スピりちァるな先輩たちの妄想を学んでいるとあの世は自分の妄想は持っていけるようで思いの比重が多くなり例えれば
私は囲碁や将棋競馬はいまはやらんけど純粋に技術の向上を学ぶのでなく相手の石を沢山殺そうとか負けると悔しいとか
大勝ちすれば相手を馬鹿にして威張るし感情の妄想に支配される。これ全部横道で余計なものと思うけどきつたはつたの
ドタバタが私は好きで囲碁に品がないと反省する。この世の現実は心を収めないとあの世の思いの世界では悪い妄想の
怪獣に逃げ回る弱肉教職の世界になるのか。あれそれは私の夢の世界に怪獣が現れて私は逃げ回つて覚めてからああ夢で
よかつたと思つているでは無いか瞑想や坐禅いま竹刀と死んでから怖い世界になるのか?精力肉林の世界も浅ましいし
殺し編むの戦争世界は平和は無いし平凡な坐禅この世で修行ようかなあでも続かんなあサボるなあしょうがないわれわれは
南無阿弥陀仏やアーメンの法が簡単に罪は許されるのか信じるものは神にすくわれるかエホバの人はあの世でも他の人にに
説教して周るのだろうか?あの世のほうがカルトの宗教も支配しやすいのか?妄想する脳力があるからもうそうしているのだ。
今朝の長い夢も個の身の煩悩で遊びまわつている現実の反省が出た。執念いや凝念は詰碁で鍛えれば良いのかどうかぽ師匠
鬼和尚さん教えてコツは骨骨の習慣鴨しれないけどノータイムカンだけでは感情に左右され第三者の眼が育たないコツは
即実先じゃ