ていうか・・ そもそもの話し。
聖書が、現在のように66冊の書としてまとめ上げられたのは、西暦380年頃になってからでしょ。

それまで、ニケア公会議とか、ローマ帝国主宰の宗教公会議が、何度も何度も開かれて、なにが聖典で何が偽典か、
喧々囂々のやり取りを重ねまくって、ようやく380年頃になって、落とし所がついたってワケよ。

つまり、新約聖書最期の、黙示録が書き終えられてから、300年近くも暗黒のタイムラグがある。これ自体、疑惑のカタマリ。
現在でも300年って、メッチャ長い期間だけど、「地球が狭かった」当時の感覚からしたら、もっとずっと長いでしょ。

さらに、聖典・偽典を判断したのは、当時すでに国教としていた「ローマ帝国の判断」である、ということ。
国教であるからして、政治的な利権や、各教派のパワーバランスに基づいた、熾烈な争いもあったろう。

そんなもんに、神の聖なるお導きが、あったって言うのかいw? あるわけ、無いだろw

聖書を聖書として定義する、超重要な瞬間は、ただ純粋にローマ帝国の政治的な判断の結果でしか無かった、ということ。
すっ裸にしてみれば、こんなもんなんだよ、リアルは。