2005年(主日A年) 5月15日 聖霊降臨の主日
使 2:1〜11  Iコリ 12:3b〜13  ヨハ 20:19〜23

「聖霊によらなければ、だれも “イエスは主である” とは言えないのです。」(Iコリ v.3)
「一人一人に “霊” の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」(Iコリ v.7)

五旬祭の日に使徒たちを満たしたのと同じ “霊” が、すべてのキリスト者にも働いてくださいます。

「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。」(Iコリ v.13)

現代のキリスト者である私たち一人一人は、過去の教会の怠慢を反省し、“霊” が語らせるままにキリストの福音を話すという大切な働きのために、「分に応じて働いて体 (教会) を成長させ」(エフェ 4:16) る信者になりたいものです。
それは思いつきで何かを語ることではなくて、使徒たちが宣教した福音を純粋に伝えることでありますから、聖書を熱心に学ぶことと切り離すことが出来ません。
そしてイエスの受肉と公生涯と受難の意味を明らかにするのは、復活された主が父のもとから遣わされる聖霊によってであることを感謝しましょう。
聖霊は、現代における真の宣教と教会形成のために一人一人が分に応じて働くことを求めて、私たちを訪れてくださっています。

私たちは教会が自らの怠慢によって “赦されないまま残して来た罪” のことを考えましょう。
すでに久しく、教会はキリストの福音を何か別な人本主義的思想やイデオロギーなどで置き換えて語って来ました。
そこでは罪の赦しに換えて人権や富の配分の問題が関心事であり、キリストの十字架のいけにえに換えて博愛思想や平和主義が思考の前提でありました。
聖霊降臨の主日に今年も、私たちは教導職と信徒の区別なく共に、天上のキリストの呼びかけを聞いています。 「聖霊を受けなさい。」(ヨハ v.22)

・・・・・ 以下、本文参照。
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