。 史実って勝者が好き勝手に歪めるものだけど、誤魔化しようがないくらい明治政府以降の 日本の国策は幼稚な失敗ばかりをやらかしている。 現代でも、地震が多い国なのに原発を国策にするとか、筆舌に尽くしがたいほど愚かだ。 今はゲームキャラにまでなっている明治維新の立役者。蛇蝎のごとく嫌悪の対象だ。 ろくな結果にならなかったとこでも偉業だと伝説をねつ造してくる装飾過多表現がキツい。 気持ち悪くて嘘臭くてツッコミどころ満載である。 >>699 鎖国してなかったらフィリピンみたいにすっかりカトリック国になってたかも なんだけど、仏教が伝来したときだってすごい勢いで広まったわけだし、うまく 日本の文化として定着したかも、と思うんだけどね。 明治維新みたいに西欧キリスト圏の精神的なベースを無視して制度的なとこだけ 無批判に輸入すればひずみが出て、負け戦に突入するような幼稚な国家になって しまう。いまだにそれを延々ひきずってるわけで確かに維新の志士とやらは重罪 だと思うよ。 確かにこの世には悪魔がいる キリスト教を信じたら悪魔にフルボッコにされる 聖書の邪神や悪魔に害をなされたら黒人を殺しなさい すべて黒人に報復しなさい YHWHはアフリカのローカル邪神だ アフリカや黒人に食料支援することは悪であり罪だ 先日カトリックへ行こうと書いたものですが今朝5時ごろに体感を得ました キリスト的精霊の体験をしました ジョンラミレス氏が体感した地獄で十字架に救われたのと似たようなものです 間違いなくイエスキリストは精霊的な形で生きて存在しています ジョン氏の場合はおそらく学問的にキリスト教を学んだわけでもなく一般的には異端で理屈や教義よりパッションメインで進んでいるのだと思いますがそれも良く理解できます。 結論からいうとカトリックの十字架に貼り付けられているキリストの形は最大の魔除けです。ここで言う魔とは悪魔やサタンなどの人間的善悪ではなく霊的窮地状態の事を指しますが。 同時に多神教一神教の問題やカトリックとプロテスタントなどキリスト教内の派閥、他宗教の違いなどはあまり関係ありません また「信じる者は救われる」というのも正確ではなく「知っているだけで救われる」というニュアンスの方が近いです。 仏教でも神道でもイスラムでもユダヤでも関係ありません 極論を言うと悪魔的なものやサタンでも関係ありません それほどキリスト的精霊はいいやつです 宇宙一性格が良いかも知れません もし霊的窮地に陥った時はキリストの十字架を思い描くだけで必ず助けにきてくれます 実にシンプルな構造です。なので聖書解釈で頭ガチガチにする事は歴史書としての意義はあっても霊的にはそれほど意味はありません そういった強力な精霊がいるという事だけ認識していれば良しです ですので排他的な印象もどこかで捻じ曲げられましたね どこかの時代の権力者が政治利用の為に捻じ曲げたのかも知れません 三位一体に関しても感覚的にはあまりピンときませんでした 面白いのが悪魔や魔神的な存在でも絵的にはキリストの十字架を持っているやつが結構いるということでした。霊的窮地になった場合はどんな存在でも助けてくれるということですね 加えて悪魔や魔神的存在もかなり誤解されています。彼らは自然界で言えば肉食動物みたいなもので自然界以上に多様で人間に害するものも当然いますが全部がそうではありません。強力なので恐れられるのは仕方ありませんが >キリスト的精霊の体験をしました 聖霊と書けないのが、部外者丸出し。 別に精霊だろうと本質が同じなら構わんでしょ。 三位一体はどっちかというとローマ帝国の支配の強化のために政治的に 作り出された教理で、キリスト教の中身とはあんまり関係ない屁理屈。 紀元325年、ローマ皇帝コンスタンティヌスの呼びかけで、ローマのキリスト教会と 各地にあった教会の司教たちが、 ビザンツの都市ニカイアに集められた。 彼らは、ローマ皇帝が、教義について意見の統一を図るよう命じられたのである。 ここでローマ皇帝コンスタンティヌスが決定したのが『ニカイア信条』である。 この『ニカイア信条』が、キリスト教会、 正統派の信仰を初めて公式に承認する文書となった。 日本ではキリスト教徒が少ないと久しく言われていますが、それは単純に、信徒が布教しないからではないでしょうか。御言葉を積極的に伝えていないということです。 一般信徒が布教・伝道しやすいように、方法を考えてみました。 御言葉を書いた名刺サイズほどのコピー用紙をポスティングするだけです。 これならお金もかからず、多くの人に御言葉を伝えることができます。 