求めるものが求められていたものである事を知る時、求める心は止むものです。
見性とは、見が性で性が見、の理(ことわり)です。

即ち、悟りだの迷いだの、それそのものが分別と知る時、悟りを求むる必要は無くなるのです。

故に、小生は悟前でも悟後でもありません。