碧巌録(へきがんろく) 第63則? 南泉斬猫(なんぜん ざんみょう)  

挙(こ)す
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南泉普願、一日、東西の両堂(東堂、西堂の僧)、猫児を争う。
南泉見てついに提起して云く、「道(い)い得ば即ち斬らじ。」
衆、対なし。」
泉、猫児を斬って両段となす。

本則
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ある日南泉普願禅師門下の雲水達が東西の二堂に分かれて、猫のことで論争した。
南泉もとうとう見かね、その猫の首っ玉をつかまえ提げて言った、 「禅の究極のところを言え。言うことができたらこの猫は斬らない。」
この問いに修行僧達は誰も答えることができなかった。
南泉は遂に猫を真ッ二つに斬ってしまった。

碧巌録(へきがんろく)  第64則? 趙州戴鞋底 
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挙(こ)す

南泉(なんぜん)また前話を挙して趙州従シン(じょうしゅうじゅうしん)に問う。州すなわち草鞋(そうあい、わらじ)を脱して頭上に戴(いtなだ)いて出(い)ず。
南泉普願云く、「子(なんじ) 若(も)し在(あ)らば、恰(まさ)に猫児(みょうじ)を救い得(すくいえ)てんに。」
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本則:
南泉は前の話を趙州にして、「お前ならどう答えるか?」と質問した。
趙州は草鞋(わらじ)を脱いで頭の上に載せて出て行った。
南泉は云った、「もし、お前がその場にいたならば、猫は切らずに済んだものを!」

⇒ わたしは以前に南泉和尚は、この猫を切らなかった、と書いた事がある。仏性がある猫を真理尾の目を開かせるためとはいえ、真っ二つに斬ることなど、考えが及ばないし、斬って捨てても、東西の僧堂の修行僧誰一人として、一語も無かったからである。
  それほど、目の前で首をつかまれた猫が斬り捨てられるのを見るのは、衝撃であり、動揺させた。
  あとで、その事を聞かれた趙州は、履いていた草履を脱いで、頭にの上にのせて、はだしで師の前を去り、表の通りへ出て行ったのだ、という。
  切り捨てられる猫を救うために、一語が言えずとも、南泉(なんぜん)の手から猫を奪い取る事は出来なかったのか。
  南泉(なんぜん)、趙州(じょうしゅう)、修行者、猫に向かったの言葉が無い。
  わたしはこの事実から、目が離れない。