今は、ネットに聖書内容や礼拝説教などが載っていますので、関心を持った人は、自分で聖書・御言葉・キリスト教について調べるでしょう。 A4用紙なら、たとえば、用紙を縦長に見て左右中央に一本、縦線を引きます。これで左右二等分になります。 そして、上下を5等分に線を引きます。これで、10個のマスができました。 その中に、聖書から、初心者に合いそうな御言葉を、「聖書のことば」として、 1マスにつき二つほど書き入れます。10マス全て同じ御言葉でも良いと思います。 (「新興宗教とは無関係です」と記述しておくと尚良いと思います。) それを版下に使い、プリンターやファックスや、コンビニなどで数枚コピーします。 そのコピーしたものを線にそって10等分にハサミで裁断して、あとは配布するだけです。 一日、1枚配布だけでも、1年で、365人に御言葉を知らせられます。 参考 https://87y989i.web.fc2.com/index.html 選民思想は宗教にあらず。信仰にあらず。人の尊厳を奪う自我の乗っ取りだ。 乗っ取られた人間は個人で思考し判断し行動をすることよりも自称・神の代弁者の 手足として生きるようになる。 なんでこんなおかしなものが流行するのかと思っていたら悪徳商法の元祖はキリスト教だったんだな。 >>706 のやり口なんかネズミ講みたい。 そういう釣りなんだろうね。 普通の人は迷惑だと一蹴するチラシも数撃てば、寂しいぼっちがコミュニケーションに飢えて 自ら洗脳されにくる。洗脳されて楽になろうというのは精神の自殺行為だと思う。 布教=洗脳・悪徳商法・ねずみ講って思考回路はなかなか強烈だね。 それは置いといて、御言葉って聖書慣れしてない人には「何言ってんのコイツ」 「気持ち悪い」でしかなかったりするから、なかなか難しいんだよね。 もしかすると、「(自分も含めて)人を大事にする」みたいなあたり前のことを しているのが一番効果的な布教なんじゃないか、と思ったりする。「自分は クリスチャンだ」とわざわざ知らせなくても。 もう単純に、神への自己中的執着、 聖書への中毒依存性でなくてさ、 全人類、生きとし生けるものが幸せにあれと、 清らかな心で善い行為をして、みんなのことを心配して生きる それだけで平和で差別なく、救われる弱者もいて、何とか神仏信仰関係ない方が 排他主義にもならず、 真の普遍的宗教になるわけでしょ こんだけバラバラでイスラム教も増え、宗教患者になって、思い込みの洗脳でなく自主的に、 人格を高めて皆を幸せにしようと 考えるのが真の宗教者でしょ 聖書に殺せ殺せの内容や女性蔑視や、 イエスの提唱と異なるパウロ新宗教 一つにこだわっても対立や議論、争いのもとだと、いいかげん分からないものかな 神のみ言葉(聖書)から… http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kami.htm 残虐、残酷、惨殺、大破壊、大虐殺... 『汝敵』は殺すな、しかし『神の敵』は殲滅せよ、というわけです。 自分は神の側の人間だ、コイツは神の敵だ、と思えばいいわけで いくらでも殲滅行為を行えるのです。 日本ではキリスト教徒が少ないと久しく言われていますが、それは単純に、信徒が布教しないからではないでしょうか。 御言葉を積極的に伝えていないだけということです。 一般信徒が布教・伝道しやすいように、方法を考えてみました。 御言葉を書いた名刺サイズほどのコピー用紙を、各戸、郵便受けにポスティングするだけです。 これならお金もかからず、多くの人に御言葉を伝えることができます。(自分トラクト・個人トラクト) 今は、ネットに聖書内容や礼拝説教などが載っていますので、関心を持った人は、自分で聖書・御言葉・キリスト教を調べるでしょう。 A4用紙なら、たとえば、用紙を縦長に見て左右中央に一本、縦線を引きます。これで左右二等分になりました。 そして、上下に5等分に線を引きます。これで、10個のマスができました。 その中に、聖書から、初心者に合いそうな御言葉を、「聖書のことば」として、1マスにつき二つほど書き入れます。 10マス全て同じ御言葉でも良いと思います。(「新興宗教とは無関係です」と記述しておくと尚良いと思います。) それを版下に使い、プリンターやファックス、コンビニなどで数枚コピーします。 そのコピーしたものを、線にそって10等分にハサミで裁断して、あとは配布するだけです。 一日に1枚配布しただけでも、1年で、365人に御言葉を知らせられます。 