果たして強い者などいるのだろうか?

祈りや信仰を持つ者は自分の弱さを知り
謙虚に生きる事を知っている。

それを批判する者は何故そうするのだろうか?
実は生まれそして死んで行く事への理不尽さに
怒りを抱いているのだ。

「私は神にすがる程、弱くない」
そう強がってみても死への恐れが消えて無くなるわけではない。

逆を返せば無神論は自分の弱さへの抵抗だ。

弱い自分を受入れる事こそ強さへの第一歩ではないだろうか?