無門が重要視した「無」ってのはさ
レンマに属さないんだぜ
つまり、

有と言う見解にも無と言う見解にも属さず
有であり無であると言う見解にも属さず
有に非ず無にも非ずと言う見解にも属さない
世間ではこの四つ「有と、無と、有且つ無と、非有非無」のどれかに必ず属して識別される
これを仏道・仏陀は世間・世界と呼んだのよ
でも仏の境地は出世間だから、このレンマのどれにも属さないのよ

それだから

>無の我が在ると受け止めた方がわかり易いかも知れません。

も成立しないって訳