主任司祭は…話をしている中で、私が少し笑顔を見せたら、態度が軟化しました。
これは私の憶測ですが、私が神様に一途なので、主任司祭はそれを「偶像崇拝」だと言って、
私の気持ちを神様ではなく、自分に向けようとして必死になっているのではないか、と感じます。
主任司祭は、私に「(他の信徒に)嫉妬している」とおっしゃいましたが、それは自己投影であって、
主任司祭のほうが神様に嫉妬しているような気がします。

11月26日の面談の最後は、面談が始まった時に比べて、少々和やかなムードになっていたので、
「この後で、もしかしたら、“あれは違う”と思い直すことがあるかもしれません。
今度、お会いする時、また(あなたの態度が)元に戻っているかはわかりませんが、
今のままであることを望みます。
これ以上話すと、サタンが水をさしにくるかもしれないので、今日はこれでおしまいにしましょう。」
という会長の一言で、その日の面談は終わりました。

会長(※女性です。)は、主任司祭が、男性信徒と私、二人共が嘘を言っていないと
信じているからこそ、他の信徒からお互いが疑いの目を向けられないように、沈静化をはかった、
という感じの説明をしましたが、それならば、私だけを出入り禁止にするのは矛盾していると思います。
第三者の目から見れば、“揉み消し”のために、一方を出入り禁止にしているようにしか見えないと
思います。
なお、他の信徒には、私を出入り禁止にしていることを漏らしていません。
主任司祭の評価に影響するからでしょうか?

私は…主任司祭や役員によって、懐柔されそうになっているのでしょうか?
第三者からの目には、どう見えるのでしょう?

出入り禁止が解かれるかどうかは、アマチュアの主任司祭の独断と偏見次第なので、
主任司祭に対する好意が私のうちに見られなければ、また出入り禁止の期間は
延長されると思いますが、私は神様にも彼にも、媚びるつもりはありません。