0303アハさんパシル語 ◆Ahasanovfo
2017/07/23(日) 00:59:38.40ID:pdJYX0Bv⇒ 小学生から、高校にかけて、BSだった。
熱心だったのは、小学生から中学生の頃だった。
よくキャンプに出かけた。
野外活動と言うか、課題を与えられて、その解決に取り組むのである。
野営地の地形は、頭に入っているのだが、その産地全体の事は、分かっていなかった。
頂上にも登るのだが、決まりや与えられた課題の解決に気も休まらない。
この時から、24時間、BSであれ、と求められていた。
今ではBSもアメリカのBSのように、長ズボンが多いが、その頃は、半ズボンに長い靴下だった。
それで、膝を出す、という事が、大切だった。
わたしは、夏は半ズボンで、春と秋も半ズボンが、多い。
わたしには、この遊山、というのがすばらしい。
むかしは、5万分の1の地図で、キャンプ地をまず見る。
地図を見てから現地へ行って、1週間とか、野営すると、地図が今で言う動画で見えてくる。
こういう事を繰り返して、地図を見るときの肉付きが良くなる。
何処から来たの?
新参の修行僧なのだろう、出発地を言ってしまった。
至極当然である、ともいえる。
それで師家は、遊山したのか、と問う。
キャンプしたのか、と問うてはいない。
真理さとり を体得したのか、と問うたのである。
修業の浅い層は、分からなかった。
24時間、BSであれ、と小学生の頃、云われていたこと、がそれである。