託宣を垂れる大山ねずの命なる神はいかなる存在かと言えば「肉体がなく、

「透明人間だ」という。

神示を垂れるということは、当然意思を持っている、ということに他ならないが、いったい、肉体を持たない透明人間がどうやって意思を持つことができるのか。


性質(精神)のあるところには、必ず実体(肉体)があり、実体(肉体)のあるところには、必ず性質(精神)が具わる、というのが宇宙森羅万象を貫く道理である。

それに教団で出しているパンフレットには姿のないはずの大山ねずの命の画像が描かれているではないか。

これでは自語相違である。

教団の教えを信仰すれば「夫に恵まれ、妻に恵まれる」はずなのに、創始者の稲飯定雄・マサ子夫妻は別居・離婚し、神示によって選ばれたはずの初代副使者・供丸姫(マサ子)は、造反劇を起こして追放の憂き目に遭っているのだから、これほどアテにならない神も珍しい。