資料に照らさず、自分の考えだけに頼るのは自己中なんじゃないですかね。
経典を読み、その記述を引用に用いる事が暗記自慢になる、と考えるのは
経典が読めない・意味が解らない・憶えられない、と言う事の裏返しですよね。
今は現代文も有ったりしますから、時間の許す限り読んで触れておく方が後生の為かと言えるでしょう。

昔の僧団のやり方では、一字一句を正確に暗唱出来る様に毎日唱和してた訳です。
その名残が今に伝わる勤行と言えるでしょう。
経典に如是我聞と冒頭にあるのは、阿難はそう聞いたと言う意味であり
それを我々も読み憶えて確かに聞いたと言う意味に繋がるんですよ。


これって外道のマハラジ信者やラマナ信者の人だってしてる事じゃないですか。