碧巌録(へきがんろく) 第29則? 大隋劫火洞然?

垂示

魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ。
明らかに主賓を弁じ、洞(あき)らかに緇素を分かつ。
直に当台の明鏡、掌内の明珠に似たり。
漢現じ胡来たり、声彰われ色顕われん。
しばらく道(い)え、なんとしてか此の如くなる。
試みに挙す看よ。


明らかに主賓を弁じ、洞(あき)らかに緇素を分かつ:
(我々の心は)、前にいる人が、主人(主)であるか客(賓)であるか、
黒(緇)か白(素)かを分別判断する。
漢現じ胡来たり、声彰われ色顕われん:
その前に漢人が立てば、漢人を、胡人が立てば、胡人を、それぞれ明白に写し分ける。
また、(明珠が転がれば)、声として彰われ、色として顕われる。
 見たり、聞いたり、喋ったりする脳の機能を明鏡や明珠の働きに喩えている。
当台の明鏡、掌内の明珠:脳の認識作用や見聞言語の働きを明鏡や明珠に譬えている。

垂示の現代語訳

魚が水の中を泳げば、水は濁り、鳥が羽ばたいて空を飛べば毛が抜け落ちる。
そのように、我々の心の動きがどんな微妙なものであっても必ずどこかに現れ、 明らかに主客を弁じ、黒(緇)か白(素)かを分別判断することができる。
我々の心の明鏡や明珠は、その前に漢人が立てば、漢人を、 胡人が立てば、胡人を、それぞれ明白に写し分ける。
また、 (心の明珠が転がれば)、声として彰われ、色として顕われるのである。
それではどうしてこのようになるのであろうか?