2005年(主日A/B年) 11月6日 年間第32主日
知 6:12〜16  Iテサ 4:13〜18  マタ 25:1〜13

今年も典礼歴の最後の三主日の日課を学ぶ時を迎えました。
私たちはこの期節に、聖書の中から終末についてのテキストを学びますが、それは主の日の到来に備えるということが最初から使徒たちの宣教の主題であったことに、私たちが注目するためです。

十人の乙女の譬え話の結論は、「だから、目を覚ましていなさい」(マタ v.13)であり、その理由はキリストの再臨が確かに近づいていることと、その日がいつであるとも知れないからです。
このような勧告が初代教会に広く教えられていたことは、使徒パウロの手紙からも、福音書からも十分に知られます。
再臨を待っているのは御子の血によって贖われた民である教会であり、使徒を初めとする群の指導者たちには 「忠実で賢い僕」(マタ 24:45)となることが主から求められていました。

この譬え話の花婿は明らかに再臨の主イエスであり、その到着が神の国の来臨であることは確かです。
その日には愚かな乙女たちは神の国から閉め出されます。
「御主人様、御主人様、開けてください」(マタ v.11)との訴えに返ってきた答えは、「はっきり言っておく。 私はお前たちを知らない」(マタ v.12)でありました。
この主題は マタ 7:21-23、ルカ 13:22-30 でも取り上げられています。

使徒たちは、現代人が考えるような意味での主イエスの歴史的回想を語ったのではなく、そうではなくて聖霊と復活の主に導かれて、最後的世界の危機である主の再臨に備える訴えを、主の多くの譬え話に読み取ったと理解するのが適切であるように思われます。

・・・・・ 以下、本文参照。
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