>>645 ひのふのみー さん

> 621.
> 雨か。 それは存在の問題である。
> 宗教は存在の問題ではない。 だからして、悟るのは、雨という対象を悟るのではない。
> それならば、何を悟るのか。 』

雨の公案ではない。
あまおとの公案ではない。
雨音を聞け、と言う公案ではない。
雨音は聞こえない、と言う請うんではない。
地表や会場から蒸発した水分が、高い空の冷たい空気で地上に落下して雨になり、河原に落ちて初めて、雨音を出している。
こんにちで云えば、循環か。
この循環の一員に我もまた構成要素であり、
ひのふのみー さんもまた、雨である。
雨音を聞いたか。
雨の音をザーザーと言うが、雨は無音である。
雨音は、落ちて初めて音を出し、
落ちるときの音は、無音であり、
雨音が無く、雨音を聞く。
水は低きところに導かれる。
土を溶かし、落ち葉を流し去る。
木を倒し、岩を割る。
行く雲、流れる水、
この大変化して止む事が無いものを、いのち、と言う。
いのちは、あまおと、である。