仏は能除一切苦でなければ仏じゃありません。
一切の苦を抜去してしまうのが仏なんです。
それって禅定以外有り得ないじゃないですか。
それ故に
「三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり」

と般若心経にも有る訳です。

上記阿耨菩提を得たその時に分かる事があります。
何も無い方じゃありません、そっちは本性で何も語りませんし意味もありませんから。
そうじゃない方を認めなくては行けないんです。
それでなくては悟りが完了しません。
完了出来なくては中途半端のままであり、真実が分からないままなんです。
それじゃ抜苦滅苦出来ても元に戻っちゃいます。
元に戻っちゃうその状態が所謂見性なのであり、これを悟りだとしたなら
本当の事が分からないまま、無理やり満足して我慢するって事になりますよ。

自分こそが誰彼なく煩悩の当事者でしょう。
これを認めて悟後の修行に徹底するんですよ。
大事な事ですから坐禅して良く吟味してください。

坐禅が先生なんですから。