参考 ttps://87y989i.web.fc2.com/ >>704 ありがとうございます。 三位一体はやはりそうなのですか 妙な体験から数日たって今やすっかり日常で電波な書き込みが今は恥ずかしいくらいなのですが今週中に初教会行く予定です >>713 はこれから騙されにいくのかな? 信じたいものを信じる人が陥るよくあるテンプレ展開になりそう。 こういうのって信じるに値するものかどうかを考える思慮深さが足りないと ひとたまりないからなぁ。 実のところ心霊体験なんて珍しいものではない。人類史にキリスト教が 広まる前からあったし、現代人でも一生に何度かはそういう体験をするものだ。 自分が体験しない体質であったとしても家族や友人にそういう体験したことが あってキリスト教と無縁の人、必ずいるものだし。 ゆえにちょっとくらいの不思議体験をキリスト教に結び付けるというのは 何か違うと思う。 それに教会行ったらなにを刷り込まれるのやら。キリスト教に感染させる 方法は詐欺商法と同じ。信者獲得のために「それらしいこと」を延々と 注ぎ込んでくる。そうやって「信者」に作り替えられる。 キリスト教が信者を仔羊と称するのは言い得て妙。「信じる」ことのみを 強いることで人間として当たり前の精神活動――迷うこと・疑うこと・ 考えること・自らの判断で選ぶこと…のほとんどをできなくされてしまう。 自らの判断を放棄して他者に委ねている仔羊ばかりだから、キリスト教の歴史は 血なまぐさいのだろう。 「キリスト教やりますか? そして人間やめますか?」と 言いたくなってしまうほど酷い。 >>714 今日初めてカトリック教会にいってきましたよ!勉強会も参加しました 全然そんな感じじゃなくて例えるなら授業の道徳とか公民館みたいなニュアンスが近いですかね。新興宗教みたいな強烈なのではなく堅実に地味な感じですよ。でもすごく楽しかったです。 変な勧誘もなければお金がどうとかも全然ないです。あと変な人もいませんでした。普通のおばちゃんとかお兄ちゃんです。大切なのはどの神か宗教かではなくそれを通じて色々向き合ったり考えたりすることだと思います。その辺はまともな宗教はどこも一貫してると思います あまたの邪教ひしめくこの国でカトリック教会にたどり着いた者は幸い。 >>714 が無知すぎて悲しいレベルだな。 多分創価とかの信者なんだろうな >>715 まぁ、地獄への道は善意で舗装されている 地獄への道の始まりなんてそんなもんだ みんな正しい、正義だと思って地獄に堕ちてゆくのだよ >>718 どうしてそんなに疑ってかかるのです? 祈ることと依存することはは真逆です。 何かに依存したい救われたい為にカトリックに行ったわけではありませんよ 確かに1つしか知らない場合は他と比べられないので偏ってしまい良くないと思います。 今までも哲学や原始仏教、日本の様々な仏教や神道にも触れてきましたし創価学会やサイ◯トロジーなどの新興系にも勉強の為足を運んでみたことがあります。 実際に体感してみないと批判も肯定もできないと思ったので。 新興はやっぱりよろしくないというのが個人的な結論です(背後に金銭崇拝、異常な勧誘) やはり伝統ある仏教やカトリックはちゃんとしてますね。宗教は王道が1番だと思いました。 自分はカトリックの幼児洗礼組だが、 成人洗礼を受ける人の気持ちが全く理解できない。 幸いなことに、日本はキリスト教に汚染されなかった、のに なぜ、自分からわざわざ 入っていくのか。 一神教の神の恐ろしさは、いまの現実の世界で 起こっていることを見ればすぐわかること。 信者になるということは、 いつでも、つねにこの神に監視されていると意識しなければいけない。 つねに誉め称えないといけないし、 何があっても神に感謝しなければならない。 決して怒らせてはいけない。 しかも何が気に入らなくて怒るかわからない方だ。 神であるイエスも滅茶苦茶なことばかり要求する。 「自分のいのちより信仰が大事」だということは当然のこと。 最後まで堪えられるものが救われる。 (・∀・) キリスト教の天国は狭き門だ。 あなたがたは神の恵みによって豊かになります、という心地良いメッセージは、聴衆を魅了します。 そうすると、その人は、生きる気を保つことが出来ます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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