キリスト教の三位一体の解釈の違いがその原因です。
そもそもキリスト教は、ギリシャ世界で広がり、それがローマ帝国全体に広がりました。
キリスト教がローマ帝国の国教となったときに、キリスト教の定義として、三位一体の考え方が規定されました。

そこの公会議で使われた言葉がキリリシャ語であったため、ローマで使うラテン語に翻訳された際に、聖霊の出に関しての誤訳がありました。
本来は、「聖霊は父より出でて」となっているところが、「聖霊は父と子より出でて」となってしまいました。
このことにより、ローマ教会とコンスタンティノープル教会とで、三位一体に関する解釈が異なり、それが典礼の差につながり、しだいに乖離が大きくなり、修正が不可能になり分裂しました。
特にビザンツ皇帝レオ3世が出した、「偶像破壊令」が、両教会の決定的対立点となり、教皇レオ3世が、
フランク王国のカールを西ローマ皇帝に戴冠すると、政治的にも統一は不可能になりました。

そもそもローマ教会による三位一体に関する誤訳は、誤訳ではなく、意図的に行われたと考えざるをえません。
三位一体の考え方の違いにより、ネストリウス派、単性派などが異端とされていますが、それらの異端と、正教会では、
父=神
子=人間
聖霊=天使
三位一体=キリスト
と解釈されていますが、カトリックでは、
父=父なる神
子=子なる神(キリスト)
聖霊=神の意思(?)
三位一体=神
とわけのわからない解釈になっています。

(これは三位同体であっって三位一体ではありません)
これは、キリスト教がローマ周辺で、キリスト教の本質からずれた布教(キリストを神としてしまった)が原因で、本来のキリスト教の理念に戻れなくなってしまったために行われたとしか思えません。