主の燃える愛の炎が小さな罪を藁のように燃やし尽くす

神は溶鉱炉です。
罪を償いたいのなら苦しんで溶かしていただくことも可能です。
この苦しみが、悔い改めの際に罪に応じたふさわしい苦しみでなければ、煉獄という神の溶鉱炉に一時はいる形となるのでしょうかね?

地上に生きている人の祈りが彼らのための冷たい水になるんだそうです。
主御自身もファウスティナの存在をそういう冷たい水のような比喩で呼びかけていましたから、地上の人の役割は大きいのでしょう。