日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
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2002年(主日A年) 10月27日 年間第30主日
出 22:20〜26 Iテサ 1:5c〜10 マタ 22:34〜40
・ ・ ・ 律法というものが神の民の共同体を対象としており、その一致と存続を目的として神から与えられているということを、私たちは理解する必要があります。
“神を愛し、隣人を愛する” ということは、多くの良い教え、道徳や掟の中の一つではなくて、律法全体の、旧約聖書全体の基礎であり要約であると、主イエスは語られたのでした。
それでは教会という共同体は何によって一致し、何を目指して存在しているのでしょうか。
この点について、テサロニケの教会のことを使徒パウロは生々しく描いています。
彼らは 「聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ」(Iテサ v.6)ました。
彼らの一致はキリストの福音によって生まれたものでした。
そして 「御子が天から来られるのを待ち望む」 希望によって教会共同体となったのでした。
「この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来たるべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。」(Iテサ v.10) (つづき)
そのような共同体として歩み始めた初代教会の文書として、私たちはマタイ福音書を理解しなければなりません。
今朝の福音書のテキストは、律法のことを取り上げているのであって、だから過ぎ去った旧約聖書の時代の事柄だと軽率に考えてはなりません。
現在の私たちの “新共同訳聖書” が見事に翻訳(意訳)している通り、「キリストは律法の目標であります」(ロマ 10:4)。
私たち現代の教会が、キリストの福音によって一致し、神の国の希望によって存続して行くために、神は今朝の日課を通して語っておられます。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(マタ 22:37)
「隣人を自分のように愛しなさい。」(マタ 22:39)
何よりも共同体のために、私たちの教会のために、神は語っておられるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています