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マブダチ、道元は言う、眼は横に付いている、鼻は直(たて)に付いている、と。

また、曹洞宗の大学の教授で、曹洞宗寺院の僧侶が、云う。
わたしはさとっていません。
ですが、この方向へ進むとこちらの棋士からあちらの棋士へと渡る事が出来ますよ、と言い続けます。

真理さとりとは、特別な事ではない。
アジア人なら、共有している自然に対する畏敬の念に似ている。

横綱朝青龍が、馬乳酒を飲む前に酒器の馬乳酒を指に付け、弾いて、実りに感謝をささげ、のちに、飲み干していた。
また、日本では、山の民、マタギは、狩猟の前に神に五穀をささげて祈っていた。

何か特別な事をやって来たのではない、
自己の存在は、個ではなく、他との関係性にある、と言うのが生き方であった。
インドにおける宗教の原義は、いかに生きるか、という事である。

これもなく、それもなく、あれもない。

唯嫌揀択(ただけんじゃくをきらう)
好き嫌いをしないである。

つまり、一の如し。