【大宣言前に逝去】ベンジャミン・クレーム11【2016年10月24日】 [無断転載禁止]©2ch.net
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〉神智学が無謬だという前提であなたはスタートしているのか、
自分が経験したことを表現する場合につかう言葉が神智学に相性がいいから、でしょうね。
古神道を選んでも良かったかもしれませんが、ぼくのたどったルートが『哲学→深層心理学→人智学→神智学』だったということで、ルートはひとそれぞれなんだと思いますね。ちなみに、この移行はより肌にあうものを選んだ、ということですね。
神智学はいろいろあるコースのひとつにすぎないのではないでしょうか?
ちなみに、神智学が無謬ということはないでしょう。さまざまな異説もありますし。
ぼくの場合は、時期が来たので数年前にその手の学習は終了しました。 〉神智学がクレーム氏によって利用されたとしても
神智学を否定することはできない
ここはたぶん誤解ですよ。クレームさんは政治参加をすすめてはいません。クレームがすすめていたことがあるとすれば、
・伝導瞑想をすること。
・キリスト(=マイレーヤ)の再臨を伝えること
・現在の経済機構では世界が持たないと伝えること
これくらいじゃないですか?
時代が代わるにちがいない、とはしゃいだり、その組織に加担すれば良い待遇を受けるにちがいないと信じこむのは受け手の思い込みにすぎなくて、クレームさんは報酬を期待しない『奉仕』を強調している、とぼくは理解していました。
残念ながらシェア派に期待して失望し、去った方々は勝手な思い込みに裏切られたあぼーんな方々だ、ということですね。 〉ぼくの場合は、時期が来たので数年前にその手の学習は終了しました。
こうして文章にしてみると、なんだか特別な宗教的な体験があったみたいですが、というかそういう場合があるかどうかは知りませんが、先人があちこちで伝えたことがさまざまな表現のちがう言い方だという経験はします。
これらを文章にするのは大変難しいことです。ほとんど印象でしか記憶できないことですから。
で、簡単に言うと、
『何もする必要がない』ことを理解します。
皮肉なことですよね。さまざまなことに好奇心をいだき所有したいと思い探し求めた結果、何も必要でなかった、ということを知るのですから。
しかし、ぼくは今もなお求めている方々に『何もするな』と言う気にはなれません。
なぜならそれぞれ人々には固有のシナリオがあるからです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています