変容した世界の光の中で生きるには性格の変容が必要条件ですが、ヨーガにおける蓮の梯子のイメージでは、この変容が最後
の三つのチャクラー五、六、七番目ーとして象徴されています。これらのチャクラは、頭と精神に、形而上学的な諸感覚の範囲を
超える目的と目標を追求する頭と精神に属します。その最初のものであるウィシュッダ(「洗浄された、澄明にされた、完全に純粋
な」[清浄輪])は咽頭部に描かれており、ここで成就されるべき課題は諸感覚の清浄化です。つまりさきに引用した「もし知覚の扉
が清められるならば、ありとあらゆるものはその本来の姿、無限を人に顕すであろう」というブレイクの言葉と同じものを目指し
ているわけです。そのために必要な方法は、エネルギーの方向転換と呼ばれます。それは三番目のチャクラに属する一切の敵意及
び攻撃性を外部に向けて、世界の改善のために適用するのではなく、内面の自分自身の方向に向ける事です。イエスの言葉にある
ように、兄弟の目から塵を取りのぞくよりも、自分の眼の中の梁を取り除かねばなりません。インドの絵画的隠喩ではこれが魔人
の姿をした怒れる神として表現されます。その神は切断された頭を連ねた首飾りをつけ、切り取られた腕と脚で作られた腰巻をつ
け色々な武器を振りかざし、その足は人間を踏みつけています。この魔人は自分自身に向けられた人間の攻撃衝動の顕現であり、
足元にいる人間は、肉体の欲望への執着と肉体の死の恐怖を表しているのです。?禅禅修行使用と竹刀私には用が無いと師匠に
怒られた。片手の人の二番せんじのロウソクの火消せとは王将の頭も火で燃えているし要するにまだ心用がない腹ん盤上の煩悩
にいる野鴨