囲碁将棋や野球競馬など負けたとき下らんと思う。悔しくてもう竹刀今朝も毎度思う?だいたい闘争力の戦争の代わりでは
無いかストレスの交感神経を高めてくだらん不幸から幸福になる修行くだらん。普段の私は平和な存在なのでバランスで交換
しているのか?幸せを知らないなときはすごく甘くなり敵を許しすぎそれでは勝ちが無い。副交感神経でも価値がある瞑想とは
真逆だけど傷つく事を知らない人ほど波乱万丈のサスペンスドラマとかお涙頂戴不幸ドラマみる、あれ無意識に誰かの
パクっている。
法華転法華何時か?野つづき 法達「私は法華経を三千部も読じゅしました」慧能「たとい一万部読じゅしても、経の意味を
珠には我亜我亜やめて坐禅しん遥かで.坐禅しん 薬山弘道大師が坐っていたとき.ひとりの僧がたずねた。
僧「ひたすら坐っておられて.何を思っていられるのですか」 師「思いの及ばないろを.思っているのだ」
僧「思いの及ばないところを.どのようにしておもうのですか」 師「思うのではない」
このような薬山の言葉を良く会得して.ひたすら坐る事を学ぶがよい。そしてその坐り方を正しく伝えるがよい。仏道に伝わ
っている坐り方を究めていくことが肝要である。このような坐り方の工夫は手けっして薬山だけが言っているのではないが.
薬山の言葉はすぐれたものの一つである。すなわち.「思いのおよばないところを思うのである」(つづく)今朝は坐禅使用
真面目な未知に一休みするかたんぽぽや蝶はこの頃見ない師いつたい禅の春はと越え何時他のでは不味いし
あ仕事も交換神経だっただらけていては生き抜けるけど生き抜けないしでも気合入らない