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それから彼は自分の村の小屋で、念仏を唱える努力をした。
体の痛みにもかかわらず、彼は休むことを拒否し、座布団の上ですわり続けた。
長い間、瞑想の人生を続け、そしてついに、病気になってしまったのである。
盤珪の友人たちは、心配して、彼の世話をするための使用人を提供したが、彼は自分が死ぬだろうと思っていた。
彼のたった一つの悔いは、明徳の問題が未解決なことだった。
しかし死の淵にあったそのとき、盤珪は、自分が決して生まれたことがなかったことを理解するようになった。
彼はあらゆる物事の輝ける源泉を見たのである。
あらゆるものはその源泉によって、よく管理されていた。
盤珪は、自分が不生(生まれたことがないもの)から生きることができると確信した。
それは人生を一変する洞察であった。
彼はすぐに元気になり、驚く使用人に食事の準備を頼んだ。
完全に回復すると、盤珪は母親に自分の発見を報告し、そのおかげで彼女は幸福に死んでいった。
彼は自分の洞察を確認することができる師を見つけるのが大変だったが、ついに、彼を励ましてくれる師に出会い、この真実を分かち合い、人々を助けるために自分の人生を捧げる決心をした。
盤珪は、大衆のための人となった。
彼は、禅の生徒だけではなく、普通の田舎の人たちからなる大勢の人たちに話をした。
彼の言葉はシンプルで、直接的で、人々は彼の誠実さに感銘を受けた。
ある逸話が彼の愛嬌のある様子を物語っている。
ある僧侶が、彼自身の教派の多くの者たちが禅について聞きに行ったことに、怒っていた。
そこで、盤珪と論争するために、彼自身も会に参加した。
「私のような人間は、あなたを尊敬することはできない」と彼は盤珪に告げた。
「あなたは私を従わせることができるのか?」