ちなみに過去の御本尊授与の在り方を見ると「法主が開眼した」というのは真っ赤なウソ。
例えば昭和初期以降だけ見ても、御本尊授与の実態は以下の通りである。

昭和の初期
◇戦前・戦後を通して東京周辺の主要寺院で、例えば、妙光寺は55世日布、法道院は56世日応、常在寺は57世日正というように有縁の法主の御形木を開眼しないで授与していた。
◇遠隔地の信徒の場合、御本尊を印刷した和紙をそのまま授与し、信徒が自分で表具店に出して表装する場合もあった。
昭和30年代前半 (日淳法主の時代) 
◇東京・豊島区池袋の法道院で日寛上人御書写の御本尊の授与書きを削って印刷。 
◇付き合いのある表具店をもつ末寺は、表装前の和紙の状態の御本尊を、基本的には百枚一束で法道院から購入し、表装に出していた。
◇専属の表具店をもたない末寺は、法道院から表具店に出してもらい、表装済みの御本尊を発送してもらっていた。
昭和30年代後半 (日達法主の時代) 
◇法道院で印刷した日寛上人書写の御本尊を法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊を法道院から各末寺へ開眼せずに発送していた。昭和40年代〜54年(日達法主の時代)
◇日達法主書写の御本尊を法道院で印刷。法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊を法道院から各末寺へ発送していた。
昭和54年以降 (日顕の時代)
◇本山に御本尊を取り扱う内事部第三課を設置してからは、富士宮市内のK印刷でニセ法主の日顕が模写した偽造本尊を印刷していた。 
◇印刷会社から第三課に届いた模造本尊は、第三課の坊主が印刷状態と枚数を点検し、状態の悪いものは破棄していた。
◇その後、群馬県のO表具店など幾つかの表具店に出して表装していた。
◇表装された御本尊は再び第三課に返送されて納品される。第三課では検査の後、別の段ボールに詰め換えて末寺の入金に応じて宅配便で配送していた。

以上の通り、法主もニセ法主も開眼はしていない。「(法主によって)御開眼され、総本山より下附されてきた」(平成5年9月7日「宗門文書」)は真っ赤なウソなのである。