日本もキリスト教を盛んにしようよ。 [無断転載禁止]©2ch.net
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2002年(主日A年) 10月13日 年間第28主日
イザ 25:6〜10a フィリ 4:12〜20 マタ 22:1〜14
使徒パウロは、「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました」(フィリ v.14)と、フィリピの教会の人々に書き送りました。
彼は晩年になって、自分の後継者の一人である弟子のテモテに、「神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください」(IIテモ 1:8)と書いています。
教会に集まって来ている会衆は、みな何らかの形で教会の活動に参加しています。
よい働きもあれば、それ程役に立っていないように見える働きもあります。
またどこの教会でも、多くの会衆が “余計なこと(IIテサ 3:11)” と感じているような働きもあるのです。
しかし大切なことは、王が客を見ようと入って来るとき、私たち一人一人が礼服を着た信徒と見做していただけるか否かということです。
小羊の花嫁であると判断し、“ふさわしい人” “選ばれた人” と認めてくださるのは神なのです。
使徒たちから伝えられた福音のために、教会と共に労苦して行く信徒たちの歩みを、神は現代の教会に期待しておられます。
「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。 わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(フィリ vv.19-20)
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 2005年(主日A年) 10月9日 年間第28主日
イザ 25:6〜10a フィリ 4:12〜20 マタ 22:1〜14
イザヤ書24~27章は、後代の挿入と思われる黙示文学的預言ですが、私たちはそこに救済史の終末的完成に関する極めて特徴ある記述を見出します。
「その日には人は言う。 見よ、この方こそ私たちの神。 私たちは待ち望んでいた。 この方が私たちを救ってくださる。 この方こそ私たちが待ち望んでいた主。 その救いを祝って喜び躍ろう。」(イザ v.9)
神の国は、主イエス・キリストとその御父の国です。
決して町の大通りから集められて来たままの、婚礼の礼服を着ていない人たちの国ではありません。
「事実、あなた方は恵みにより、信仰によって救われました。 このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」(エフェ 2:8)
「では、人の誇りはどこにあるのか。 それは取り除かれました」(ロマ 3:27)
ということが現代の教会にも深く理解されて、「聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているかを悟らせてくださるように」(エフェ 1:18)と祈りましょう。
・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています