>>695

、「挙僧問雲門如何是法身門云六不収」。

> 六根では収まらないものだ。六根とは6つの感覚である。感覚的に把握できないものだ。感覚を超える何ものかが仏の教え、悟りということになる。
  それは修行をして体でつかむしかないといわれる。 』
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本則:
僧雲門に問う、「如何なるかこれ法身?」
門云く、「六不収。」
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注:
雲門:雲門文偃(864〜949)。雲門宗の祖。
法系:六祖慧能→青原行思→石頭希遷→天皇道悟→龍潭崇信→徳山宣鑑→雪峯義存→雲門文偃
六不収:六根・六識には収めきれない。
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本則:
一人の僧が雲門禅師に聞いた、「法身とはどのようなものですか?」
雲門は云った、「六根・六識には収まらないよ。」

「六不収。」とは法身は六根・六識には収めきれない。

→ ほとけは、とらえられない。
  とらえられないものを こころと言い、ほとけと言う。