普通の人が普通に接する教会としては良いと思っています。
自分が普通と違っていて変なのですが、
根本的に導き方に疑問を感じるというか、矛盾を感じるときがあります。

迷いや悩みも、カルマも、全部、個人(自我)に属するものです。
でも、個人(自我)というのは、偽我ですから、実在していません。

自我とは何かといえば、神からの分離を信じている心の一部です。
神からの分離から、罪悪感や欠乏感や攻撃的な思いや、
いろいろな神の中にはない心が生じました。
そして、その自我ベースで出来ている世界が、
今の世界です。

自我は、その本性から愛することができません。
人格者を目指すのは良いのですが、人格者の『者』が邪魔です。
いくら人格者を目指しても、悟っていなければ、偽善です。
迷い人だと思います。いくら表面上取り繕っていても、です。

自我のままで生きるということは、
一生自分が何者かを悟らずに生きることになる、
と思ってしまいます。