ラーマクリシュナ不滅の言葉。智慧の道を修業する人は、これでもないこれでもない、と感覚を通して解る知識を次から次へ
と捨てていって最後にブラフマンを知ることができる。ちょうど階段を一段一段上って屋根にのぼるようなものだ。ところが
真理を体得した人は、つまり屋根に上がってしまつた人はーそのひとはね、屋根と同じ材料で、その一つの階段も作ってある
のだということがわかるんだ。ネーティネーティと打ち消しつくして、最後にブラフマンとして感じ取ったもの、それ自身が
一つの生命(たましい)として成り立っているんだよ。真理をつかんだ人というのは、無性無相の それ があらゆる性質の
色相なんだということがわかっている。
屋根のてっぺんに人は長いこと居るわれにはいかないから、また降りてくる。三昧に入つてブラフマンの
智を得た人々もまた降りてきては、生物や世界に成っているのは それ ブラフマンそのものだということを納得するわけだ。
トレミファソラしの音調のシだけをいつまでも発音してはいられないからね。智慧の道も、道だ。智慧と信仰の道も道だ。
それに信仰だけの道も道なんだよ。智慧のヨーガも正しい。どの道を通ってもあのお方の元へ行けるよ。けれど私が残ってい
る間は信仰の道が一番だよ。 
我々は宇宙の樹になる身つまり果実として絵多に生っているのなら一本樹な人は幹まで降りていや上って生く野鴨