>>361
鳩摩羅什の翻訳した法華経が世間に流布し、『仏の残した言葉と正統認定』
されている、それに疑問を提示する次第。
御節介なわたくしが、熱心に題目を唱える人たちを見て思うのは『御気の毒よなあ』
お経が誤訳のまま通ったのは江戸時代までで、この人たちの仏教は文明開化、開ける御世の恩恵に
浴していない。
 立派なお寺の坊さんや某○○〇〇の大センセイが仰ったからと言って鵜呑みにする人は
無筆、文盲並みか、麻原尊師の救済妄言を信じるのと五十歩百歩。
とはいうものの、法華経の誤訳を指摘すると激怒するのも専門の坊さん。
何故に激怒するのか?と言うと『本当の事は素人のお前に言われたくない!』から。
ある知人の坊さんは、檀家の供養と葬儀に徹底して布教は一切しないで済ます覚悟らしい。
これが己が職業の限度と見極めている様子。
法華の題目を唱えて人生の杖と頼むに足るか?しかもそれを他人に推奨するなら
よくよく、題目に折れ目やひびの有無を検分すべきだろう。
>>363 般若心経の解説は多々あるものの、法華も心経もこのお経等は仏教文学表現なり。
   仮託された架空の、どこの誰とも判らない人物の観音菩薩が般若を得た嬉しさを
   秘密仏教のマントラで讃嘆する〜とはこれまさしく仏教讃嘆歌謡曲みたいなもの。
   若い歌手が、恋ってすてきねぇって歌うでしょう、あれとほぼ同様と思えばよろしい。



翻訳事業を玄奘三蔵は行った、当然その歴史時代は玄奘の方がクマさんより少し後。
(推敲不足なる小生の文章の誤謬は認め、謝罪と反省しても賠償はしない)