>>352日本語読めますか


■文語訳(日本聖書協会発行)
「われはエホバなり是わが名なり 我はわが栄光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり」

■口語訳(日本聖書協会発行)
「わたしは主である、これがわたしの名である。わたしはわが栄光をほかに与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。」

■新共同訳(日本聖書協会発行)
「わたしは主、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。」

■新改訳(日本聖書刊行会発行)
「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」

■新世界訳(ものみの塔聖書冊子協会発行)
「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美を彫像に[与える]こともしない。」


翻訳そのものは基本的にどれも変わりません。ただひとつの箇所を除けば…。
そうです、神の名前を明らかにしているか否かです。この点で、新改訳のあとがきには次のような一文が掲載されています。
「旧約聖書においては、特に、文語訳ではエホバと訳され、学者の間ではヤハウェとされている主の御名を、この訳では太字で〈主〉と訳し、それによって主の御名がしるされている箇所を明らかにした。」、同様に新共同訳も用語解説の「主」の項目でこう述べています。
旧約聖書中、イスラエルの神は種々の名称で呼ばれており、そのうち最も多いのがいわゆる神聖四文字YHWH(6,500回以上)である。この語の正確な読み方は分からないが一般にヤーウェまたはヤハウェ(文語訳ではエホバ)と表記されている。」

ですから、口語訳、新共同訳、新改訳の イザヤ書42章8節で「主」と訳されている部分は、本来はヤハウェもしくはエホバという神の名があるべき場所です。
そのことは、死海文書や他の古代写本からも立証されています。