2011年(主日A年) 5月8日 復活節第3主日
使 2:14, 22〜33  Iペト 1:17〜21  ルカ 24:13〜35

多くの現代の信者が “あまりにも聖書に無知” であって、そのために今は “福音に覆いが掛かっている”(IIコリ 4:3) としても、
それでもなお 「あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」(Iペト vv.18-19) と、今朝の朗読聖書は語るのです。
共にミサをささげる私たちには、「このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」(エフェ 2:8) という聖書の言葉に感謝することが許されているのです。

私たちが礼拝している神は、「キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった」(Iペト v.21) “父なる神”(Iペト v.17) であって、「従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。」(Iペト v.21)

信条が、“わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます” と宣言していることを、現代のキリスト者は深く心に留めねばなりません。
歴史の教会は、この使徒的伝承とは何の関係もない “新しいキリスト教”、あるいは “新しいイエス教” と、繰り返し戦って来ました。
旧新約聖書から全く独立した、間違った意味での “新しい教え”(マコ 1:27) の洪水に、現代の教会も日常的に襲われています。
しかし使徒たちの証言は、「ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方です」(使 v.22) と語り、キリストの福音は “律法と預言者によって立証されて示された”(ロマ 3:21) と宣言しています。

ですから現代の信仰者である私たちは、悔い改めて熱心に聖書に親しむ努力をし、かつてのエマオに向かう二人の弟子と共に、次のように祈ろうではありませんか。
”聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されるイエスよ、私たちと一緒にお泊まりください。 そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから” と。

・・・・・ 以下、本文参照。
http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より