それは神経症的なものだと思うなぁ
神経症は二元性を越えるための足掛かりになる
ようは本当の天国への切符

たとえば症状がー70あったとすると、−70を0にすることを望むんじゃなくて、
−70そのままに、生活していく方に持っていく

握った手を放そう放そうとしてると、手はなかなか離れない
握った手をそのまま放っておいて、別のことやってると
いつの間にか手を放してる

放す、放さないの二元性を越える
症状の有り無しの二元性を越える
これを仏教では中道という

この道は中行く道ぞ。  左も右も偏ってはならんぞ。 

右に行かんとするものと、左に行かんとする者とを結ぶのが
 「うづ」の神様ぞ。

道は三つと申してあろう。  ・・・・  中の中に中の道あるぞ。  中の中の「・」は無であるから
動きないぞ。   動きないから無限の働きじゃ。
この道は中行く道ざと申してあろうが。  中の「・」の道は太神の道。
中行く道が神の道。  中の道が人の道じゃ。
わかりたか。